« ■節子への挽歌1687:「生きにくい生き方」 | トップページ | ■節子への挽歌1689:写経と読経 »

2012/04/17

■節子への挽歌1688:生活のリズム

節子
この頃、時間の進み方が速くなってしまったようで、気が付くと、挽歌が書けずに一日が終わってしまいます。
せっかく追いついたのに、また挽歌がたまってしまいました。
挽歌はともかく、時評編のほうはこの数日また書けずにいます。
要は生活のリズムが乱れているということでしょう。

私のホームページを偶然に見つけて、以来、ずっと読んで下さっている人がいます。
その人は湯島に会いにきてくれ、以来、サロンなどにもよく顔を出してくださいます。
その人は、私のホームページの週間報告を読んで、「ルーチン」がないことに興味を持ってくれたのです。
たしかに私の生活はパターンがなく、毎日変化しています。

昨日、ある集まりのために新宿に行っていましたが、6時過ぎに次の用事のため山手線で東京に向かいました。
ちょうど退社時間のため電車は超満員でした。
久しぶりの満員電車でした。
満員電車の中で、昔は毎日、こうやって会社に通っていたのに、と思いました。
しかし今は、毎日やることは自分で作っていかないといけません。
自宅を出るのも出ないのも、何時に出るのも何時に帰るのも、自分で決めなければいけません。
自分で決められるという言い方もできますが、権利は責任と裏腹です。

ルーチンに乗ることは思考の縮減に役立ち、生きるには楽になります。
人間は考える葦、とパスカルは言ったようですが、本当は「考えたくない」人が多いように思います。
日日是新や悠々自適は、思ったほど楽な生き方ではないでしょう。
しかし、だからこそ面白い。一度始めたらなかなか抜けられなくなるのです。
ホームレスの生活と一緒かもしれません。
ただ現代という時代の中では、「ホームレス」では生きぬくいでしょうが。

ルーチンに乗らない生活の場合、一番の問題は落し穴に陥ってしまうことです。
外部からの規制が弱いですから、何もしなくともいいわけです。
何もしないでもいられるということの魅力も、これまた大きいのです。
注意しないと日日是旧や汲々呪縛になってしまいかねません。

大切なのは、そうならないための「ゆるやかな刺激」です。
伴侶の存在は、そんなものかもしれません。
呪縛しあうのではなく、刺激しあう関係。
夫婦とはそんなものかもしれません。

ルーチンのない生活がうまくまわっていたのは、節子がいたおかげだと思います。
節子がいた頃には、生活にリズムがあった。
それがなくなっているのが、最近の疲れの原因ではないかと、気づきました。
生活のリズムをどうやってもう一度つくればいいか、かなりの難問です。

|

« ■節子への挽歌1687:「生きにくい生き方」 | トップページ | ■節子への挽歌1689:写経と読経 »

妻への挽歌09」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌1688:生活のリズム:

« ■節子への挽歌1687:「生きにくい生き方」 | トップページ | ■節子への挽歌1689:写経と読経 »