■節子への挽歌1705:去ってほしくない苦痛
節子
もう一つ、山田さんが話されたことを書いておきましょう。
今度は西田幾多郎の話です。
西田幾多郎は、若い頃、幼い娘を突然亡くします。
昨日まで歌ったり踊ったりしていた幼子が今日、白骨になって帰ってくると、これはどうしたことだろう。
西田幾多郎も嘆き悲しみ、苦しみます。
それを見た友人たちが、「いくら嘆いたって死んだ者はかえってこない」と慰めます。
そうしたことに関して、西田幾多郎はこう書いているのだそうです。
「せめて自分が生きている一生の間だけでも亡くなった子供のことを思い続けてやりたい。それが残された者の使命である」と。
あの西田幾多郎がと思って、調べてみました。
「我が子の死」と題されて『西田幾多郎随筆集』に掲載されている有名な文章でした。
長いですが、引用させてもらいます。
若きも老いたるも死ぬるは人生の常である。「親はこの苦痛の去ることを欲せぬ」
死んだのは我子ばかりでないと思えば、理においては少しも悲しむべき所はない。
しかし人生の常事であっても、悲しいことは悲しい。
飢渇は人間の自然であっても、飢渇は飢渇である。
人は死んだ者はいかにいっても還らぬから、諦めよ、忘れよという。
しかしこれが親に取っては堪え難き苦痛である。
時は凡ての傷を癒やすというのは自然の恵であって、
一方より見れば大切なことかも知らぬが、一方より見れば人間の不人情である。
何とかして忘れたくない、
何か記念を残してやりたい、
せめて我一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である。
(中略)
折にふれ物に感じて思い出すのが、せめてもの慰藉である。
死者に対しての心づくしである。
この悲は苦痛といえば誠に苦痛であろう。
しかし親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである。
去ってほしくない苦痛というのもあるのです。
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