« ■節子への挽歌1713:安らかだが退屈な日々 | トップページ | ■原発の安全廃炉計画の必要性 »

2012/05/12

■原発は安全か

自らも原子力プラント設計技術者として「原子力ムラ」の一人だった、後藤政志さんの講演を聴いてきました。
タイトルは「そもそも原発の安全運転は可能か」でした。
主催したのは、私の友人の佐藤国仁さんです。
国仁さんは、鉄道関係の安全性の専門家ですが、昨年の福島原発事故を契機に、原発の問題に積極的に関わり、その活動の一環として「原発の安全性と縮小社会」をテーマにした3回連続講演会を企画したのです。
今日はその1回目でした。

私は基本的に、原子力ムラの人たちや大学の原子力関係の学者の話は信じていませんが、3.11以後の行動によって、少し信頼できる人もいるのだと思うようになってきました。
後藤さんは、3.11以後、いち早くユーチューブなどで情報発信してきた人です。
ユーチューブでは、何回もお話を聞かせてもらいましたが、やはり直接にお話を聴くとユーチューブでは伝わってこないものが伝わってきます。

後藤さんは、ストレステスト聴取会の委員の一人でもあります。
前にこのブログでも書いたような記憶がありますが、茶番とも言える委員会の流れに怒りの告発をした委員のお一人です。
後藤さんは、昨年末に、NPO法人APASTを立ち上げて、原発を含む現代科学技術のあり方と、適正なエネルギー消費社会実現に向けての調査研究や啓発事業に取り組みだしています。

それでも原発関係技術者への私の不信感はきわめて強いので、最初は少し斜に構えて聴いていました。
お話しになることは、ほぼすべて共感できるのですが、「何をいまさら」という思いがどうしても拭えないのです。
ところが、途中で後藤さんが「私にはもう原子力プラントは設計できない」と話しました。
こうした一人称自動詞の発言は、いつも私の心を開かせます。
そこでやっと私は、後藤さんの話を素直に聴きだせるようになりました。
そして、その後で、後藤さんは「原子力はなぜ危険か」を話しました。
原発は、実は本質的に「安全ではない」のです。
問題は、「安全運転」ではなく「存在の安全性」なのです。
ようやく私の関心事に重なりました。
土曜日の朝早くから、講演を聴きに来た甲斐がありました。

後藤さんは、まだ危険は去ってはいないといいました。
水蒸気爆発の危機も再臨界の危機も、依然としてあるのです。
そのことも明言されました。
安堵しました。この人は嘘は言わないと。
嘘を言わない人が増えていけば、原発問題は安全になっていくでしょう。
そして、原発は安全ではありえないことが見えてくるでしょう。

後藤さんはこうも言いました。
「外部に対して原子力プラントは安全だと言い続けてきた結果、自らも安全だと思い込むようになってしまった」と。明確ではありませんでしたが、これは後藤さんにも当てはまっているはずです。
反省がないところに真実はありません。

原発は、御用学者の斑目さんですら、安全とはいえないといったのです。
それを政治家が安全宣言して、海外に輸出するのです。
後藤さんは、海外で事故を起こした時にどう責任を取るのかと言いました。
財政再建などはまた吹っ飛んでしまうでしょう。
マネタリーエコノミーは政府もサブシステムに組み込んでしまったようです。

講演で聴いてきた話を書こうと思ったのに、また違う話を書いてしまいました。
でもまあ、これが今日の講演で、私が思ったことです。

|

« ■節子への挽歌1713:安らかだが退屈な日々 | トップページ | ■原発の安全廃炉計画の必要性 »

社会時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/54694221

この記事へのトラックバック一覧です: ■原発は安全か:

« ■節子への挽歌1713:安らかだが退屈な日々 | トップページ | ■原発の安全廃炉計画の必要性 »