■時限爆弾の上で遊び興ずるソドムとゴモラの民
大飯原発の再稼動が決まったようです。
しかしテレビでは、みのもんたさんや古館さんが、反対論を唱えています。
みのさんは、今朝の番組で私は反対だと明言していました。
テレビで反対キャンペーンを展開したら流れは変わるだろうにといつも思います画、彼らは発言するだけで動きません。
彼らがいっせいに国民集会を呼びかけたら、流れは変わるでしょうが。
それにしても、福島原発を体験しながら、なぜ原発再稼動が実現するのか。
ここに「民意を基軸にする政治」のジレンマを感じます。
昨日、小沢さんと会談した野田首相が「消費税に関しては時間軸だけが違う」と話していました。
私は時間軸こそが問題だと思っていますし、小沢さんもそう言っていると思いますが、野田首相は軽く時間軸を受け止め、消費税増税に焦点を合わせて説明してしまっています。
このようにして「異論」は統合されていきます。
民意を束ねるということはそういうことでしょう。
どんな民意も形成できるということです。
そこに民主主義のジレンマがあります。
しかも民意は、「小出しの部分的情報」で形成されますから、いかようにも操作できます。
活断層の上の原発を稼動させるということは、テロリストが時限爆弾を仕掛けるのとそう違うようには思えません。
いささか言いすぎかもしれませんが、テロリストと政府とは、そう違うわけではありません。
それは9.11以降のアメリカ政府の動きを見ればよくわかります。
今朝も、メーリングリストでデモへの呼びかけが来ました。
しかし、もはや勝負は決まったような気がして、虚しさを感じます。
迷いましたが、用事を優先させて、デモには行かないことにしました。
こうやって、人は自らを滅ぼしていくのでしょうか。
それにしても、福島原発を体験したにもかかわらず、生き方を変えようとしない私たちは一体何なのか。
生きることを忘れた存在に向かっているのかもしれません。
もちろん、私もその一人であることは否定できません。
どうやって抜け出すか。いや、そもそも抜け出すべきかどうか。
それがなかなかふんぎれません。
抜け出そうと思わない自分がいやになることもありますが、
どこかにもう終わりたい(つまり人類の歴史の終焉です)という気が生まれてきているのも事実です。
まあ、時限爆弾の上で遊び興ずるソドムとゴモラの民は滅んでも仕方ありません。
神の裁きがまもなく来るでしょう。
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