■節子への挽歌1720:逆さ虹
節子
気分を変えて動き出すはずが、なかなかそう簡単ではありません。
しかし、挽歌の読者からは、
挽歌の更新がないので心配していました。
もしかして、奥さまの後を追われてしまったのではないかなどと考えてしまいました。とコメントまでもらいました。
これではいけないと思いながらも、なかなか気が乗ってきません。
お昼ごろ、娘から電話があり、めずらしい虹が出ているというのです。
急いで外に出てみましたが、場所の違いからかあんまりはっきりはしません。
しかしたしかに奇妙な虹です。
娘の友人が撮った写真を掲載させてもらいます。
「逆さ虹」と言って、時々、各地で目撃されているようですが、イギリスのある宇宙物理学者が「60年間生きてきたが、初めて見た」とコメントしているほど、めずらしいのだそうです。
それに見る角度によって、位置も変わってくるそうです。
ネットによれば、見ることができた人は非常に運がいいとのことです。
私もまあ、運がよかったのでしょうか。
この数週間、どうもあんまり運に恵まれませんでした。
みずからの気が萎えていると、運は寄り付いてくれません。
気分的にはなかなかマイナススパイラルから抜け出られずにいます。
実際に人は、生きる気を失うと死んでしまうことは、いろんな人が報告しています。
意図的にではなくても、結果的に節子の後を追うようになっては節子に合わす顔もありません。
節子には、あれほど「大変な生」を続けさせておきながら、自分が生を投げてはいけません。
そんなことをしたら、節子に追いかえさせられそうです。
逆さ虹も見たことですから、気を起こして、挽歌も書きましょう。
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コメント
佐藤様
下記の文を読んで、少し考え込んでしまいました。
> 人は、生きる気を失うと死んでしまうことは、いろんな人が報告しています。
先日のコメントでも書いた通り、僕は妻を亡くしてから希死念慮があります。
でも、もしこの報告が本当なのであれば、僕が生き続けているということは、まだ生きる気力を失っていないということになるのでしょう。
自覚はありませんが…
投稿: ぷーちゃん | 2012/05/26 22:17
ぶーちゃん
私は、妻から生きる意味を与えられているように感じています。
ぶーちゃんも、そうではないでしょうか。
それと希死念慮は、別の次元の話かもしれません。
うまく書けないのですが、もしかしたら希死念慮こそが、生きる気から生まれているのかもしれません。
おかしな言い方ですが、生きていないと死ぬこともできませんし。
いつかお会いできますように。
投稿: 佐藤修 | 2012/05/27 09:54