« ■節子への挽歌1713:安らかだが退屈な日々 | トップページ | ■節子への挽歌1714:常紅樹 »

2012/05/12

■原発の安全廃炉計画の必要性

先日、このブログで、脱原発しても原子力技術者も原子力関係の仕事も、減らないから、雇用か脱原発の問題は存在しない、と書きました。

今日の後藤さんの講演「そもそも原発の安全運転は可能か」の最後に質疑応答の時間があったので、2つ質問させてもらいました。
一つは、「そもそも原発の安全廃炉は可能か。どのくらいの時間がかかるのか」でした。
残念ながら明確な回答はありませんでした。
その代わりに、きわめて「原子力ムラ住民」的な答が返ってきました。
「原子力関係企業は数年前から廃炉ビジネスがこれからの大きな市場と考えており、これでまたしばらくは仕事が出来ると考えている」。
まさに「産業がさらに新しい産業の市場を拡大する」という「産業のジレンマ」がしっかりと取り込まれているわけです。
顧客の創造を目指すドラッカー経営学の思う壺ですね。
その回答にはいささか失望してしまいましたが、まあ思っていた通りのことを原子力技術者から聞けました。

しかし問題は、安全廃炉の道のりです。
かなりの時間がかかるでしょう。
しかもそこからは経済価値は生まれてこないのです。
そこに悩ましさがあります。
しかも「安全確保〕はかなり難しいでしょう。
今でも産業廃棄物の不法投棄が続発していますが、そんなことをされたら、とうてい「安全廃炉」とは言えません。
脱原発を唱える人たちは、安全廃炉計画を議論するべきかもしれません。

実はもう一つ質問しました。
原発に飛行機が衝突したらどうなるか。
後藤さんはすでにシミュレーションしていました。
しかし、その答も残念ながら私にはピント外れでした。
厚いコンクリート壁は大丈夫かもしれないが、扉が持たないと言う話でした。
私の関心事は、爆発するのか、放射線量はどのくらい拡散するのか、という現象的な話でした。
しかしやはり技術者はそういうところにはあまり関心がいかないようです。
生活者の世界と技術者の世界は、やはりかなり違うようです。

|

« ■節子への挽歌1713:安らかだが退屈な日々 | トップページ | ■節子への挽歌1714:常紅樹 »

社会時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■原発の安全廃炉計画の必要性:

« ■節子への挽歌1713:安らかだが退屈な日々 | トップページ | ■節子への挽歌1714:常紅樹 »