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2012/04/03

■節子への挽歌1673:孤立と退屈と豊穣の中を生きる

節子
今日は一気呵成に挽歌の遅れを取り戻しましょう。
なにしろ安全を祈りたくなるほどのすごい雨風ですので、挽歌を書いているのが一番落ち着くでしょうし。

先に引用した「災害ユートピア」からもう一度引用します。

最も深い感情や、個人の存在の核につながる感情、人の最も強い感覚や能力を呼び覚ます感情は、死の床や戦争や緊急事態にあってさえも豊かでありえる。反対に、幸せであると決めつけられる状況は、しばしば単なる探さからの隔絶や、もしくは快適な状態の中で倦怠や不安から隔絶されている状態にすぎないのだ。
最近の私の心境からは、とても納得できる表現です。
この文章のすぐ後に、「大きな喪失は通常、私たちをコミュニティから孤立させる」という文章も出てきます。
たしかにこれもその通りで、節子を見送った直後、私は社会との接点を失って、おろおろしていたのを覚えています。
その当時ほどではありませんが、いまもまだ時々、強烈な孤立感に襲われることがあります。

コミュニティからの孤立と生きる豊かさとはどうつながるでしょうか。
あるいは、「生きる意味の見いだせない退屈な人生」とどうつながるのか。
これらは一見矛盾するようですが、私の中では全く矛盾しないのです。
孤立を感じるかと思えば、つながりの豊穣を感じ、
退屈で価値がないと思いながらも、生きることの深い意味を思うのです。
かけがえのないものを喪失すると同時に、かけがえのないものを得たような気もします。
言い換えれば、感情が研ぎ澄まされて、それらがすべて感じられるようになってしまっているのかもしれません。
だからそれらが奇妙に並存し、矛盾すら感じない。
とても不思議な世界に生きているわけです。
大きな喪失は、人を哲学者にすることは間違いないようです。

また風が激しくなりました。
家全体が揺れるほどです。
なにしろ節子が選んだわが家の立地は高台のはずれで、しかも風の道に当たっています。
風のうなりも恐ろしいほどですが、家全体が揺れるのはあまり居心地の良いものではありません。
節子がいないのも、心細さのひとつかもしれません。
早く風がおさまってほしいです。

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