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2012/04/12

■節子への挽歌1684:人の後悔(欲望)は際限がない

節子
昨日から仕事で軽井沢にきています。今朝は気持ちの良い朝です。
しかし寝不足で眠いです。
軽井沢には節子と一緒に来たことはありませんが、子どもが小さい頃には何回か夏休みに中軽井沢のほうで過ごしたことがあるはずです。
私自身はあまり記憶力に恵まれていないので、思いだせませんが、山奥のロッジに滞在したこともありました。
みんなであまり道もない山のなかを歩いて、大変な目にあったこともありました。

私は過去のことには興味がないためか、旅行の記憶などをあまり思い出せないのです。
特にどこに行ったかという地名などは、ほとんど思い出せません。
節子の日記を読めばきちんと書かれているのでしょうが、まあいまは読む気にはなれませんただいくつかのシーンは映像的に鮮明に浮かんできます。
不思議なことにみんな静止画像です。
たぶん私の脳の構造にかなりの問題があるのではないかと思います。
空間的にも、時間的にも、どうも普通とは違うのです。
昨日の次に今日があるとか、今日の次に明日がくるとか、昔からそれがあまり納得できていないのです。
そんな感じでしたから、私と付き合い出した頃、節子は混乱したでしょう。
いやそれで魅了されたのかもしれません。
しかし節子と一緒に暮らしているうちに、私の時空間感覚はかなり普通に近づきました。
節子の発想では、今日の次に必ず明日があるのです。
もっとも節子が病気になってからは、少し変わったと思います。

節子と一緒に過ごしていたようで、過ごしていなかった。
最近そんな気がすることがあります。
時間がたくさんあると思うと、その使い方はルーズになります。
なぜ節子と一緒に軽井沢に来なかったのでしょうか。

節子と一緒に行ったことのないところに行くと、必ずそう思います。
そして、節子と一緒に行ったところに行くと、なぜもっとゆっくりここで過ごさなかったのだろうと思います。
人の後悔(欲望)は際限のないものだと、つくづく思います。

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