■節子への挽歌1716:初夏を感ずるのに気が起きません
節子
時に初夏を感じさせる、気持ちのいい季節になりました。
こうした時期になると、節子は必ずどこかに出かける計画を立ててくれました。
あの頃が懐かしいです。
今日は代官山にある友人のオフィスに行きました。
代官山にオフィスを持っている友人は他にも2人いるのですが、そのすぐ近くを通っても立ち寄る気になれません。
これは、節子を見送ってから私に起こった変化の一つです。
以前は、どこかに行ったら、必ずといっていいほど、近くの友人のところには顔を出したくなりました。
いまは全く正反対になってしまったのです。
昨日、ジュンからイタリアのお土産で欲しいものはあるかと訊かれました。
何にもないよ、と応えました。
節子のいる頃だったら、たとえば、ふくろうの置物とかベスビオス火山の溶岩とか、何か欲しいものが浮かんだはずです。
しかし今では、ふくろうのコレクションにも興味がなくなりました。
心は、もしかしたらもう、彼岸に行っているのかもしれません。
スペインの巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラを歩いた鈴木さんから、昨日、手紙が来ました。
発作的にまたハガキが書きたくなったので、と書いてありました。
そして、巡礼した時の資料を処分しました、ともありました。
鈴木さんは、私よりずっと若いのですが、できるだけ物を持たない、聖者のような暮らしをしています。
20年ほど前に鈴木さんに会ったときから、それは一貫している彼の生き方です。
節子の闘病中には、時々、美味しいお菓子を節子に贈ってきてくれました。
節子は、しかし直接お礼を言う機会を得ることはできませんでした。
鈴木さんは、何を支えに生きているのだろうか。
急に鈴木さんに会いたくなりました。
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