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2012/05/12

■節子への挽歌1713:安らかだが退屈な日々

節子
この挽歌に時々投稿してくれる人が、最近の投稿で「死は安らぎ」だと書いてきてくれました。
その方も伴侶を亡くされましたが、「妻のいない現世から解放されて、彼岸で妻に会える」からと書いています。
死が安らぎだと思えることは、たぶん今の生も安らぎだといえるように思います。
その人は、その前のコメントで、

「自分を愛してくれる人が傍にいる。それだけで、人は死の恐怖をも忘れ去ることができるのかもしれませんね」
と書いていますが、死を安らぎだと思えることは、間違いなく今もなお「愛する人が傍にいる」ということでしょう。
問題は、それがなかなか「実感」できないことです。

実感できないことは、しかし、悪いだけではありません。
節子が元気だった頃、私たちはよく夫婦喧嘩をしました。
夫婦が決裂してしまうような危機もなかったわけではありません。
現実に毎日一緒にいれば、いいことだけではありません。
煩わしいこともあれば、安らげないこともある。
それは当然と言っていいでしょう。
どんなに愛し合っていても、ちょっとしたことで壊れてしまうこともあります。
もっと言えば、愛し合っていても終わってしまうことだってないとはいえません。

しかし、実際に隣に節子がいないいまは、もう愛が壊れることなどないのです。
節子の欠点が新たに発見されることもないですし、節子に嫌われることもない。
つまり、節子との関係は、もう変化しようもない。壊れようがないのです。
という意味で、安らかな生が確保されているのです。

もっとも、安らかさがいいわけではありません。
いつ嫌われるかもしれず、いつ嫌いになるかもしれない、そんな生のほうが魅力的ではあります。
そうした緊張感や刺激がないのが、どうも最近の私の気力が出ない原因かもしれないな、と思い出しています。
人生がますます退屈に感じられるこの頃です。

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コメント

「死が全てを解決する」(スターリン)を思い出しました。
優秀な時間を持つ計算機が見出した、問題の解法の1つが、死の概念なのでしょうかね。容易な。

計算機科学分野の停止問題と関係もしていそうです。多分ですけど。

投稿: 2933 | 2012/05/14 01:42

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