■節子への挽歌1717:粗雑な生き方
節子
オフィスの黒めだかが全滅してしまいました。
とても残念です。
この数日、あまりオフィスに行かなかったのと、行ってもめだかに声をかけなかったからかもしれません。
だいぶ水が汚れていたので、水槽を掃除しようと思いながら、先延ばしにしていたのが失敗でした。
そういえば、せっかく冬を越したミニシクラメンも枯らせてしまいました。
いずれもとても元気だったので、ついつい気を抜いてしまいました。
生きているものとは、やはりていねいに付き合わないといけません。
とても反省しています。
最近、どうも生き方が粗雑になってきているような気がします。
節子がいたらきっと注意するでしょうが、いろんな意味で「粗雑」なのです。
もしいま、私が突然に生をやめたら、迷惑を受ける人は少なくないでしょう。
一日一日を大事に生きることを、節子から学んだと書いておきながら、最近の生き方はいささか「投げやり」になっています。
身体の不調が起こっても、まあいいかと思います。
今日やろうと思っていたことができなくても、まあいいかと思ってしまう。
気になることがあっても、ついつい見ない振りをしてしまう。
節子が一番怒りそうな生き方になってきています。
黒めだかの死は、もしかしたら、それを諭してくれているのかもしれません。
そういえば、最近はよくないことが頻発していますが、これももしかしたら私の生き方への警告かもしれません。
いまここに生きているものと誠実に付き合わずして、
いまここには生きていないものと誠実に付き合えるはずがありません。
実は、そのことを最近強く意識しすぎてしまっているために、なんだかとても生きにくくなっているのです。
気は、沈みだすとどんどん沈む一方です。
どこかで反転しないといけません。
愛する人を失った人は、どうやって気を反転させているのでしょうか。
私にも体験があるはずですが、そうもそれが思い出せません。
武田さんがいうように、もしかしたらちょっと危ういのかもしれません。
挽歌が書けなくなってきているのは、要注意ですね。
雨の日は、特に気が沈んでしまいます。
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