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2012/05/18

■原発と原爆は同じものではないのでしょうか

昨日、技術カフェという集まりをやりました。
そこで原発の問題が少し出たのですが、参加者の一人から「なぜ原発をなくすべきか、誰にでもわかるように一言で話せしてほしい」といわれました。
「原発と原爆は同じ原理で成り立っているものだからです」と応えましたが、納得してもらえませんでした。
こんな簡単なことがなぜわからないのか、私にはどうも信じられません。
つまり、それだけ私たちの頭は先入観で埋まっているのです。
みんな学校教育で成績を上げようとした結果でしょう。
知識を身につけてしまうと、問題を複雑にしたくなってしまうのです。
そのあたりは10年ほど前に話題になったエンゲストロームの「拡張学習理論」が的確に指摘しています。

原発の安全運転など、どうでも良い話で、原発と原爆が同じだと理解すれば、問題は極めて簡単なのです。
学者には仕事になっても、実際には無意味な研究課題でしょう。
原爆の安全使用を考えているようなものです。

沖縄に基地がないと困るという人もいます。
日本が攻められるからだといいます。
基地がなければ攻められるのか。
私にはわかりませんが、さらに言えば、攻められて何が悪いのか、です。
今日、私のフェイスブックでそんな議論が盛んにされています。
でも私には、基地や軍隊は全く不要な存在のように思えます。
戦争が嫌いだからです。

問題はシンプルに考えれば良いと思いますが、どうしてみんな難しく考えるのでしょうか。
学校でいろいろと勉強してきたせいでしょうか。
それとも私の学び方が間違っていたのでしょうか。
どうも誰と議論していても、いつもどこか根本的なところでかみ合いません。
困ったものです。

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コメント

いや佐藤さん。佐藤さんの話も複雑で、決してシンプルじゃない場合もありますよ。結局、「敵の敵は味方」だとか、あるいは「ニワトリとひよこ」みたいなことなんでしょうかね。複雑に考えた結果が、実はシンプルなショートカットがあったということなのかもしれません。

投稿: 乾 真人 | 2012/05/20 12:05

乾さん
ありがとうございます。

私の話もシンプルではありませんか。
表現力不足ですね、きっと。
今度、シンプルでないと思われた時に、ぜひご指摘ください。
シンプルでないことに気がついていないのかもしれません。

でも実際には私の思考基準は極めてシンプルなのです。
自分の心に馴染めるかどうかが基準なのです。

投稿: 佐藤修 | 2012/05/27 09:43

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