■支援者の犯罪
選挙の前に、「○○をよろしく」とか「○○事務所ですが、今日は投票日ですがもう投票に行かれましたか」というような電話があると、私はその候補に投票しようと思っていても、投票はしないようにしています。
理由は言うまでもないでしょう。
そういうことが毎回起こりますので、最近は市会議員選挙がとても憂鬱です。
それはともかく、数日前にメーリングリストで、小沢事件の控訴をしないように3人の検察側弁護士に電話しようと、電話番号まで書いた呼びかけがまわってきました。
その人は、自分は3人と電話で話したとも書いていました。
その人の、これまでのメーリングリストへの投稿記事は、私には共感できるものが多かったのですが、これからはもう読まないことにしました。
そのメールを読んだ時に、もしかしたら控訴されるかもしれないと思いました。
しかし、まさか本当にそうなるとは思ってもいませんでした。
今回の控訴の引き金は、たぶん小沢さんの支援者が引いたと思います。
小沢さんは不幸な支援者を持ってしまったわけです。
こうした事例はたくさんあります。
自称「支援者」の多くは、支援する人の存在に寄生している人ですから、主体性は皆無です。
支援する人の都合などは一切考えません。
「支援」されている人にとっては、実に迷惑な存在でしょう。
それが芸能や経済の世界であれば、まあ被害はさほどではないのですが、政権に関わるような政治の問題となると影響が大きいです。
しかし、そうした人を罰することは難しいでしょう。
その人は、自己の「正義感」をますます高め、活動はエスカレートしていくでしょう。
彼にとっては、挫折こそが好ましい結果を生むわけです。
これは「産業のジレンマ」と私が読んでいるものと通じています。
つまり「近代のジレンマ」なのです。
小沢控訴でがっくりしてしまい、どうもまた元気が出てきません。
たった3人の弁護士が国の命運を決めてしまう仕組みにも、改めて驚かされます。
3人はこれでしばらくまた仕事を得られます。
ここにも「近代のジレンマ」が存在しています。
近代の仕事は、見事にオートポエティックなのかもしれません。
なんだかクラインの壺にはまってしまっているような、不気味さを感じます。
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