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2012/05/06

■節子への挽歌1708:不幸なのか幸せなのかは瑣末な話

長い連休が終わりました。
今年の連休は。不幸なバス事故からはじまり、最後は北関東地域での竜巻騒ぎでした。
使者を伴う人災で始まり、使者を伴う天災で終わりました。
私はこの9日間、意味のあることは何もせずに、無駄に時間を過ごしていました。
節子がいなくなってからの5月の連休は、いつもこんな感じで過ごしているような気がします。
「楽しもう」とか「どこかに行こう」という気はまったく起きないのです。
不思議といえば不思議です。
禁欲的になったといえるかもしれませんが、なにか楽しいとか美味しいとか、そういった気分を味わうことへの意欲が完全と言っていいほどに消え去っているのです。

世間が華やかになることへの抵抗はありません。
世間が賑やかに、楽しい状況になることはむしろうれしいことです。
「やっかみ気分」はなくなっています。
一時は、そうした気分がまったくなかったわけでもありません。
しかし、いまは明るい話を聞けばうれしくなります。
むしろ世の中の暗い話や悲しい話は聞きたくありません。

こういう状況になって感じるのは、世間は他者の不幸の話を好んでいるのではないかということです。
ともかくテレビや新聞で報道されるのは、悲しい話が多いのです。
そういう話は、私はもう聞きたくありません。
事故であろうと事件であろうと、なんでこうも詳しく報道するのかと思うことが少なくありません。
特に被害者が涙ながらに語るシーンは、見たくもありません。
あとでとても後悔するのではないかという危惧もあります。

気のせいか、今年の連休の間の報道は、あまり明るくありませんでした。
昨年もそうでした。
3.11やバスの事故のせいかもしれませんが、もしかしたらそれだけではないのかもしれません。
社会全体が、あるいは多くの人たちが、疲れているからでしょうか。
他者の不幸を知りたがっているのでしょうか。
他者の不幸を知りたい人は、たぶん自らも不幸なのでしょう。

しかし本当の不幸を体験すると、人は幸せになれるものです。
不幸と幸せは、ほんとうにコインの裏表です。
最近つくづくそう思います。
自分が不幸なのか幸せなのか、まったくわからなくなってきました。
そもそもそんなことは瑣末なことなのではないかと思うようになってきているのです。

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