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2012/05/29

■節子への挽歌1726:誕生日の意味

節子
私も明日で71歳です。
信じられないような年齢です。
まさかこの歳まで自分が生きているとは思ってもいませんでした。
しかし気分的にはまだ学生の頃とそう変わってはいないのです。
節子がもし元気だったら、まだまだ青春を謳歌している気分でしょう。
節子がいなくなってから、私の時間軸はどうも狂い続けています。
5年前でストップしているようであり、はるかな時間を過ごしたようであり、自分の歳もわかりにくくなっています。
ただ、節子は62歳で止まってしまったので、私の年齢感覚もそれに大きく影響されているのは間違いありません。

人の年齢感覚は不思議です、
小学生時代の友人たちといると、みんなその時に気分に戻ってしまいます。
まさに人との関係性のなかに、年齢があるのです。
そして自分を基準に人の年齢を感じてしまいます。
私は今でも60代の人を見ると、私よりも年上に感じます。
客観的には私のほうがずっと年上なのですが、どうしても年上に感じてしまうのです。
自分の姿は自分では見られません。
鏡で見ることはありますが、鏡の中の自分をまじまじと見ることはそうはありませんし、なによりも私の場合、鏡の中の自分よりも私の意識の中の自分のほうが自分だと思っています。

節子と日々暮らしていたら、それ相応に「老い」を感じられるかもしれませんが、節子がいないいまは、むしろ「老い」を感じられないような気がします。
だからこそ、逆に心身のギャップから過剰な疲労を背負い込んでしまうのかもしれません。

ジュン夫婦が今日は一日はやい私の誕生日を祝ってくれました。
ナポリ土産のパスタで海鮮料理を作ってくれました。
とても美味しかったです。
節子がいたらどんなに喜んだことでしょう。
Photo

料理はとても美味しかったのですが、いまはもう、私には誕生日はほとんど意味のないものになってしまいました。
誕生日は、やはり子供たちにではなく、愛する妻に祝ってほしい記念日です。
妻と共に人生を重ねることには意味がありますが、一人で人生を重ねていくことの意味は、残念ながらあまり実感できないからです。
ちょっとひねくれてしまっているのかもしれませんが。

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