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2012/04/10

■節子への挽歌1682:人生は冒険

前にも一度、言及したことのある、アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルは、ジャーナリストのビル・モイヤーズとの対談集(「オープン・ライフ」)の最後でこう語っています。

人生は冒険なんです。
年を取ってくればくるほど、人生は益々冒険的になってくるんです。
これは間違いない!
 人生は冒険?
学生の頃、私もそういうように考えていました。
訳者の馬場悠子さんは、その対談集のあとがきの中で、キャンベルの思想を簡潔にまとめてくれています。
人生とは常に前人未到の道を行く冒険であって、他の誰かが歩いた道をたどっていれば荒れ地人生になってしまう。社会に適応しながら内面の充実を得るのは困難だが、「至福に従う」生き方が必ず扉を開いてくれる。自分で設けた限界が「悪魔」である。直面したくない現実を押し込めるとそれが怪物と化すのだから、認識して場を与えればいい。
(中略)
一人一人の人生を神話に見立てれば、困難な状況に陥った時に持てる力を振り絞って挑戦に応える勇敢な英雄の姿にも自分を重ね合わせることができる。「英雄的に生きるというのは、実は個人的な冒険をすること」なのだから
。とても共感できます。
「英雄的に生きる」という表現も、私の趣味に合います。

「オープン・ライフ」はジョーゼフ・キャンベルの「神話の力」を知った時に、併せて購入していたのですが、邦題が「ジョーゼフ・キャンベルが言うには愛ある結婚は冒険である」だったので、あんまり読む気にはならず積んでおいたのですが、今日、何気なく開いたら、内容は全く違うものでした。
ひどい書名にしたものです。
今日は別の本を読んでいたのですが(これも神話の本です)、明日に出張ですので、新幹線の中で読んでみようと思います。

それはそれとして、
「人生は年をとるほどに益々冒険的になってくる」という言葉に、昔を思い出しました。
その生き方はどこに行ってしまったのか。
節子に持ち去られてしまったのか。
最近の私の生き方は、「荒れ地人生」になっていないか。
キャンベルがいうように、冒険を忘れなければ「至福に従う」生き方が必ず扉を開いてくれるのではないか。
節子がいないのは残念ですが、もう一度、冒険を始めるか。
キャンベルの、この言葉を見て、そんなことを考えました。

ちなみに、節子がいた頃は、いつも実に楽しい冒険でした。

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