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2012年6月

2012/06/29

■節子への挽歌1762:けだるい昼下がり

節子
今日も夏のような暑い日になりました。
梅雨なのに、雨が降りません。
久しぶりに湯島のオフィスに来たら、植物がみんな元気ありません。

部屋を閉め切ってしまっていたせいかもしれません。
私はいつもベランダ側のドアを少しだけ開けておくのですが、最近いろんな人が使うので、閉める人も多いのでしょう。
しかし、密閉空間になると生き物は生きていけません。

湯島には盗まれて困るようなものは何もありませんから、むしろ開けっ放しにしたいところですが、そうもいきません。
植物はベランダに出せばいいのですが、夏の日照りは強いので、それもできません。
やはりこまめに来て、声をかけるのが一番です。
これはけっこう面倒なのです。

今日は午後、2組の来客がありました。
いずれも節子も知っている、以前のサロンの常連です。
湯島に来る人たちは、節子がいた頃とは一変していますが、時々、昔の人もやってきます。

いつもは、来客と来客の間まで埋めてしまうのですが、最近はできるだけ間をとるようにしています。
その間、ボーっとしていることが多いです。
今日も先ほどから、しばらく東京の空を見ていました。
空の向こうに彼岸があるのでしょうか。
空を見ていると、何となくそんな気がしてきます。
そういえば、以前も節子と一緒にこんな時間をどこかで過ごしたことがあったような気がします。
たぶん北茨城の海でした。
アポロが月面着陸した翌日でした。
暑い日でした。

夏のようなけだるい昼下がり。
あの時は、波の音が聞こえていました。
今日も耳を澄ますと、波の音が聞こえてきます。

今日、やってきたFさんは、佐藤さんはあの世とこの世を行き来しているからと言っていました。
もしかしたら、そうなのかもしれません。

次の来客までまだ1時間近くあるでしょう。
この挽歌をアップしたら、もう少し波の音を聞いていようと思います。

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■個人が自立して生きていけない社会

政治が一向に動きません。
こういうだらだら状況は当事者には意味があるでしょうが、見ているほうはストレスがたまります。
コミュニケーションや信頼感のポイントは、「わかりやすさ」です。
小沢さんは、いつもそれが欠けているので、敵が多いのでしょう。
彼には「戦う勇気」がないのかもしれません。
小沢嫌いにも関わらず、今回、小沢さんに期待していた私も、つくづく呆れてしまいました。
みんなが言うように、やはり彼はもう終わっていたのかもしれません。
いや、政治が終わったのでしょう。

今朝のテレビを見ていて、小沢さんに近い東さんへの信頼感が高まりました。
東新党ができて、消費税増税延期、原発再稼動中止を旗印に動き出せば、新しい風が起こるかもしれません。
しかし、政治家がそうした動きを起こさないのが不思議です。
みんな組織に隷属しているのでしょう。
みんなから冷笑されていた新党きずなを、私は評価しています。
彼らは、まだ意志を持った人間でした。

今朝のテレビで、東さんの発言に対して、コメンテーターと言われる人たちは、東さんも民主党の一員であり、内閣にも関わっていたのに、なぜこの3年、自らの主張を実現できなかったのか、と責めていました。
実現できなかったから、彼は反対票を投じたのですが、テレビの常連たちはみんな権力に迎合したところに身を置いていますから、それが理解できないのでしょう。
太った豚たちのコメントは、いつも退屈です。

陸山会事件を巡る虚偽報告書問題の最高検による処分は、驚くことに田代検事の尻尾切りで終わり、当時の上司ら6人は不起訴になりました。この事件は限りなく組織犯罪の疑いが強いですが(もしそうでなければ検察の規律は壊れているとしかいえません)、結局、組織の論理が働きました。
司法界には、たぶんもう人間はあまりいないのでしょう。

電力会社の株主総会は見事に組織の論理で貫かれています。
壇上の人たちが人間には見えてきませんでした。
しかもなぜ真ん中に勝俣さんがいるのか。
彼が犯罪者である事は明らかでしょう。
水俣の時と同じです。
電力会社で働く真面目な社員やその家族はどう思っているでしょうか。

個人が自立して生きていけない社会になってしまっています。
システムや組織に隷属して生きなければいけなくなってきているような気さえします
障害者自立支援や若者自立支援も大切ですが、自立すべき人は違うのではないかと思います。

私は、生活においては、あんまり自立できておらず、食事でさえまともにつくれないと、娘に怒られていますが、組織やシステムにだけは隷属したくないと思っています。
太った豚ではなく、痩せたソクラテスになれと、卒業式で訓示されましたが、それだけはきちんと守っています。
最近はお腹が出てきてしまっていますが。

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2012/06/28

■節子への挽歌1761:世界から生々しさが後退しつつあるような

節子
一昨日、湯河原の温泉街を少しだけ歩きました。
道は拡幅されて、歩道も整備され歩きやすくなりましたが、人通りは少なく、お店もかなりの割合でシャッターが閉まっていました。
バス停で街の人とお煎餅屋さんのご主人らしき人と20分ほど話しました。
閉まっている店が多いですね、というと、道がきれいになるにつれて、お店が閉まりだしたと教えてくれました。
たしかにそのようです。
それに少し歩いた感じでは、以前のような、親しみを持ってちょっと入ってみようかというお店もあまりありません。
節子とは時々、ここを歩きましたが、節子がいないせいかもしれませんが、なんだか違う街のようでした。

私の気のせいだとは思うのですが、節子がいなくなってから、東京も含めて、どこもかしこも、なんだかとてもモダンになってきたような気がしてなりません。
私の意識が変わったのかもしれません。
人間らしさや良い意味での猥雑さが消えつつあるように感じます。

節子は、どちらかと言うと、私よりはモダンが好きでした。
丸の内界隈が変わったり、六本木が変わったりすると、出かけていくようなタイプでした。
そのくせ一方では、自然の中の古民家も好きでした。
要はいい加減だったのですが、自分に素直だったとも言えます。
知識による先入観がなかったのです。
知識がなかったというと節子は怒るでしょうが、まあそんな感じもあります。
節子は、素直に、「良い」と感じたら好きになり、感じなかったら好きにはなりませんでした。
小賢しい理屈を振り回す私とは違っていました。
ただ惜しむらくは、そもそもの趣味があまりよくなかったことです。
節子が好むファッションは、私にはいささか奇妙な感じのものが多かったです。
これ以上書くと節子に怒られそうですね。

私は、最近のとてもモダンで、そのくせ装飾的な空間が好きではありません。
何かとても疲れるのです。
しかし、そういう空間に行くと、節子だったら喜ぶだろうなと思うことがよくあります。
テレビもデジタル化されて、画面がとてもきれいになりました。
節子はそうしたきれいなテレビ画面を見ることがありませんでした。
節子のいた頃には、わが家には大型テレビもありませんでしたし。
テレビで、実物よりも鮮やかとさえ思える観光地のドキュメンタリーを見るたびに、節子に見せてやりたいと思います。

世界はどんどん「きれい」になってきています。
私にはだんだん「ヴァーチャル」になってきているようにも思います。
世界から、生々しさが後退しつつあるように思うのです。
これは、私の生命力が弱まっていることの現われかもしれません。
現実空間とヴァーチャル空間がなんだか近づいているような気もします。
私が、ヴァーチャル空間に吸い寄せられているのかもしれません。
たしかにいまのところ、現実世界に私を引き止めておく力はありません。

2日間、自然の中で日常を離れてのんびりしていたのに、残念ながらあまり生気は蘇ってきていないようです。
それは当然でしょうね。
やはり1週間くらい、一人で山ごもりしないといけないのかもしれません。

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■節子への挽歌1760:自分を見直す旅

湯河原に宿泊して、兄との旅行の2日目は、小田原の大雄山最乗寺に行きました。
ここも節子のお気に入りでした。
最後に来たのは再発する前の年の秋だったでしょうか。
節子の姉夫婦と一緒でした。
大雄山はかなり参道の坂を登っていかなくてはいけないのですが、節子はよく頑張りました。
ただ堂内では、もう階段はあまり登れなかったのを覚えています。
あの時もたぶん、節子は姉夫婦を案内したかったのでしょう。
節子は、ともかく思い出をたくさん残していきたかったのです。

思い出を託せる人がいる人は幸せです。
私には、そういう人はいるでしょうか。
私がいなくなった後に、思い出してほしい人です。
娘たちは思い出してくれるでしょうが、やはり親子とは別に、そうした人がいるかどうかは大きな違いです。

節子の父は、60代で亡くなりました。
そのお葬式はまだ伝統的なスタイルが残されていました。
当時の葬儀は3日がかりで、親戚やら在所の人やらが50人ほど連日、お酒を飲んでいました。
下戸の私は、お酒をどう交わすかで苦労しました。
それに、向こうは余所者の私を知っていても、私は誰が誰やらほとんど知らないのです。
宴席は基本的に男性だけでしたので、節子に紹介してもらうこともできませんでした。
ただただひたすらお酒を勧められるだけでした。

まだ土葬で、お墓まで親族がお棺を担いでいくのです。
先導役は孫の役目で、確か娘のユカが白装束でつとめました。
私は担ぎ手の一人だったと記憶していますが、その時に、途中の大きな樹のかげで、一人で目立たないように手を合わせている男性がいました。
とても気になって、後で節子に、あの人は誰なのかと訊きました。
隣の村の人で、あまりみんなとは付き合いがなかったけれど、節子のお父さんがいろいろと親切にしてやっていたのだそうです。
理由は忘れましたが、正式の宴席には顔を出せなかったようです。

私の葬儀にも、そうして、だれにも気づかれずに、樹の陰から手を合わせて見送ってくれる人がいるといいなと、その時、思ったのを思い出しました。
そういうところにこそ、人の生き方が現れるものです。

それでまた思い出しました。
節子の葬儀の時の弔問記帳簿に、私の全く知らない人が記帳してくれていました。
たしか松戸から来てくれていました。
誰だろうと少し調べてみましたが、わかりませんでした。
その時も、実は節子のお父さんの時にことを思い出しました。
もう少しきちんと調べればよかったと悔やまれますが、当時は、むしろ調べるべきではないとなぜか思ってしまっていました。

葬儀の時にこそ、その人の人生が見えてくるとよく言います。
節子の葬儀は、とてもいい葬儀でした。
さて私の場合はどうでしょうか。
誰にも気づかれることなく、ひっそりと見送ってくれる人が一人でもいるとうれしいです。
そのためには、もう少しきちんと生きなければいけません。
最近少し自堕落になってきているのを反省しなければいけません。

今回の兄との旅は、自分を見直す旅でもありました。

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■節子への挽歌1759:兄との箱根旅行

節子
また2日間、挽歌を書けませんでした。
実は、兄と一緒に箱根に行っていました。
学生時代以来の兄との旅行でした。
兄とは仲が悪いわけではないのですが、考え方や生き方が、かなり違うのです。
それで会うと必ずと言っていいほど、言い争いになってしまうのです。
節子がいた頃は、お互い、夫婦連れで旅行にも行きましたが、節子がいつも緩衝材になってくれていました。

まあお互いに、そう先のある歳でもないので、一緒に箱根にでも行こうと誘ったのです。
箱根であれば、お互いによく行っているところなので、観光する必要もありません。
それに、節子がいなくなってからは、私自身は一人では箱根には登れなくなっているのです。
急な思いつきの誘いでしたが、兄は予定を変更してくれて付き合ってくれました。
私と違って、兄はそういうタイプなのです。

3回ほど、言い争いになりかけましたが、まあまあ平和な時間を過ごせました。
節子がもし一緒だったら、何回かひやひやしたでしょうが、最後は握手まで求められましたから、兄も喜んでくれたと思います。
私も久しぶりにのんびりすると共に、鬱積していたことを吐き出させてもらいました。
考えてみると、最近は、そうしたことを吐き出す相手がいませんでした。

梅雨の真っ只中なのに、天気に恵まれました。
節子が好きだった箱根の恩賜公園でも休んできました。
富士山はあまり見えませんでしたが、ここで節子と一緒に見た富士山は今でも鮮明に覚えています。

Photo_2

節子は箱根が大好きでした。
何回、付き合わされたことでしょうか。
もう付き合わされることがないと思うと、とてもさびしいです。

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2012/06/25

■節子への挽歌1758:節子のありがたみ

節子
私の一番の苦手は買い物です。
コンビニくらいでは買い物もできますが、スーパーやデパートはどうも苦手です。
これは節子のせいです。
節子がいる時には、いつも節子が買い物をしていました。
私が商品を選ぶこともありましたが、買うのはいつも節子でした。
外食の支払もすべて節子でした。
そのため、私は財布を持つ必要がありませんでした。
というか、私は財布をもつことが嫌いでした。
お金が好きになれなかったからです。
最近は、カードや電子マネーができたので、お金がなくても買い物ができるので、前よりは抵抗が少なくなりましたが、できることなら買い物はしたくないです。

節子がいなくなってから、買い物がどうも困ります。
私は、ほとんど、物を買わないのですが(書籍だけは別ですが、これはネットで買えるので抵抗がありません)、それでも時に必要な物も出てきます。
そういう時には娘に頼みますが、問題は衣服や靴です。
これは好みやサイズもありますので、頼むわけにもいきません。
それで、いまは頼み込んで同行してもらい、商品を選んで、買うのは娘に頼みます。

もう一つだめなのが、クリーニング店です。
娘は、クリーニング店くらいは自分で行くようにと言いますが、これも苦手です。
行ったことがありません。
なんで行けないのか、と娘には言われますが、人にはそれぞれ苦手なことがあるものです。

節子と一緒の時には、それぞれ得手不得手を認め合い、補っていました。
得手を活かし、不得手を補ってもらうのは、とても気持ちのいいものです。
人は、他者に何かをしてもらいたいと思いながら、同時に、他者に何かをしてあげたいと、深く思っています。
「してもらうこと」と「してやること」と、どちらがうれしいかと言えば、たぶん、後者です。
しかし、もっとうれしいのは、両者が重なることでしょう。
「してやること」が「してもらいこと」に重なる。
それが、伴侶たる者同士の関係です。
そこでは、「してやる」とか「してもらう」ということさえ、無意味になります。
夫婦とは、実に不思議な存在でした。

私のために娘のできることはたくさんあります。
いまは食事もつくってもらっています。
問題は、娘のために私ができることがあまりないことです。
夫婦と親子は、やはりまったく違います。
親子には、それぞれの人生があります。
しかし、夫婦の場合、それぞれの人生が、2人の人生でもあるのです。
そうでない夫婦も少なくないでしょうが、私たちはそうでした。
だからこそ、今の私の苦労や寂しさがあるのかもしれません。

娘は、お母さんが言っていたように、もっと自立しておけばよかったね、と言います。
しかし、私は思います。
自立してなくてよかった。節子のありがたさがますますわかってくるから、と。

節子
あなたがいなくても、まあ、なんとか娘たちのおかげでやっています。
時々、「節子だったらなあ」と言って、ひんしゅくをかっていますが。

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2012/06/24

■節子への挽歌1757:「問題はいかに生きるかです」

節子
節子の病気が発見された時に、知り合いのお2人の医師に相談しようと思いました。
しかし、相談しかけて、途中で止めました。
なぜならいずれからも、私が最も聞きたくない言葉が発せられたからです。
信頼していただけに、とてもショックでした。
以来、医師を心からは信頼できずにいます。

その言葉は、「死に方の問題です」という言葉です。
病気になった人や家族は、生き方に関心があるのです。
誰も死に方なんか聞いていない。
その言葉を聞いた時には、頭が白くなりました。
私は「生き方」を訊いているのに、彼らは「死」を前提に話している。
医師として、あるまじき姿勢だと、私は思いました。

その人と付き合いを再開するまでにはかなりの時間が必要でした。
お一人とはもう縁はなくなりました。
念のために言えば、彼らは誠実に対応してくれたのでしょう。
彼らには、死が見えていたのです。
しかし、それでは患者の生を躍動などさせられません。
私には「死の商人」としか思えない。
当時は、そこまで思いました。
医師は、病気を治すのではなく、人を生かすことを目指してほしいものです。

思うことあって、久しぶりにスーザン・ソンタグのエッセイを読みました。
アメリカの作家で、村上春樹が受賞したエルサレム賞も受賞しています。
彼女も、癌を患いながらの活動でしたが、数年前に亡くなりました。
その考えには、私にはついていけないところも少なくありませんが、エッセイなどを読むとハッと気づかされることが多いのです。
生き方において行きづまったら読みたくなる作家の一人です。

そのソンタグが、こう語っていました。
大江健三郎との往復書簡の中に出てくる文章です。
今回初めて気づきました。

「私たちがいずれ死ぬことは確実です。問題はいかに生きるかです。」

生き方を考えている人と死に方を考えている人がいる。
節子は、最後まで前者でした。
私も、そうありたいと思っています。

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2012/06/23

■節子への挽歌1756:死に急ぐことなかれ

節子
私と同じように、伴侶に先立たれた1人の人から、この挽歌にコメントをもらいました。
私の挽歌が、そういう文章を引き出しているのかもしれませんが、お2人共に同じような言葉が書かれています。

「出来るだけ早く私も旅立ちたい。」
「残る人生が一日でも早く終わりを遂げること。僕の望みはただそれだけです。」

おそらく愛する人を見送った人の、これは偽らざる気持ちなのではないかと思います。
少なくとも、私の場合もそうです。

こうした気持ちが生まれてくることは、もしかしたら、とても幸せなことかもしれません。
しかし、同時に、だからこそ、生きることを大切にしたいと思う気持ちも生まれます。
でなければ、あれほど生きつづけようとした節子を裏切るような気がするのです。
それに、今の私は、すでにその生の一部は節子になっています。
節子の分まで生きるなどということは思いもしませんが、節子と共に、この生を大切にしないわけにはいきません。
節子と一緒に人生を終えることができなかったことの意味も大切にしたいとも思います。
死への恐れも生への執着もありませんが、生には、節子がそうであったように、誠実にありたいのです。

ぶーちゃん
Pattiさん
死に急ぐのはやめましょう。
彼岸には、時がないといいます。
急ぐことに意味はないのです。
お2人よりも、わずかに長く生きている私も、お2人と同じような時期もありました。
しかし、そこを越えてきたのは、節子への愛からでした。
人を愛するとは、自らを愛することでなければいけません。
4年近く思い続けてきて、そういうことにも少しずつ気づいてきました。

先立ってしまった、愛する人のために、できることはたくさんある。
最近、そんな気もしています。
それに、私がいなくなったら、節子を毎日思い出す人がいなくなり、節子の痕跡は消えていってしまいます。
位牌に灯明を立てる人もいなくなり、お盆にも現世に戻ってこられなくなる。
私と一緒になったはずの、節子の片割れも、もう少し現世を楽しみたいと思っているかもしれません。
節子だったら、こんなことをしただろうことも、しなくてはいけません。
私の生は、節子のものでもあるからです。

よかったら、湯島に一度、来ませんか。

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■責任をとるということ

沖縄全戦没者追悼式での野田首相のスピーチをテレビで見ていて、大きな違和感を持ちました。
私には、そこに存在することが最も相応しくない人に見えました。
せめてもの救いは、広島や長崎でなかったことですが、まもなくその季節も来ます。

古代ローマの歴史家ツキディディスは、「結果の予測しがたい戦争を起こせば、これを立派に戦い収めることはまさに至難となる」と述べています。
その言葉を思い出します。
原発再稼動や原発輸出は、私には、まさに「結果の予測しがたい戦争」にほかなりません。
最近のように、原子力発電の実態がかなり明確になってきている状況の中で、いまなお原発を推進しようとすることの無責任さには驚きますが、にもかかわらず、野田首相は「責任を取る」と公言しています。

「責任を取る」という言葉は、あまり意味のある言葉とは思えませんが、責任を語る人が、だれのために活動しているかを明らかにしてくれます。
野田首相の上司は、国民ではなく、産軍官複合体を構築している「システム」です。
彼には、国民の生活の安寧など眼中にないでしょう。
彼が「責任」と言った時の相手もまた、国民ではなく、「システム」なのではないかと思います。
上司である財界人や財務省官僚は、国民を犠牲にしてでも経済を守れと彼に命じているように感じます。
小泉元首相が、郵政民営化で演じた役割とどこか似ています。
いずれも、国民の生活は収奪すべき市場でしかないのです。

作家のスーザン・ソンタグは、9.11事件が発生した後、狂気のイラク戦争を国民に呼びかけたブッシュ大統領を、「ロボット状態のアメリカの大統領」と呼びました。
最近の野田首相は、私にはまさに、ロボット常態の日本の首相に見えてきます。

さて、責任です。
社会が現代ほど複雑になってくると、責任の取り方も簡単ではありません。
多くの場合、人は組織や社会的立場によって、その役割を果たすようになってきます。
そして、個人では手におえないような、社会との関わりの中での新しい責任が発生します。
いわゆる「任務責任」です。社会的責任と言ってもいいでしょう。
ここで重要なのは、その責任の内容は、どちらを向くかでまったく違ったものになることです。

上司の命令に対する責任でさえ、命令を忠実に果たすことではありません。
ロボットは、ただただ命令を忠実に果たせば良いでしょう。
しかし、人間は違います。
第二次世界大戦後に行われたニュールンベルグ裁判で、「上司の命令に対する服従は違法性を阻却しない」という、いわゆるニュールンベルグ原則が認められました。
つまり、責任は状況に応じて、反対の側からも吟味されるということです。

「責任を取る」などと軽々に語ってほしくありません。
その前に、会場の沖縄平和祈念公園に残されている多くの人たちの手記を30分で良いですから、読んできて欲しいものです。
責任を取るとはどういうことか、少しは考える気になるでしょうから。
人が大切にすべきことは、一つしかありません。

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2012/06/22

■節子への挽歌1755:「よかったわね」

節子
今日は、成田に行ってきました。
若者の自立支援に取り組んでいる人たちと話し合うためです。
仕事ではありません。
そこに関わりだした人が、一度、来てほしいとメールしてきたからです。
私が行くことを知って、所長がみんなを集めてくれていました。
突然の訪問で迷惑だったかもしれませんが、少しは役に立ったかもしれません。

宮沢賢治の「雨にもまけず」とは違って、
私は、雨にも風にも負けながら、生きていますが、
賢治と同じように、
東に困っている人がいれば、行って、困らなくても良いよといい、
西に寂しがっている人がいれば、行って、寂しがらなくても良いよといい、
というような生き方をしたいと思っています。

「みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず くにもされず
そういうものに わたしはなりたい」
というのは、私にとってはまさに理想です。
最近、かなりそうした状況になってきているような気もしますが、まだまだ私欲と自我が強く、デクノボーと呼ばれることに幸せを感ずるところまでにはいけずにいます。
時に、自らの賢さや過去のことを顕示したくなるのです。
そうした自分が、時にいやになります。

人は、生涯に自らを理解してくれる人に、一人でも会えれば、幸せと言うべきでしょう。
自分を知っている人がいれば、人は安堵できます。
いくら有名になり、みんなに知られたところで、たぶんその幸せはやってこないように思います。
知ってくれている人は、一人でいいのです。

一人でも、自分をわかってくれているという確信があれば、小賢しい顕示欲などは生まれないでしょう。
節子がいた頃は、だれかに誤解されたりしても、あまり気にもなりませんでした。
時に、そうした気持ちが生まれそうになっても、節子がその邪念を吸い取ってくれました。
つまり、私の「自慢話」を聞き流してくれたのです。

今日、出会った人たちとは、たぶんわずかばかりでしょうが、心触れ合った気がします。
きっと何かが動き出すでしょう。
でも、帰ってきて、今日の話をする相手がいないのが、とてもさびしい。
節子がいたら、私の話をだまって聞いてくれたでしょう。
そして、私が話し終わると、最後に笑いながら言ったでしょう。
「よかったわね」と。
その一言が、もう聞けないのが、さびしいです。

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2012/06/21

■「その先のない人」

最近、なぜか無性に腹が立っています。
その怒りの矛先は、実は私自身なのでしょうが、現象的にはあらゆるものに向いています。
怒りの中で生きるのは、それなりに辛いものがあります。
そのせいでしょうか、このところ、奇妙な不安感に襲われることもあります。
具体的に何かが不安なのではありません。
何かわからない、大きな不安感が襲ってきます。
こんな事はいままであったでしょうか。

それで、今日はすべての約束をキャンセルさせてもらい、少し自らの生き方を問い直してみようと思いました。
なぜ、これほどに腹が立つのか。
なぜわけのわからない不安に襲われるのか。

1日くらい考えたところで、わかるはずもありません。
むしろ、怒りと不安は、高まりこそすれ、おさまることはありませんでした。
でも、ちょっとだけこころに余裕が出来ました。
時に、立ち止まることは大切です。
少し逸脱して自分を見られたからです。

午前中、荒れ放題になっている近くの農園で雑草を刈りました。
息が切れて、注意しないと熱中症になりかねなかったのですが、身体的疲労は快く精神を癒してくれました。
午後は、数年前に読んだスーザン・ソンタグのエッセイを読みました。
なぜか数日前から読み直したくなっていたのです。
そのエッセイに、こんな文章がありました。
この文章を読みたくて、ソンタグを思い出したのだと確信しました。
2001年にソンタグが、エルサレム賞の授賞式で話した時の言葉です。

堕落が居座っているとひたすら驚くだけで、手をこまねいている人。
人間というものが、自分以外の人間たちに対して、どれほど陰惨で直接的な残酷な行為をしでかしてしまうものか、その証左を突きつけられても、幻滅するばかりで、その先のない人。こういう人たちは、道義的または心理的に大人になっていない。
ある年齢を過ぎたら、この種の無邪気さ、浅薄さ、ここまでの無知、好都合なだけの健忘症をかこって許される人は、誰もいない。
これは、まさに自分のことではないか!

この言葉の背景にあるのは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争であり、あるいはパレスチナの現実でしょうが、日本の現状にもまさに当てはまります。
あまりにも見事に重なります。
「その先のない人」といわれないように、もっと前に進まないといけません。
明日から、出直しです。

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■節子への挽歌1754:すべて棚上げして

節子
今日の予定をすべてキャンセルしてしまいました。
なんだか急にすべてが無駄なような、虚無感に襲われてしまったのです。
抱えている問題も、今日はすべて棚上げです。
なんだか、最近の日本の政治と同じですが、1日だけでも、すべてから自分を解放し、何も考えないことにしました。
節子がいたら、きっと私に、そうアドバイスしたでしょう。
それでも午前中は電話などがかかってきたので、携帯電話も切りました。

午前中は、雑草の生い茂っている家庭農園に行って、草狩りをしてきました。
今日は誰の手伝いもなく、私一人です。
30分もすると、もうへとへとです。
この農園、といっても単なる空地ですが、50坪くらいあります。
30分やっても、きれいにできるのはほんの一部。先が思いやられます。
しかし、まあ気持ちの良い汗をかきました。
シャワーを浴びて、さて今度は何をやるか。
ついつい気になっている宿題のことを考えがちですが、今日はすべて棚上げです。

それで思い出しました。
以前も、仕事などで行きづまると、節子を誘ってどこかに出かけました。
時には、私の状況を察してか、節子が誘ってくれることも少なくありませんでした。
出かけた先では、日常から開放され、節子との世界に浸りました。
それが私の元気の素でした。
そうした気分転換がないまま、最近は生活が単調になっているのが問題なのかもしれません。

しかし、必ずしも同じ生活の繰り返しが悪いわけでもなさそうです。
先ほど、テレビを見ていたら、長年ずっと厚焼き玉子のお店をやっている人が紹介されていました。
奥さんと2人でお店をやっていたそうです。
ところが今春、奥さんが亡くなってしまい、今は一人でお店をやっています。
毎日、ただただ卵焼きづくりです。
一人で丹精込めた厚焼き玉子を毎日つくっている。
それを見ていて、ああ、この人はいまも奥さんと一緒なんだと思いました。

家庭農園で草取りをしていると、どこかで節子とつながっている気がします。
抱えすぎている問題をもっともっと棚上げして、節子との時間をとらなければいけません。
幸いに、この挽歌も、ようやく、今日で、番号が正常化しました。
今日は、節子を送ってから1754日目です。

明日からは、きちんとまた毎日書いていこうと思います。
ところで、今日はこれから何をしましょうか。
節子がもしいたら、何をしたでしょうか。

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2012/06/20

■節子への挽歌1753:人間はやれることしかやれないのだから

前の記事と大きく矛盾することを書きます。
実はほぼこの2つの記事は続けて書いています。
私の中に、2つの矛盾する気持ちがあるからです。

この挽歌を読んでくださっている人には伝わっているかもしれませんが、この1か月ほど、私はあまり精神的に安定していません。
書いていることも、たぶん矛盾だらけで意味も不明瞭だと思いますが、それが正直な現状です。
しかし、そうした中でも、何かしなければいけないとか、誰かに頼まれたことは応えなければいけないとか、きちんと意味のある人生を送らなければいけないとか、そんなことに呪縛されているのです。
私はかなりわがままに生きていますし、周りにもやりたくないことはやらないと明言してきています。
しかし、その言動とは裏腹に、どこかに「お天道様に顔向けできるように」「節子を裏切らないように」という、奇妙な規範意識が無意識にいつも働いているのです。
昔からそうですが、予定を書いた手帳が白いとなぜか罪悪感が生まれるのです。
そのくせ、自分では、そういう生き方はやめなければいけないと思っている。

時々、心身が動けなくなるほど疲労感に襲われることもあります。
節子がいた頃は、節子がそれを癒してくれました。
しかい、いまはそれもありません。
一人で、背負い続けなければいけない。
私のようなひ弱な人間には、それなりに辛いことです。

別に肉体的に疲労するわけではありません。
たいした悩みを背負い込むわけでもない。
しかし、なぜか疲れてしまい、にもかかわらず、やらなくてもいいことを引き受けてしまう。
これは性分なのか、節子がいなくなった心の空白を埋めるためのものなのか、最近少しわからなくなってきてしまいました。
それに、やったところで、喜んでくれる人がいるわけでもありませんし、何かをもらえるわけでもなく、社会が変わるわけでもない。
しかも、昔のような充実感や達成感は全く得られません。
それがなぜかはわからないのですが。
すべてを投げ出したい気になることもある。

最近、少し無理をしているのかもしれません。
そんな気がしてきています。
人間はやれることしかやれないのだから、無理は厳禁です、というのが私の口癖です。
しかし、いつの間にか自分にだけは、そうなっていないのです。
誰も言ってくれないからです。
それは当然です。その役割を果たす節子がいないのですから。
だとしたら、自分で自分に言うしかない。
「人間はやれることしかやれないのだから、無理は厳禁」。
明日は約束していた集まりも、約束していた用事も、すべてキャンセルすることにしました。
それで誰かが迷惑を被っても、しかたがありません。
明日は晴れるといいのですが。

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■節子への挽歌1752:心理的ゾンビ

ハンフリーの「ソウルダスト」のことを続けます。
ハンフリーは、意識こそが人間の生の意味を変えたといいながら、生物は、しかし、意識など持たなくても生きていけると書いています。

オークの木やミミズ、蝶に生きる意志があるなどとは誰も思わない。これらの生き物は、必要に応じて、あらかじめプログラムされている多種多様な生命維持の仕方に従って本能的に行動する。人間もたいていの時間はそうしている。
たしかにその通りです。
意識を持たないまま生きている存在を、ハンフリーは「心理的ゾンビ」と呼んでいます。
ゾンビは「動く屍」ですから、あまり適切な表現とは思いませんが、彼は、意識のある生と意識のない生の区別に関心があるわけではなく、意識そのものの正体に関心があるのです。
彼の結論は、意識こそが世界を輝かせているということであり、世界は私たちの意識が創りあげた幻想であるとさえいうのですが、それはまた書き出すと長くなるのでやめましょう。
それにちょっと私には理解しかねる部分もありますし。

それはともかく、ハンフリーは、生きているから意識があるのではなく、意識があるから生きている主体、自己が生まれると言います。
昨今は、あまりに「生きていない人」が多いと、私はつくづく感じていますから、この考えにはとても共感できます。
こう考えることによって、生きるという概念が動き出すといってもいいでしょう。

最近、私も「意識」に関心を持って何冊かの本を読んでいます。
新しい気づきはたくさんあります。
本を読みながら、自分の生き方につなげて考えるようにしていますが、この本を読んで、ハッと気づいたことがあります。
もしかしたら、私も心理的ゾンビになっているのではないか。
たしかに、節子がいなくなってから、私の生きる意欲は萎えてしまい、好奇心は後退し、先行きを考える発想がなくなり、ただ淡々と時間を消化しているような気もします。
生きることに躍動感はなく、死ぬことにさえ、生々しい関心はありません。
これは、まさに私が嫌悪しているゾンビ的な生き方ではないか。
ゾンビになってしまっては、節子を愛することさえできなくなるでしょう。

意識次第で、世界は一変する。
それがハンフリーの主張です。
本当に一変するかどうか。
問題は、その一歩をどう踏み出すかです。

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■節子への挽歌1751:哀しいこともまた、喜び。

ある本からの孫引きです。

バイロン卿はこう言ったそうです。
「人生の最大の目的は感覚にある。たとえ痛みのなかであろうと、私たちが存在するのを感じることだ」。
哲学者のトマス・ネーゲルはこう語っているそうです。
「人間の経験に加わると、人生が良くなるような要因と、悪くなるような要因がある。しかし、その両方を取り去った場合、あとに残るのは単なる中立的なものではない。残るのはあくまでポジティブなものなのだ。」

最近、こうした言葉を受け容れられるようになってきました。
少し前までは、理解さえできませんでしたが。

この2つの言葉を引用しているのは、私と同世代の心理学者 ニコラス・ハンフリーです。彼は「ソウルダスト」と題した最近の著書で、こう書いています。

多くの生物は、「そこに存在すること」を好むように進化してきた。
「そこに存在すること」を好むとは、意識を持つということです。
意識がなければ、「そこに存在すること」にも気づきません。
「そこに存在すること」に気づくには、快感も痛みも有効です。
ネーゲルは、そのことを語っています。

では、なぜ多くの生物は、「そこに存在すること」を好むように進化してきたのか。
それは、それが楽しいからです。
楽しいという言葉が適切でなければ、「生きやすくなる」からです。
そこに意識の目覚め、あるいは自己の始まりがあり、それこそが生きる動きを作動させる。
そして、自然淘汰の試練に残ってきたのです。
それこそが、エラン・ヴィタールです。
生の躍動、生きる証。

節子を見送った痛みや悲しみは、エラン・ヴィタールにつながっている。
これまで、そう考えたことはありませんでした。
しかし、ハンフリーの本を読んで、何となく納得できるような気がしてきました。
それは大きな発見です。

節子は、いつもポジティブ・シンキングの人でした。
哀しいこともまた、喜び。
そう思えば、少しだけ世界は広くなるような気がします。

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2012/06/19

■節子への挽歌1750:もうひとつの心情

節子
前の日曜日に、フォワードカフェというのをやりました。
そこに数年前に伴侶を自殺で亡くされたKさんが参加してくれました。
Kさんは長らく、そのことをあまり話していなかったのですが、今春開催したフォワードフォーラムで自らの話をみんなの前でカミングアウトしてくれたのです。
Kさんは、みんなに向かって話したことで、自分も変わってきたと話してくれました、
会を企画し主催したものとしては、とてもうれしい言葉でした。
そうしたことが目的の一つだったからです。

私自身はどうでしょうか。
私の場合は、最初から完全にオープンでした。
事実がオープンだったという意味ではなく、私の心情がオープンだったということです。
いつまで悲しんでいるのと言われたことさえありますが、くよくよしメソメソしていました。
呆れてしまったのか、私の前からいなくなってしまった友人知人もいます。
伴侶を亡くすとこんなにもだめになるかと思われても仕方がないほど、私は壊れていました。
たぶん娘たちも、頼りのない父親だと思ったことでしょう。
まあそれ以前から、そう思っていたかもしれませんが。
ともかくがたがたでした。
どうやって生きていたのかさ、思い出せません。
そして最初から、この挽歌がそうであるように、心情を隠し立てなく書いてきました。

Kさんは、心情をカミングアウトすることで、次の段階に進みだせたようです。
私の場合は、どうしたらいいでしょうか。
節子を見送ったあとも、節目なくだらだら生きてきているような気がしてきました。
3周忌で、普通は一節目つけられるのかもしれませんが、そんなことはありませんでした。
いまもなお、喪中の気持ちから抜けられません。

私の場合、毎日、挽歌を書いているうちに、自分の気持ちが見えてきたような気がします。
ですから、長年、心情を心に秘めていた人は、それを語りだすことで、たぶん心情の奥にあるもうひとつの心情が見えてくるような気がします。
それが、人を変えさせるのかもしれません。
としたら、私も、連続的なのであまり自覚できないのですが、この4年でかなり変わってきているのでしょう。
しかし、節子から解放される方向ではなく、ますます呪縛されるような報告を向いているのが、いささか気になります。

平たくいえば、こういうことです。
この頃、なぜかますます罪の意識や悔いの気持ちが強まってきているのです。
たぶん、そうしたことは、この挽歌ではなかなか書けないからかもしれません。
書くことと話すこととは、違うのかもしれません。
いつかどこかで、そうした罪の気持ちを静かに語れる時がくるといいのですが。
理想の聴き手は、節子ですから、それは彼岸でしか実現できないのかもしれませんが。

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■節子への挽歌1749:電動草刈り機

節子
電動草刈り機を買いました。
とても自力では、家庭農園の維持は無理だからです。
節子のように、継続的に世話をする人がいないと、あっという間に雑草が生い茂ります。
それでまあネットで購入したわけです。
しかし、きちんとしたものではなく、一番安いものを買ってしまいました。
最近わが家はお金があまりなくなっているからです。

ところが送られてきた電動草刈り機を見て、少し不安になりました。
プラスティック製で、使ってしまったらすぐに壊れてしまいそうです。
節子がいたら、どうせ買うならちゃんとしたものを買わないといけないというでしょう。
使うと壊れそうな電動草刈り機だったので、使うのをやめていました。
それを今日、急に使いたくなりました。

今日は、台風が日本列島を直撃しています。
しかし、午前中、わが家の周辺は晴れていました。
出かける前に一汗かこうと思い立ったのです。
なにやら身体を動かさないとやりきれないような、そんな気分もあったからです。
やってみました。
何とか使えましたが、どうも頼りないのです。
鎌でやったほうが早そうです。
しかし、小さいとはいえ、家庭農園は大変です。
節子がやっていたことの大変さは、いなくなってからよくわかります。

午後から雨が降り出しました。
いまは風も強く、各地での被害も出ているようです。
いつもなら台風の風の音を聞くと元気が出るのですが、最近どうも元気が出ません。
挽歌もなかなかコンスタントに書き続けられません。
パソコンに向かうのが、どうもおっくうになってきてしまいました。
困ったものです。

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2012/06/16

■節子への挽歌1748:蕎麦団子

挽歌1748の続きです。
玉里のおそばを食べながら思い出したことがあります。
同じ茨城の谷和原村城山の里まつりに節子と一緒に行った時のことです。
その時のことは、私のホームページに書いています

そこに、こんな文章が残っています。

蕎麦打ちに女房ははまっていました。
私と違い行動派の彼女はそば切りの手ほどきを受けていましたが、これでまた我が家のメニューが増えそうです。
思い出したのは、その後日談です。
当日、お土産に蕎麦粉をもらいました。
数日後、それで蕎麦を打ち、蕎麦を作ろうということになりました。
ところがです。
出来上がったのは、蕎麦というよりも蕎麦団子でした。
見ていた時には簡単そうでしたが、やってみると難しいのです。
以来、わが家では蕎麦うちは2度と行われませんでした。
つまり、わが家のメニューは増えなかったのです。
節子はわりと器用だったともいますが、蕎麦だけはだめだったようです。

ちなみに、城山の里まつりに節子と一緒に行ったのは、節子の手術後です。
私は、地方によく出かけていましたが、基本的には一人で行っていました。
しかし、節子が病気になってからは、できるだけ節子と同行しました。
節子が元気な時にこそ、そうすべきでした。
でもその頃は、お互いになかなかそんなことには気づきませんでした。

節子が胃の摘出手術をし、一時、回復の兆しを見せていた時が、私たちが一番行動を共にしていた時期です。
その時期には、さまざまな記憶が凝縮されていますが、普段はあまり思い出しません。
意識的に蓋をしているようにさえ思います。
その理由も、実はそれなりに思い当るのですが、いつかまた書こうと思います。
しかし、何かがきっかけになって、記憶がよみがえってくると、どっと記憶があふれてきます。
意識や記憶は、とても不思議です。

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■節子への挽歌1747:玉里の古民家

節子
茨城県の霞ヶ浦に玉里という集落があります。
そこの古民家で、今日、住民たちが手打ちし、かまゆでした、お蕎麦を食べてきました。
近くの美野里町の住民の集まりに行った帰りに、みんなに誘われたのです。
古民家にはなつかしい囲炉裏やかまどがありました。
おそばは美味しかったです。
節子との思い出が2つ、浮かんできました。

会場の古民家に行って、むかしこんな雰囲気のところに来たことがあるなという記憶がよみがえりました。
もう20年近く前になるかもしれませんが、茨城県の「耳の会」の収穫祭に節子と一緒に行ったことがあります。
耳の会では土壌菌を使った農業や畜産に取り組んでいました。
EM菌が話題になるずっと前の話です。
友人が取り組んでいた関係で、その成果を祝う収穫祭に誘われたのです。
節子を誘って、参加しました。
その活動の中心になっていたのが、最後の農民運動家と言われている市村一衛さんでした。
市村さんは玉里の近くの鉾田町(玉里の近くです)のお住まいになっていて、そこで塾をやっていました。
囲炉裏を囲んで、私たちも市村さんから話を聞きました。
その後、みんなで野外パーティでした。
私たちには、とても新鮮な体験でした。
しかし、当時は、その体験を発展させることができませんでした。
もう少し私が関心を持てば、節子の人生は変わっていたかもしれません。

今日、古民家の会場に着いた時、なぜかそのことが突然頭に浮かんできたのです。
もしかしたら、ここで収穫祭をやったのではないかと思ったほどです。
そして、当時の光景が浮かんできました。
庭の先に、節子が笑っているような気配さえ感じました。
しかし、落ち着いたら、明らかに違う感じでした。
節子が喜びそうな古民家でしたが。

あの収穫祭は楽しい記憶の一つです。

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■大飯原発再稼動

大飯原発再稼動が決定したようです。

1979年のスリーマイル島原発事故に関する大統領委員会(ケメニー委員会)の報告書の文章を思い出しました。

「我々が本当に肝要だと考えたことは、これまでと同じ組織、スリーマイル島事故前に支配していたのと同じ慣行と態度で、提案された改善策が行なわれるか否かである。改善策が日常的「ビジネス」の感覚で実施されるのでは、スリーマイル島事故が必然的に促してくる根本的変化は実現できない」

構造は何一つ変わっていないことに愕然とします。

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■節子への挽歌1746:相談するということ

節子
最近、ようやく「相談」の意味がわかってきました。
相談するということにおいて、解決策を得ることは、どうやら副産物に過ぎないことのようです。

私のところに、いまもいろんな人が「相談」に来ます。
時に一緒に解決策を考えることもありますが、多くの場合、解決策は相談に来る人のなかにはもうすでにあるのです。
そして私と話しているうちに、決意するだけのことなのです。
そもそも、「相談」を思いついた時に、その答もまた思いついているのです。

時に解決策が確信できなかったり、受け容れ難かったりする人もいます。
その場合は、その答(重荷)をシェアしてくれる人を探しに来るのです。
出来る範囲で、時には出来る範囲を少し超えてしまって、重荷をシェアするのは私の信条です。
時々、予想以上の重荷を背負ってしまい、私自身も厳しい状況になります。
しかし、そういうことを繰り返し行ってきたのが、私の人生だったのかもしれません。
むしろ、それを楽しんできた気もします。

ところが、最近、そうではなくなってきています。
楽しくないし、つぶれてしまいそうになるのです。
最近も、いくつかのシェアした重荷がうまくいかなくて、時に眠れません。
今朝も4時過ぎに目が覚めてしまいました。

どこが違ってきたのだろうかと考えました。
答は明確です。
節子がいなくなったこと。
つまり、私の重荷をシェアし、苦労を一緒に楽しんでくれる人の不在です。

悲しみや辛いことは分かち合えば、楽になるといいます。
人生を分かち合うことができれば、楽になるどころか、楽しくなる。
そして、喜怒哀楽のすべてが、生きる豊かさになっていく。
そう考えると、やはり、「人生を分かち合う」存在が、生きるためには不可欠のようです。
しかし、伴侶はいつかいなくなります。
もしかしたら、失われることのない永遠の「人生を分かち合う」存在こそが、宗教における神なのかもしれません。
そして、信仰とは、重荷をシェアしてくれる存在の創造なのかもしれません。

こんなことを書いても、まだ気分は不安に苛まれていますが、それもまた人生ですから、素直に受け容れなければいけません。
節子が乗り越えた不安は、こんなものではなかったのですから。
とりあえず、節子に拝んで、救いを頼みましょう。

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2012/06/15

■貿易自由化は誰のためか

どこかおかしいと思うことが、世の中にはたくさんあります。
それについて、少し書こうと思います。

6月10日の日曜日の、NHKのテレビで「トヨタピラミッド」という特集番組をやっていました。
厳しい国際競争の中で、トヨタが海外進出を余儀なくされ、その影響で、トヨタ傘下の関係会社が激震に襲われているというドキュメントです。
トヨタ自動車や関係会社の苦悩はよくわかりますし、そうした中で各社の経営者や従業員も頑張っているのがよくわかります。
しかし、見ていて、やはり、「どこかおかしい」と思い続けていました。

まずおかしさに気づいたのは、トヨタの豊田社長が立ったままペットボトルの水を飲んでいる風景です。
私なら座って珈琲を飲むのに、あるいは美味しいお茶を淹れて飲むのに、トヨタの社長ともいう人がペットボトルの水を直接飲んでいるのが、おかしく感じたのです。
たまたまの様子を、絵になるからといれたのかもしれませんが、しかしそれが象徴するいまの人々の働き方に、私は首を傾げたいのです。

真面目に働いてきた二次下請けの会社が廃業を決めたという場面も出てきます。
真面目に働いてきたのに、なぜ会社を締めなければいけないのか。
これもやはりどこかおかしいと思うのです。
真面目に働いている人たちが報われない社会は、どう考えてもおかしいのです。

登場する人の多くは、コスト競争力に勝っていかないと生き残れないといいます。
これは昨今の「常識」かもしれません。
しかし、なんで生き残りをかけるほどしのぎを削ってコストダウンしなければいけないのか。
「生き残る」とは、いったい何なのか。いやその前に、生き残るのは「何」なのか。
真面目に働いている人が、きちんと生きていけることこそ、大切ではないか。
戦争でもあるまいし(戦争と言う人もいますが)、生き残りをかけてなどという「物騒な言葉」を使わないでほしいものです。

一時下請けの会社の社長の苦悩も紹介されました。
リストラし、大きなリスクを背負いながら海外進出を決めた、その社長の最後の言葉は見ていられないほどでした。
涙をこらえていたようにさえ感じました。
その社長は本当に幸せなのだろうか。
そう思いました。

人件費の安い途上国に企業はどんどん進出しています。
しかし「人件費が安い」とはどういうことでしょうか。
その国の生活のために必要なお金と貿易自由化が実現したグローバルな市場で売買される商品価格のコストの要素になるお金とは、同じものでしょうか。
生活のためのお金と商品製造コストのお金とは、実は全く違うはずです。
前者はローカルな地域社会に立脚していますが、後者は世界単一の通貨的市場に立脚しているのです。
そして市場を世界的に画一化しつつあるのが、貿易自由化です。
貿易自由化は、ローカルな地域の生活社会を壊しこそすれ、支えてはくれません。
にもかかわらず、みんな貿易自由化がいいものだと思い込んでいます。
特に現場を知らない優等生たちは、そう思っているでしょう。
TPPの意味をみんなわかっているのだろうかと思います。

コストダウン発想は私たちを決して幸せにはしないでしょう。
このテレビ番組を見てから、どこかおかしいという思いが頭から離れません。

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2012/06/14

■節子への挽歌1745:パルミュラ

節子
私の遺跡好きを知って、近くのSさんが、昔、NHKで放映されていた「未来への遺産」のDVDセットをプレゼントしてくれました。
とても懐かしい番組です。
私はこの番組で、パルミュラを知りました。
私が今一番訪ねたい場所が、パルミュラなのです。
それで早速、そのDVDのパルミュラの部分を観ました。

昔の映像なので、画質はあまりよくありませんし、テンポも実にのんびりしています。
しかし、それがかえって心を和ませてくれました。
今と当時では入手できる観光地情報が質的に全く違っているのがよくわかります。
もしかしたら、いまはテレビ画像が高質ので、現地に行ってもさほど感動しないのかもしれないと思うほどです。

昔は、こうした画像を見せて、エジプトに行こうと節子を誘っていたわけです。
節子は、遺跡なんて、泥の塊でしょうと冷たかった理由が少しわかったような気がしました。
たしかに、この映像だと泥の塊でしかありません。
あれほど焦がれたパルミュラも、あんまり魅力的には感じませんでした。

その一方で、その映像の前後に出てきたハトシェプスト神殿やルクソール神殿が実に魅力的に見えました。
ここは節子と一緒に歩いたことがあるからです。
映像の向こうにある現実の質感が得られるからです。
ちなみに、節子は泥の塊といっていた神殿に実際に立った時には感激していましたし、それ以来、泥の塊とは言わなくなりました。
何しろ節子はリアリストなのです。

体験すると、すべての現実が質感を持ち出します。
伴侶を亡くしてみないと、その喪失体験の質感は実感できないでしょう。
それは伴侶との別れに限りません。
相手の立場になって考えられても、相手と同じ質感を共有することはできません。
節子との別れで、私が学んだ最大の気づきです。

しかし、なぜ私は、古代の遺跡に行く前から、その質感を実感できていたのでしょうか。
そしてなぜ、今はそれが実感できなくなったのか。
それが不思議です。

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■節子への挽歌1744:節子、また歯が抜けました

節子
挿し歯が抜けてしまいました。
気力が萎えてくると、どこもかしこも萎えてくるようです。
困ったものです。

今回抜けた歯は、これで3回目です。
前歯ではないのですが、口をあけると見える場所の歯です。
歯がないと、実にこっけいに見えるようです。
最初の時には、たしか自宅でした。
抜けるたびにエピソードがありますが、最初の記憶は、ともかく節子も娘たちも、笑い転げていたことです。
節子は、お腹を捩じらせて、涙を流して笑っていました。
全く失礼な話です。
自分の顔は見えませんから、何がそんなにおかしいのかわかりませんでしたが、鏡を見て、私も笑ってしまいました。
歯が1本抜けただけで、こんなに笑えるということは、実に平和で幸せな証拠です。
確か、家族がみんなで写真に残そうと写真を撮っていました。
注意しないと、その写真を私の遺影に使われかねません、
困ったものです。

2回目は出張中に起こりました。
あるところで講演し、その後、みんなと会食する予定でした。
何とか講演はうまくいきましたが、終了後の会食の時に、突然抜けてしまいました。
家族に笑われたことを思い出して、雰囲気を壊すまいと、こっそりトイレにたって、抜けた歯を無理やり挿して戻りました。
注意して食事をしましたが、ついつい話し出すと不注意になってしまい、また抜けてしまいました。
周囲に気づかれないようにするのは大変です。
またトイレ。
そしてその後は、余り話さず食べずに、聞き役に回りました。
今から思えば、まあみんな気付いていたかもしれません。
もしかしたら、笑うのを我慢していたのかもしれません。
悪いことをしました。

それからしばらく安泰でしたが、最近なんとなく不安を感じていました。
案の定、先日、持ちこたえられずに抜けてしまいました。
かかりつけの歯医者さんに応急手当をしてもらいましたが、そろそろ限界ですねといわれました。
私はこの歯医者さんを全面的に信頼しているので、そういわれたら仕方がありません。
またしばらく歯医者さん通いです。

今回、歯が抜けたまま過ごしたのはほぼ1日だけです。
歯が1本ないだけですが、大きな違和感があるものです。
歯医者さんに、1本ないだけで全体の感覚が一変しますね、と話したら、そうでしょうといわれました。
この歯医者さんはていねいで、私は先もそうないので、治療も適当でいいとお話しているのですが、実にていねいなのです。
ミクロン単位の精密作業なのです。
まあ、そのていねいさのおかげで、私は今、快適な生活ができているのでしょう。

人間の心身は、実に精巧なことがよくわかります。
歯が1本ないだけで、これだけの違和感です。
節子がいない生活の違和感が、どれだけ大きいか、推して知るべしです。
喪失体験は、そう簡単には戻らないのです。

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2012/06/13

■廃墟を見ても学ぶ能力のない日本

タイトルの「廃墟を見ても学ぶ能力のない日本」というのは、雑誌「世界」の今年の1月号で、ドイツの倫理委員会の報告書を紹介した。東京経済大学教授の三島憲一さんの言葉です。
三宅さんによれば、そうしたイメージが世界に広がりだしているというのです。
昨年末にこの文章を読んだ時には、そんなことはないだろうと思っていましたが、昨今の動きを見ていると、まさに子の言葉は真実を言い当てていたと思わざるを得ません。
そう思って、また倫理委員会の報告書を読み直してみました。
これは繰り返し読む価値があります。
最近はネットでいくつかの翻訳が読めますので、まだお読みでない方はぜひお読みください。
たとえば、
http://www.enecho.meti.go.jp/info/committee/kihonmondai/3rd/3-82.pdfにあります。

世界にとって、北朝鮮の核兵器と日本の原発と、どちらが大きな災いでしょうか。
もしかしたら日本かもしれません。
最近、北朝鮮を非難する気になれなくなってきました。

今日は国会中継を観ていましたが、現在の政権はひどいと感じました。
北朝鮮の政府のほうが、もしかしたら、優れているのかもしれない。
そんな気がする首相や閣僚の対応でした。

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2012/06/12

■「企業と行政による犯罪行為」

水俣病にずっと関わっていた原田正純さんが亡くなられました。
原田さんの「水俣学」から学ばせてもらったことはたくさんあります。
感謝と共に、ご冥福をお祈りしたいと思います。

ところで、その原田さんの言葉が今朝のテレビで流れていました。
「水俣病は、企業と行政による犯罪行為で事件である」。
少し不正確かもしれませんが、原田さんはそう語っていました。
私も全く同感ですが、残念ながら、その犯罪行為を首謀し、実行した人たちは裁かれてはきませんでした。
企業と行政による犯罪行為は、常に隠蔽され、裁判になっても裁かれることはほとんどありません。
加担していた御用学者やマスコミ関係者は、十分に利得を得て、逃走しています。
彼らには良心は無縁ですので、罪の意識はたぶん最後までなく、謝る人もほとんどありません。
福島原発事故を起こした側の人たちが、いまその繰り返しを再現しています。

私は、原田さんの言葉に「司法」も加えたい気持ちですが、
それはともかく、この言葉で真っ先に頭に浮かんだのは、大飯原発再稼動です。
これはまさに、水俣病の繰り返しではないのか。
明らかに、電力業界と政府の犯罪行為であり、事件ではないのか。
実行犯は、野田首相ですが、首謀者はその後ろにいるのでしょう。
もし原発事故が起こったら、野田首相はどうやって責任をとるのか、だれも質問しませんが、責任など取れるはずがありません。
割腹自殺したところで、責任を取ったことにはなりません。
福島の原発事故の被害者への責任さえ、とれていないのです。
にもかかわらず、言葉の意味もわからずに言葉を使う「無責任」の人の言葉に国民のかなりの人たちが生活をゆだねています。
いまもって、再稼動を歓迎する人がいる。
その感覚が私にはわかりませんが、それほどいまの日本の社会は壊れてきているのでしょう。
みんな守銭奴になってしまったのです。
守銭奴が不穏当なら、マネタリー・エコノミーの信奉者と言うべきかも知れません。
どこまで社会を壊せば気が済むのか。
社会は市場ではなく国民は消費者ではないことを思い出してほしいものです。
私たちも、いい加減、そうした悪夢から目覚めねばいけません。
しかし、目覚めないほうがいいのかもしれません。
目覚めると、いまの社会は実に生きにくい社会ですから。

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2012/06/11

■節子への挽歌1743:久しぶりのあやめまつり

節子
手賀沼のあやめまつりのあやめを見てきました。
あまり行く気はなかったのですが、今年で終わりになるそうです。
節子と毎年行っていましたので、もう一度見ておこうと思って、行ってきたのです。
久しぶりでしたが、前よりもあやめは増えていました。
月曜でしたが、人も多く、賑わっていました。
紫色のあやめがきれいでした。

Ayame2

節子が元気だった頃は、時々、散歩でも来ましたし、自転車でも何回も来ました。
一緒に行ったユカが、あやめ園の入り口のアジサイを見て、このアジサイのどれかが節子の好みで、花が終わった後に、小枝をもらってわが家に挿木にしたがっていたと教えてくれました。
節子はどこかで気にいった花木を見つけると、挿木用の小枝をもらったり、タネをもらったりして、わが家の狭い庭に移植していました。
前にも書きましたが、湯河原では道に面した家の庭がきれいだったので、その家に庭を見せてもらい、ついでに花を分けてもらったことさえあります。
いま、その花がわが家の玄関で咲いています。
そんなわけで、わが家の庭の花木には、いろいろと節子の思い出がかさなっているのです。
ちなみに、あやめ園のアジサイは、挿木をもらってきたかどうか、だれも記憶がありません。

帰宅後、花を買いに行くことにしました。
自宅用の花のほかに。湯島のオフィスに、紫色のアゲラダムを買ってきました。
いわゆるカッコウアザミです。

Kakkouazami2

私は紫の花がすきなのですが、手入れが面倒なのはすぐにだめにしていまいます。
アゲラダムは比較的手入れが簡単なので、秋までもたせたいと思います。
この花は、節子が大好きで、前の家に住んでいたころ、門から玄関までの通路沿いに、この花が並んでいました。
買った後に、娘に言われて、それを思い出しました。

ちなみに、アゲラダムの名前の由来は、「老いを知らない」というギリシア語らしいです。
花言葉は「楽しい日々」だそうです。
そうなるといいのですが、

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2012/06/10

■節子への挽歌1742:三年之愛

論語に「三年之喪」という話があります。
当時は親を亡くした時には3年の喪に服したそうです。
その前提には、子供は父母から「三年之愛」を受けて育ってきたのだから、「三年之喪」は当然だとされていたようです。
ところが、ある時、親を失った弟子の一人が、孔子に問います。
3年間、喪に服さないといけないのか、と。
そこで孔子はその弟子に応えます。
「もしお前が、旨いものを食べたら美味しくて、良い服を着たら気持ちが良くて、それで何ともないのなら、3年の喪に服さなくて良い」と。
これは、最近読んだ安冨歩さんの解釈です。

安冨さんは、こう書いています。
もし本当に「三年之愛」を与えられていたら、何を食べても美味しくないだろう。音楽を聞いても楽しくないだろう。良い服など着る気もしないだろう。家にいても落ち着かないだろう。1年経って命日が来れば、また悲しみが新たになるだろう。2年経ったら少しは落ち着くかもしれない。そうすればそろそろ悲しみが治まってくるかもしれない。
安冨さんは、人情に逆らうことを強要するのは儒家の思想に反すると考えています。
私にはとても納得できる解釈です。

喪に服するのは、強要されるべきルールではありません。
むしろそうすることが、生き方を楽にしてくれるという意味で、支えてくれる仕組みなのです。
何を食べても美味しくない、何をしても楽しくない、気分転換などする気にもなれない。
それは、自然の心情なのです。
その期間は、人によってさまざまでしょう。
3年より短い人もいれば、長い人もいる。
そんな日は1日もない人もいれば、終わりがない人もいる。
人それぞれであって、それをとやかくいう話ではありません。
伴侶を見送った翌日に再婚する人がいても、咎められるべきではないでしょう。
その一方で、いつまでたっても、人生がたのしめない人がいても、おかしくなりません。

しかし、私が安冨さんの本を読んで、気になったのは、もしすべての親が、本当に子どもに「三年之愛」を与える社会であったとしたら、素晴らしい社会になるだろうと安冨さんがしみじみと書いていることです。
そのことには、異論はありませんが、万一、「三年之愛」を受けることができなかったとしても、「三年之愛」を誰かに与えることはできるのではないだろうかということです。
人は、愛されることで愛することを学んでいくのでしょうか。
必ずしもそうではなく、愛することで愛されることを学んでいくこともある。

安冨さんの本を読んで、私と節子はどっちがどっちだったのだろうかと考えてしまいました。
いまこれほど挽歌が書けるのは、節子から「三年之愛」を受けていたからなのでしょうか。
いつか安冨さんとお話したいと思います。

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■「正名」は現代社会が最も必要としている思想

東大教授の安冨歩さんは、面識はありませんが、その主張には日頃、とても共感しています。
その安冨さんは、「生きるための論語」という、実に興味深い本で、「正名」は現代社会が最も必要としている思想である、と書いています。
そして、論語に出てくる
「子曰く。觚(こ)、觚ならず。觚か、觚か」
という話の意味を解説してくれています。
それが実に今の日本の社会を思わせます。

觚は、祭礼に使う盃のことだそうです。
孔子の時代以前から、祭礼の最中に飲み過ぎないように盃が小さく作られていて、それを「觚」と呼んでいたそうです。
盃は大きさによって、名前が違っていたようです。
ところが、時代が経つにつれて、觚が次第に大きくなってきてしまったようです。
そうして儀礼でもみんなががぶがぶ飲んで酔っ払うようになってしまった。
それを怒っているのが、論語のこの文章だと安冨さんはいうのです。
しかし、孔子が怒っているのは、がぶがぶ飲むことではありません。
大きな器を使うのであれば、「觚」と呼ばずに、もっと大きな盃を指す名前(角とか散とかいったそうです)を使え、名前でごまかすなと怒っているのです。
言葉でごまかす小賢しさを諌めているのです。

安冨さんは、「原発危機と東大話法」(明石書店)という本で、いまの日本の社会に対して、あるいは日本人に対して、孔子と同じように怒っています。
いや正確には怒るというよりも、呆れているのかもしれません。
安全でないものを安全と言い、停止もしていないものを停止と言い、実態をごまかしているうちに、言っている本人も騙されてしまい、聞いているみんなも騙されてしまい、良心を失ってしまっている。
先日、元原発プラントの設計者だった人が、まさに自分もそうだったと告白していました。
私たちの多くも、みんな原発は安全だと信じてしまっていたのです。
あれほどの事故が起きなければ、きっとまだみんなそう思っていたでしょう。
安冨さんは、太平洋戦争の時と同じではないかと嘆いています。

原発の問題に限りません。
税と社会保障の一体改革などと、おかしな名前さえまかり通っています。
同じような言葉は山のようにあります。
私は、最近話題のほとんどの言葉に違和感(欺瞞性)を感じていますが、言葉と実体の違いには気をつけなければいけません。

安冨さんは、現在の日本では、あらゆる組織において、みんな「耐え難いほどの閉塞感に苦しんでいる」と書いていますが、それはみんな自分を失い、言葉に翻弄されたり、言葉でごまかしたりしているからだろうと思います。
まずは、身のまわりから「名を正していく」ならば、50年もしたら、社会は良くなるでしょう。
孔子やソクラテスのような人が、もっと増えていくといいのですが。

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2012/06/09

■節子への挽歌1741:湯島のランタナ

節子
昨日、湯島のランタナを大きな鉢に植え替えました。
節子が湯島に行っていた頃は、ベランダの植物の手入れもよく行き届いていましたが、最近は植え替えなどもしていないので、大きな鉢の植物も元気がありません。
あまりに荒れていたので、一つの鉢を私の好きなランタナにしてしまいました。
ランタナだとあまり手入れも必要ないでしょう。
幸いに節子が使っていた道具がまだ残っていたので、植え替えは出来ましたが、節子と違って、極めていい加減な植え替えですので、うまく根づいてくれるといいのですが。

一時期、シクラメンやミニバラやいろいろ小鉢を増やしましたが、単純な観葉植物以外は、やはりだめにしてしまいました。
植物はやはり定期的に声をかけてやらないといけません。

湯島のメダカも全滅してしまいました。
長いこと元気だった黒メダカに続いて、新たに買ってきた白メダカも全滅です。
空中を泳いでいた、ヘリウムガスを入れた魚も、えさのヘリウムガスがなかなか買いにいけずに、いまは棚の上でしぼんでいます。

節子は湯島には行けなくなるかもしれないと感じ出した頃から、ベランダの花も減らして、あまり手間がかからないものにしておいてくれました。
室内の改装も始めてくれていましたが、残念ながら、これは途中で、節子が湯島に来られなくなってしまいました。
ですから、湯島の室内の改装は実は途中のままなのです。
まあ、そんな生々しい記憶が、湯島には残っています。
玄関の造花も、節子が最後にセットしてくれたままです。
節子がいた頃は、造花ではなく生き花でしたが、いまは季節と無関係にバラなどの造花が置かれています。

いまの湯島のオフィスを節子が見たら、さぞかし嘆くことでしょう。
でもまた少しずつがんばって、きれいにしていければと思っています。
それにしても、私はそうしたことがとても苦手なのがよくわかります。
ずっと節子に依存してきてしまったためでしょうか。
時には、彼岸から湯島の掃除に来てほしいものです。

湯島はもう少しそのままにしておこうと思います。

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■「節電」という言葉の落し穴

アマルティア・センは、飢餓は食料不足からではなく、食料配分の方法によって発生することが多いことを立証しました。
昨今の電力需給に関連して、いつも思い出すのは、このことです。
日本の現状は、おそらく今の生活や経済を維持する意味でも、電力供給不足ではないように思います。
無駄に使われているところが多いばかりか、配分の仕組みが問題です。
それを正すと、たぶん既得権益を壊し、損をする人が発生するのでしょう。
市場主義者は、市場が需給を調整し、最適解に導くといいますが、それはアダム・スミス時代の素朴な経済の時代の話です。
もっともその頃でさえ、それはモデル的な話でしかなかったわけですが。

最近明らかになったように、電力会社はコストアップと収益向上が正比例していたばかりか、電力の無駄遣いが進めば進むほど利益があったのです。
そんなことは少し考えればわかることですが、多くの人はその「少し考えること」すら、最近はしなくなっています。
そして、電力会社の電力需給データや不足率の数字におののくのです。
しかし、電力の供給不足の数字はほんの短時間の話であり、しかもいかようにも対応できるはずです。
昨年の計画停電時の電力需給のデータをきちんと検証すればさまざまなことが見えてくるはずですが、東電の元社長にさえ軽んじられている現在の政府にはそんな力はないでしょう。
原発を再稼動するかどうかの判断基準になるデータが、電力会社に握られているというのは、おかしな話です。

しかし、まあそんなことはいまさら言ってもどうしようもありません。
私が残念に思うのは、これまでの無尽蔵の電力消費文化から抜け出られる好機だったはずなのに、その好機を逸しつつあることです。
それは私たちの問題でもあるからです。
前にも書きましたが、「節電」という言葉がおかしいと、私は思います。
私の感覚では電力の過剰消費を見直すだけで、私たちの電力消費量はかなり減らせると思います。
「節電」というと、なにか「我慢」をイメージさせますし、そうではなく、電力消費のあり方を通して、私たちの現在の生き方を見直す好機と捉えたらどうかと思うわけです。
もし本気で「持続可能な社会」とか「温暖化対策」を考えているのであれば、そうすべきではないかと思います。
言葉を盛んに使う人ほど、自らの生活は、その反対をいっている場合が多いことは、私の周りの人を見ていてよくわかります。
言葉だけの人は、私は信頼しません。否定はしませんが。

「成長」も同じです。
経済成長がなければ生活は豊かにならないという人が多いですが、その考えこそ、見直すべき時期です。
最近、いろんな人と話していて、私はどうも自分が違った世界に済んでいるような気がすることが多くなりました。
「消費機関的存在」から抜け出て、自分の生活に立脚すれば、いろんなことが見えてきます。

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2012/06/08

■節子への挽歌1740:家族に約束したかった未来イメージ

節子
人生はいろいろあります。
さまざまな話が毎日のように届きます。

節子も知っているKさんから、今朝、明るい話が届きました。
よかったと思っていたら、夕方、追伸が入りました。
私が「うれしいね」というお祝いのメールを出したことが、気になったようです。

お伝えすべきか逡巡しましたが、
お世話になって説明なしというのも道義に反するような気もしますので。
と前置きして、今朝の話の奥の話を伝えてきました。
最後の一文は、こうでした。
家族に約束したかった未来イメージではないので、いささか悔しくはあります。
勝手に喜んでお祝いのメールを送ったことを反省しました。
人生はいろいろあるのです。

Kさんのメールを読んでいて、「家族に約束したかった未来イメージ」という表現が気になりました。
そういえば、しばらく前に会ったHさんも、同じようなことを話していました。
そうしたイメージが壊れてしまうのが恐かった、とHさんは言っていました。
みんな、そうしたイメージを持っている。
でもそれができなくなってしまうこともある。

私もその一人です。
節子がいたら、いまとはまったく違う生活になっていたでしょう。
娘たちも、時々、そう言います。
しかし、それはどうにもならない。
節子がいなくなってから、もう未来のイメージは私にはまったく持てなくなりました。
未来が実感できないと言ってもいい。
未来を想像できる人は、生きている人です。
愛する伴侶を失うと、生きている実感が持ちにくくなってしまうのです。

KさんもHさんも、いろいろと大変な課題を抱えているようです。
しかし、彼らには伴侶がいます。
新しい未来のイメージがもうじき見つかるでしょう。
いや、未来のイメージを育てていくことこそが、生きていくということなのです。
私には、それがない。
ちょっとだけさびしい気がします。
いつかまた、生きられるようになるかもしれませんが、いまはまだこの状況にとどまっているしかありません。

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■仕組みと現実

電力料金を値上げに関する公聴会が始まりました。
ここでの意見は、実際にはどういう効果をもたらすのでしょうか。
そう思うと、とても虚しい気分になります。
公聴会はほとんどのテーマで、賛否両論が出ます。
だからこそ公聴会の意味もあるのですが、そこでの多様な意見をどう受け容れるかで、全く結果は異なってきます。
最近、ある講演会で体験したことですが、同じ話を聴いてもその受け止め方は、正反対に近くなることもあるのです。
公聴会は、合意形成に向くよりも、自らの言い分を補強する材料になりかねません。

仕組みができてもそれが現実を変えるとは限りません。
仕組みと現実の社会は、最近はますます距離を広げているように思います。

大飯原発再稼動もそうでしょう。
これほどの反対があっても、政府はなんら影響を受けずに、当初のスケジュールを淡々とこなしています。
その鈍感さは驚くほどですが、反対を唱えるほうも、同じように鈍感になっています。
つまり生々しい生活ではなく、仕組みこそが社会の中心になってきているのかもしれません。

友人が、そろそろ原発事故の「記憶の半減期」になってきましたとメールをくれました。
私自身も、そうなりかねていることに唖然とします。
私は、政府に対してかなり批判的な思いを持っていましたが、最近はむしろ諦めに近い感情が勝っていて、まあ勝手にやってよ、という気分が強まっています。
みなさんはいかがでしょうか。
それではいけないとは思うのですが。

いまこそ、仕組みを撃つべき時期だと思いますが、どうやればいいか、わかりません。
私は、暴力には不向きな人間なので、やはり隠棲という逃亡生活しかないのかもしれません。
しかし逃亡生活も厳しそうです。
サリン事件の逃亡犯の報道も、いろんなことを考えさせてくれます。
住みにくい時代になったものです。
とりあえず、仕組みに拘束されたり、仕組みに信頼をもったりすることだけはやめて、これまで以上に、自分をしっかりと生きようと思います。
もちろん行動も含めて、です。
さまざまな意味で、汚染された社会の中で生きていくには、私にはそれしかないのかもしれません。

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2012/06/07

■孤立死防止のためのデイコールシステム

孤立死が増えています。
それはまさに社会の象徴と言ってもいいかもしれません。
その孤立死防止の活動に長年取り組んでいるのが、大阪のNPO法人デイコールサービス協会の松本敏さんです。
松本さんは、先ほど、テレビで放映されたドラマ「神様の女房」のモデルになった、松下幸之助の奥様のむめのさんから、直々に教えを受けた人です。
以前は、松下家の警備などを任されていましたが、むめのさんの言葉に動かされて、「人のいのち」を守ることをライフワークにし、そこから創案してきたのが、デイコールシステムです。

松本さんは、人を元気にするのは、会話の力だと考えています。
たとえ電話を通してでも、肉声で会話する事が、命を通わせあうことだというのです。
そこで、毎日、定時刻の自動発信で開始される短時間内電話交信により、人間同士の肉声を通して心の交流を継続実施するシステムを開発しました。
それが、デイコールシステムです。
停電になっても使える従来型の固定電話が基本になっています。

毎日の定時の肉声による呼び掛けが精神的刺激となり、人間の生体時計を調整し甦らせ「認知症予防」にも役立ちますし、高齢者や災害弱者など、「人の安否確認」もでき、独居高齢者の「孤独死防止」や核家族の「孤立死防止」に役立つ、と松本さんは考えています。
すでに枚方市で数年前にモデル的な事業展開もやっています。
その時は、在宅医療への導入を目指して、在宅患者154人を対象にして、デイコール問診用電話機を設置したそうです。
そうした社会実験から、松本さんは。デイコールシステムは在宅医療に限らず、予防的なものも含めて、人のつながりを育て、地域社会を元気にしていくために活用できるのではないかと考え出したのです。
しかしなかなか広がっていきません。
ハード的なシステムは完成していても、それを使い込む地域社会がなければ展開のしようがありません。

私はこれまで何回も松本さんからお話をお聴きしています。
ですから概念的には理解していますが、実際にどうしたらいいか、動けずにいます。
自分の住んでいる地域も含めて、いくつかの自治体行政に働きかけたこともありますが、私の説明能力の欠如から、なかなか関心を持ってもらえません。
そこで、今度、孤立死防止のためのデイコールシステムの活用を考えるフォーラムを開催することにしました。
私ひとりでは、いささか心もとないので、一緒にやってくれる人を集めることにしました。
仲間が3人集まったらスタートします。
ともかく小規模でもいいから、動き出そうと思います。
関心のある方、ぜひ参加してくれませんか。
私にメールをいただければうれしいです。

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■節子への挽歌1739:苦楽を共にすることこそ人生の喜び

節子
いま、ある起業経営者の相談に乗っています。
その人は、10年以上前に会社を辞めて起業したのですが、いまは少し苦境にあります。
余計なお世話と思いながらも、こうした苦境には奥様も巻き込んだほうがいいのではないかと話してしまいました。

私たちが、一体感を強めたのは、たぶん私が会社を辞めてからだと思います。
それまでも節子は私を支えてくれましたが、私は仕事、節子は家庭という風に、生活の舞台は別々でした。
経済的にも、節子はあまり苦労しなかったでしょう。
毎月きちんと給料が銀行口座に振り込まれていたからです。
まあ、よくある「普通の幸せそうな夫婦」でしか、ありませんでした。

しかし、私が会社を辞めてからは状況が変わりました。
そして、私がつくった会社の事務的な仕事を、節子は無給で始めたのです。
そして私と一緒に苦労する羽目になりました。
念のために言えば、節子がそれを嫌っていたわけではありません。
会社をオープンした週には、なんと100人を超える人たちがお祝いに来てくれましたが、節子にとってはあまり会ったことのないような人たちばかりでしたから、新鮮だったでしょう。
それに、私の世界を知るという意味でも面白かったに違いありません。
その後も、節子は、私との仕事を楽しんでくれましたし、そのおかげで私たちの信頼関係も愛情も強まったように思います。
ただ、会社の経理の仕事だけはいつも嫌そうにやっていました。
しかし、私は嫌な仕事はすべて節子に任せて、自分のやりたいことだけができたわけです。

会社をやっていると、時には難問にも出会いますが、それも2人で克服してきました。
一緒に難題に立ち向かえば、否応なく、関係は深まります。
たぶん私が会社を辞めずにいたら、私たちは挽歌を書き続けるほどの関係にはならなかったかもしれません。
そんな思いもあって、昨日は、友人の事業家に、余計なお世話の話をさせてもらったのです。

今となってはよくわかりますが、楽しいことももちろんですが、辛いこと、悲しいことのほうが、人の関係を豊かにしてくれます。
「不幸」もまた「幸せ」なのだと、最近はつくづく思えるようになってきました。
苦楽を共にすることこそ、人生の喜びでしょう。
にもかかわらず、その喜びを無駄にしている人たちが、とても多いように思えてなりません。
「共にする相手」がいなくなってからでは、遅すぎるのです。
愛する人には、ぜひ、楽だけではなく、苦も、分けてあげてください。
余計なお世話ではありますが、そう思います。

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■節子への挽歌1738:既生瑜、何生亮

節子
どうも最近、心身ともに調子がよくありません。
今日は、またちょっと挽歌らしからぬ内容です。

テレビの連続ドラマ「三国志」を最近観ているのですが、このドラマは映画「レッドクリフ」とはかなり違います。
レッドクリフでは悪役だった魏の曹操が好意的に描かれていて、私にはかなり安心して観ていられます。
ちょうどいまは、呉の名将といわれた周瑜と蜀の諸葛孔明の確執が中心に物語が展開されています。
周瑜と孔明はライバル関係にあり、孔明への怒りが周瑜の命を縮めるという設定になっていますが、史実においても、そうしたことが伝えられているようです。
周瑜は遠征途中に36歳で急逝するのですが、その臨終の際、「諸葛亮からの挑発的な書状を読み、「天はこの世に周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのだ!(既生瑜、何生亮)」と血を吐いて憤死」(ウィキペディア)したといいます。
テレビドラマでも、諸葛孔明への怒りで周瑜が吐血する場面が何回か出てきます。
もし周瑜が「既生瑜、即生亮」と考えれば、歴史の流れは変わったかもしれません。
「天はこの世に周瑜を生んだからこそ、諸葛亮も生んだ」のです。

挽歌と無縁のことを書いてしまいましたが、少しつなげましょう。
周瑜の妻は小喬という、これも有名な人でした。
2人はお互いに深く愛し合っていました。
しかし、このドラマの中で、2人は諸葛孔明をめぐって、争います。
周瑜が孔明を暗殺しようとした時に、小喬がそれを妨げるのです。
その理由は、孔明がかつて周瑜を助けたことがあるからです。
周瑜を愛していればこそ、小喬は周瑜が孔子を殺めるのを妨げたのです。

愛は複雑です。
周瑜の悲劇は愛が小さかったことではないかと、私はその連続ドラマを観ながら、よく思います。
そして、節子の愛を思います。
節子と同じ時代に生まれたことを感謝します。

それと同じように、同じ時代に生まれた人たちをみんな愛することができれば、どんなに平安に浸れることでしょう。
残念ながら、しかし、最近、この時代に生まれたことにどうも感謝できません。
愛せない人があまりに多く、同じ時代に生きていることにさえ、不快感を感ずるほどです。
私の調子が、あまりよくないのは、そのせいかもしれません。
愛が小さいせいか、腹立たしいことが多すぎるのです。
吐血はしませんが、時々、嘔吐したくなります。

それを癒してくれる節子が、もういない。
心身の調子はなかなかよくなりません。
そんなわけで、最近は時評編もあまり書けないでいます。

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2012/06/06

■身勝手な嘆き

それにしても、と思います。
原発は再稼動、消費税は増税、天下りはそのまま、高速道路やダムの建設は次々に復活、TPPは参加に動き出す。
この国は結局、何も変わらなかった。
そう思わざるを得ません。
民主党には大きな期待をしましたが、結局はアンシャンレジームに完全に飲み込まれてしまった。
しかし、政治のダイナミズムは見事です。
社会党もそうでしたが、民主党も、ただ単に利用されたに過ぎません。

アメリカでよく言われているように、二大政党とは一つの政党にほかなりません。
しかし、若い世代が、それを内部から壊してくれるかもしれないと思っていました。
でも結局は、彼らはただ単に年齢が若かっただけで、発想はすでに飲み込まれていたようです。
少なくとも私よりは老化しているように思います。

最近の政府を見ていると、日本の政府はすでに壊れたとしか思えません。
国民を代表しているとは、とても思えない。
しかも、防衛大臣には、信じられないですが、民間人。
壊れた後に、何が始まるのか。
まあそれを見物するのも、余命少ないものには面白い出し物かもしれません。
少し長生きしすぎたようです。

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2012/06/05

■倫理から安全へ

先日の技術倫理シンポジウムで講演された杉本さんのお話の中に、「原子力業界は2005年の時点で、安全文化と引き換えに倫理への関心を失った」ということがありました。
杉本さんは、ハリスらの名著「科学技術者の倫理」を日本に紹介し、技術者倫理の動きを起こした人ですが、ご自身も原子力業界での技術倫理研修に関わられています。
私も、その本で目覚めた一人です。

原子力関係の事故は今回の福島の事故に至るまでも繰り返し発生しています。
自宅からあまり出ないほうがいいといわれたのも、別に今回が初めてではありません。
娘は、1999年の東海村JCO臨界事故の時のことをはっきりと覚えていました。
福島の今回の事故が例外的だと考えている人が多いですが、そんなことは全くありません。
前回の時にもう少しみんながきちんと考えておけば事態は変わっていたかもしれません。

杉本さんは、いくつかの原子力関係の事故報告書を調べた結果を報告してくれました。
それによると、1999年の東海村JCO臨界事故調査委員会の報告では、倫理を重視し、「原子力分野では、大学等の教育の場も含め、技術者に専門職としての倫理教育を行うことが急務である」と明記されているそうです。
そして実際に、そうした活動が始まり、杉本さんもそれに取り組まれてきました。
ところが、「その後、原子力安全委員会の事故報告から「倫理」が消えて、「安全文化」へと移った」と杉本さんは言います。
原子力業界は全体として、2005年の時点で、安全文化と引き換えに倫理への関心を失ったというのです。

先ほどのJCOの事故報告書(1999)には「倫理」が30回、「モラル(ハザード)」が10回、「安全文化」が12回、登場しているそうです。
それが、2002年の東電のトラブル隠しの報告書では、「安全文化」が9回出てくるのに対して、「倫理」はたった1回だそうです。
さらに、2005年の関電の美浜発電所事故の最終報告では、「安全文化」が34回も出てくるのに、「倫理」という言葉は一度も出てこないそうです。
このことは、実に象徴的です。

「安全文化」という言葉も曖昧ですが、「原発は安全」とか「安全運転は保証できる」と言うところから出発してしまう「安全文化」は無意味です。
安全ではない、安全運転は難しい、というとこから安全問題を考えるのであれば、意味はありますが、この10年ほどの日本の原発は、安全から発想してきたのです。
つまり思考停止していたわけです。
言葉だけの「安全文化」が実態を見えなくしていたといってもいいでしょう。
そして、事故の後、原子力ムラには倫理のひとかけらも残っていなかった。
それは今もって続いていることです。

安全とは何かもおそらく考えたことのない4人の政治家が、安全だと口だけで言っている。
それをくい止めようとしない、小賢しい自分がただただおぞましいですね。

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■節子への挽歌1737:自らの虚無感からのロゴセラピー

節子
まだ節子後日数と挽歌の番号がずれていますので、今日はもう一つ書きましょう。
ロゴセラピーの話です。

この挽歌でも何回か書きましたが、フランクルが始めた精神療法はロゴセラピーです。
私は数年前に知ったばかりですが、フランクルのロゴセラピーが書かれている「人間とは何か」を読んだのは先月になってからです。
そこでいろいろなことを気づかせてもらいました。
そのことをフェイスブックに書いたら、なんと近くにロゴセラピストの勉強をされている友人がいたのです。
それも企業経営のコンサルティングの分野で活躍されている田口さんです。
おどろきました。
私は、自らもその一人ですが、昨今の経営コンサルタントがあまり信頼できずにいます。
しかし、ロゴセラピーを学んでいる人が、こんなに身近にいることに自分の不明さを恥じました。

その田口さんが、湯島に来てくれました。
いろいろと話しました。
とてもうれしい話が多かったです。
田口さんがロゴセラピーに関心を持った経緯は、虚無感からだったそうです。
その虚無感は、今の時代であれば、ほとんどの人が持ってもおかしくないでしょう。
でも田口さんは、それを契機に学びだしたのです。
これからの企業経営にとって、たくさんの示唆がそこには秘められているはずです。
すでに田口さんは、ロゴマネジメントに関しても著作を進めているようです。

経営コンサルタントの多くは、カウンセリングやコーチングの資格をとっています。
私は、そうした動きにはかなり冷ややかです。
資格や技法の問題で、カウンセリングやナラティブセラピーが中途半端に利用されることへの危惧があるからです。
田口さんが自らの虚無感から学びだしたという話にとても共感がもてました。
フランクルがそうであるように、自分の問題から出発しなければ、技法や観念に陥りかねません。
そういうブームは、それこそ虚しいです。
しかしそうしたブームに多くの人は流される。
それが私にはやりきれません。

田口さんと話していて、私もまた企業の経営コンサルタントをやりたい気分になってきました。
田口さんは、今の大企業の病理を深く理解しているはずですが、それでも大企業への期待や信頼を揺るがせてはいませんでした。
自らがしっかりしていれば、風景はきっと違って見えてくるのです。
病んでいるのは、大企業ではなく、私なのかもしれません。

挽歌にはあんまり相応しい内容にはなりませんでしたが、フランクル関連で挽歌の中に入れさせてもらいました。

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■節子への挽歌1736:「久しぶり・・・ではありません」

節子
金沢の大浦さんから久しぶりにメールが届きました。
題は「久しぶり・・・ではありません」でした。

大浦さんのことは前にも何回か書かせてもらいました。
たとえば挽歌1194「挽歌が取り持つ縁」で、私と大浦さんとの縁の始まりを書きました。
大浦さんは、お嬢さんの郁代さんを見送られ、その後、ずっと「mikuちゃんの日記」を書き続けています。
そこに今日は「郁ちゃんの輪」と題して、一条さんと私との3人の輪の話を書かれています。

今回のきっかけは、一条真也さんのブログです。
一条さんの新著「礼を求めて」に、私と大浦さんのことがでてきているのです。
私は、久しぶりにmikuちゃんの日記を読ませてもらいました。
そうしたら大浦さんからメールが届いたのです。
そのメールのタイトルが、「久しぶり・・・ではありません」でした。

久しぶり・・・ではありません
毎日読ませていただいていますから。
佐藤さんが続けていられるので、私もやめるわけにはいかないのであります。
佐藤さんはやっぱり「布施人生」です!
佐藤さんへのレター、続きはこちら↓
 http://d.hatena.ne.jp/mikutyan/20120605/1338861305
私も、このブログをやめるわけにはいかなくなってきました。
いやはや大変です。

ちなみに、今回の縁を作ってくださった一条さんのブログもお時間が許せばお読みください

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■節子への挽歌1735:「見せてしまったら崩れてしまうかもしれない」

節子
一度しかお会いしたことのない方からコメントに寄せられました。
2年ほど前に伴侶を見送った方です。
コメントから少し引用させてもらいます。

この2年間無我夢中でした。
ふっと心に穴が開いたように孤独と向き合うことが多くなりました。
でも誰にもそんな顔はみせません。。。
どうしてかわからないけど、見せてしまったら崩れてしまうのではないかって?怖いからかもしれません(苦笑)
「見せてしまったら崩れてしまうかもしれない。」
この言葉が気になっていました。
何が崩れるのだろうか。
崩れたらどうなるのだろうか。

実は私は節子を見送った後、見事に崩れました。
今も崩れているのかもしれません。
節子がいる時から崩れていたような生き方でしたから、外見にはそう変わっていなかったかもしれませんが、娘たちには見えていたでしょう。
私はいつも、自分に素直に生きることを大切にしてきました。
それでも、しかし、「誰にもそんな顔」があったことは否定できません。
当時はわかりませんでしたが、今になると逆にそれがよくわかる。

節子を見送って間もなく、友人のTさんがと友人と一緒に群馬から来ました。
いずれも最近伴侶を亡くされた人です。
Tさんは私よりも少しだけ年上でしたが、節子が逝く少し前に夫を亡くされました。
その直後に私は高崎のあるイベントで彼女に会いました。
彼女が主催したイベントでした。
後で知ったのですが、その時には夫を見送った様子など微塵も見せませんでした。
彼女は、ともかく凛とした人でした。
彼女の書いた本を節子は読んで、その生き方を敬服していました。
2人は残念ながら、会う機会はありませんでしたが。

しばらくしてTさんが友人と一緒に湯島を訪れたいと言ってきました。
そして友人は最近伴侶を亡くし、傷心していると書いてありました。
3人の伴侶を亡くした傷心者の、ちょっと不安な集まりになる予定でした。
私も、Tさんであれば、心が開けるかもしれないと思っていました。
30分ほど話して、さあこれからもっと本音が出てくるかなと思っていたら、Tさんがいつものきっぱりした口調で言いました。
はい、これで悲しい話は終わり、別の話をしましょう。
意外でしたが、いかにもTさんらしいと思いました。
そして、NPO関係の相談になりました。
ともかくさまざまな社会的な活動をされている人なのです。

ところでコメントを送ってくれたSさんはこう続けています。

いつも忙しくしています。
でもこないだ足を怪我して一日中家にいたら淋しさに占領されてしまってなかなか元気になれなくています。
夫のいない淋しさを埋めようと思ったらしく柴犬を飼ってしまいました。
息子がいても愛犬がいても人は一人なのだと思うことが多くなりました。
忙しくないと崩れそうになるのかもしれません。
時間ができてしまうと、孤独を感じてしまうのかもしれません。
そんなことは、つまり人は孤独であることは決してないのですが、私も時にそう思ってしまいます。
もう5年近く経つのですが。

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■節子への挽歌1734:布施人生

節子
昨日、元上場企業の社長だったYさんが湯島に来ました。
ある集まりで、私が少しだけ話したことに関心を持ってくださり、歓談したいとその集まりの事務局の方と一緒に来てくれました。
私は初対面だとばかり思っていたのですが、以前、湯島のオープンサロンにも来てくれたそうです。
その時は奥様もご一緒でしたと、Yさんは開口一番お話されました。
一度お会いした人はできるだけ心に刻み付けているようにしていますが、大変な失礼をしてしまいました。
最近、こうしたことが時々起こります。

Yさんは、さらに続けました。
とても不思議な集まりで、しかも奥さんがご一緒だったので、どうしてご一緒に参加されているのですかと訊いたら、「愛のためでしょうか」と応えられましたよ、とおっしゃるのです。
思わず女房がそう言ったのですか、と言ってしまいました。
まあたぶん、冗談だったのだろうとは思いますが。

節子はオープンサロンが最初は好きではありませんでした。
飲物や軽食を用意するのも大変でしたし、議論の内容も節子の関心事ではないことが多かったからです。
いやがる節子を説得して、わけのわからない集まりを10年以上も続けていたのです。
当初は飲み放題でビールもふんだんに用意していました。
私は下戸ですが、節子はビールすら飲めませんでした。
にもかかわらず、ビールを出すのも節子には最初は抵抗があったでしょう。
参加費もとらずに、どうしてビール飲み放題なのかと、参加者に言われたこともあります。
しかしこれは私にとっては、コモンズの確認だったのです。
そのうち、こっそりとビール券を置いていったり、お金を置いていったりする人が現れだしました。
持ち込みも多くなり、一時は机に乗り切らないほどの食べ物が集まりました。
そうしたことが、私のその後の生き方や今の価値観に大きな影響を与えています。
コモンズの悲劇ではなく、コモンズの幸せが現実なのだと確信できたのです。
節子も大きな影響を受けたと思います。
オープンサロンは、私たちを育ててくれた場でもあるのです。

Yさんは私に、佐藤さんはお布施人生ですね、と言いました。
お布施は他者のためではなく、自らのためのものですから、と答えさせてもらいましたが、私がそうした生き方を続けられたのは節子のおかげだったなとつくづく思います。

最近は、オープンサロンも会費制にしてしまいました。
そのくせ、飲物もお菓子もよく出し忘れます。
節子がいたらどういうでしょうか。

いまは私がお布施をもらうようになってきました。
毎月のように、誰かが珈琲を持ってきてくれます。
私好みのものは、私が自宅に持ってかえって飲んでしまうこともあります。
今朝も、湯島で飲んで美味しかったので、こっそり自宅に持ち帰ったモカマタリを飲んでいます。
予想よりも利益が出たからと、ある中小企業の社長がお金を入金してくれたので、昨年の私の会社は黒字になりました。
サロンの常連だった人は、私以上に私のことを心配してくれています。
しばらくはまだ湯島を閉じなくてすみそうです。
喜ぶべきかどうかは、少し迷うところではありますが。

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2012/06/04

■原子力は非倫理的なエネルギーである

タイトルの言葉は、私のものではありません。
2日に講演をお聴きした、環境エネルギー政策研究所の山下紀明さんの言葉です。
原子力に関して組織されたドイツの倫理委員会の話を紹介するなかで、話されました。
まったく同感ですが、あまりに明確に言い切ったので、私自身はスッとしました。
私もそう思っているからです。
原子力開発に関わった科学者のなかには、その後、良心の呵責に責められて、人生を変えた人もいます。
パグウォッシュ会議もアシマロ会議も、そこから生まれたように思います。
科学技術は中立であり、それを使う人によって、良くも悪くもなるという人が多いですが、そんなことはありません。
世の中にそもそも「中立」などということはないのです。

山下さんのこの発言には、さすがに質問が出ました。
なぜ非倫理的なのか、と。
山下さんは原発廃棄物のことに加えて、プルトニウムが原爆に使われるからだと話しました。
全く同感です。
ラッセル・アインシュタイン宣言では、原子力の平和利用をうたっていますが、残念ながら物理学者たちも政策担当者も、本気で原子力の平和利用などは考えませんでした。
もし考えていたら、今とはかなり違った原発政策がとられていたでしょう。
プルトニウムを出す原発ではないトリウム原発というのが話題になった時期があります。
トリウム原発だと原爆には結びつかないので、それは誰も真剣に取り組まなかったといわれています。
昨年以来、このトリウム原発が話題になりだしていますが、山下さんは明確に、もしトリウム原発だったら各国はこんなに原発に精を出さなかっただろうといいました。
私もそう思いますが、その一点で、原発の非倫理性は明らかなように思います。
原爆につながればこそ、巨額なお金が原子力科学技術者に流れたのです。
そこで起こった事故死は、お金で隠蔽されました。
私も生々しい話を聞いたことがあります。

また使用済み燃料の廃棄先がありませんので、その点から原発はどこかで動かせなくなるだろうとも山下さんは言いました。
私は宇宙開発と核燃料廃棄物処理をつなげて考えていますが、もしそうであれば、この点からもまさに非倫理性は明らかです。

ドイツの倫理委員会は、原子力が必要かどうかは原子力の専門家が決めることではなく、社会が決めることだと明言し、委員会のメンバーもその方針で構成されています。
そしてその委員会は、市民に公開された場で議論されています。
もちろん市民も参加してです。
日本のように、社会性などあまり持ち合わせていない原子力技術者やマネタリーエコノミーの尖兵たちによって、閉鎖的な密室で、形式的な議論で終わっているのとは大違いです。

たとえば、今回の大飯原発の再稼動の理由は、電力不足などでは全くないことはかなり明確になってきています。
関電の経営支援です。
山下さんは、原発を動かさないと高価な原発炉が資産ではなく負債になるからだと説明していました。
注意深くマスコミの報道を読めば、それはすでに明らかになりだしています。
しかしマスコミのキャスターもコメンテーターも、一見反対を装いながら、こうしたことはあまり語りません。
彼らもおそらくマネタリーエコノミーの餌食になっているのでしょう。
その点からも、原子力は非倫理的なエネルギーといえるかもしれません。

いやもしかしたら、電力自体が非倫理的なのかもしれません。
これに関しては以前書きましたので、繰り返しませんが。
念のために言えば、私は非倫理的であることを理由に、すべてを拒否するつもりはありません。
私のなかにも非倫理性はあるからです。
大切なのは、それを自覚し、できるだけ誠実に生きることではないかと思います。
それが、非倫理的になってしまった私たちが、せいぜいできることなのかもしれません。

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2012/06/03

■節子への挽歌1733:時間の変質

節子
昔は季節の変わり目が大好きでした。
夏は夏で、冬は冬で、ともかく新しい季節が来ることに何となくワクワクしたものです。
しかし最近は、そうした季節の変わり目はワクワクするよりも、なにやらさびしさを感ずるようになっています。
一緒に迎える人がいないからかもしれません。
それに、季節が変わったからと言って、何かが始まるわけでもない。

誕生日もそうですが、いろいろな記念日も、一緒に迎える人がいないと記念日の意味もありません。
そうなると時間とか季節とかいうものの意味が薄れてしまいかねません。
とても平板な流れの中で、人生は退屈になってしまいかねません。
別にそう望んでいるわけでもないのですが、時間の流れは節子がいた頃とはまったく違います。

今日はまる一日家にいました。
時間はたっぷりあったので、いろいろとしようと思っていたのですが、結局、何もせずに一日が終わってしまいました。
夕方、お墓に行ってきましたが、それ以外は一体何をしていたのだろうかと思うほどです。
朝、やろうと思っていた事は何一つ手付かずでした。
節子がいなくなってから、こんな日が増えました。
何かやらなければいけないことがないと、ただただ無意味に過ごしてしまう。
夕方になって、ホームページを更新する日だと思い出して、あわてて作業しましたが、挽歌は書けませんでした。
寝る前になって、挽歌を書こうと思っても、そういう時には挽歌も書けません。
こうやって無理やり書いている有様です。

時間は同じように過ぎていくのですが、節子がいた頃といなくなってからでは、時間というものがまったく違ってしまったような気がします。
もう2度と、以前のようには戻らないのでしょうか。
節子はきっと何かとても大切な時間の要素を持っていってしまったのでしょう。
しかしまあ、もともとは節子と一緒に育ててきた時間感覚ですから、仕方がありません。

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2012/06/02

■節子への挽歌1732:どうして人それぞれに寿命があるのか

節子
3月に、自殺を考えた人や自殺未遂された方などに語ってもらう「フォワードフォーラム」というのを開催しました。
そこで語り手の一人になった吉田さんは、ご子息を34歳で亡くされています。
吉田さんは、そのことに触れた時に、「人それぞれに寿命があるのでそれは仕方がないことですが」と話されました。
その言葉がとても印象的で、頭から離れないでいます。
人それぞれに寿命がある。
その言葉は、私には心を落ち着かせる言葉なのですが、その一方で、でもほんとにそうなのだろうかと思うのです。
もし本当ならば、節子の寿命はどうして62歳だったのだろうかと、食い下がりたくもなります。
そして、私の寿命はいつまでなのか、とも思います。

先週、新潟の金田さんが湯島に来ましたが、金田さんのお母さんはもうじき103歳だそうです。
100歳を超えて、なお元気な方もいる。
30代にして、人生を終える人もいる。
どうして人には、それぞれの寿命があるのでしょうか。

若い時には、寿命などということはまったく意識していませんでした。
しかし、今となって考えると、私と節子が共に寿命を全うすることなど、ありえないことは明らかです。
寿命を共にできない2人が幸せな夫婦になるということは、「不幸」を取り込むことなのです。
なにをつまらないことを書いているのかと怒られそうですが、そうした「別れ」もまた、幸せの一要素なのかもしれないという気がしてきました。
個人としての寿命のばらつきがあればこそ、さまざまな体験が生まれて、「大きな生命」は輝いていく。
そしてそれがまた、個人としての生命にフィードバックされていく。
もしかしたら、このあたりについては、華厳経に書かれているのかもしれません。
いずれにしろ、寿命があればこそ、人生は輝いていくことは間違いありません。
だとした、愛する者の寿命が自分よりも先に訪れることにも、なにか大きな意味があるはずです。
さてさて、まだ難題です。

ところで、昨今の健康ブームは、寿命に抗うということなのでしょうか。
あるいは寿命を全うするということなのか。
節子がまだ元気だったら、私たちも健康ブームに参加していたでしょう。
少なくとも、節子は間違いなくそうでしょう。

しかし寿命が定まっているのであれば、それに素直に従うのがいいと私は今はもちろんですが、ずっと思い続けています。
節子がいないので、健康管理をしなくてもいいのがうれしいです。

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2012/06/01

■節子への挽歌1731:「輝くべきものは、燃えることに耐えなければならない」

節子
またフランクルです。
しかし、今度はフランクルの言葉ではありません。

フランクルは、「一本の松明が消えたとしても、それが輝いたということには意味がある」と書き、それに続いて、オーストリアの詩人ヴィルトガンスの言葉を紹介しています。
「輝くべきものは、燃えることに耐えなければならない」という言葉です。
そして、フランクルは言います。
われわれは、それが燃え尽きること、「最後まで」燃えることに耐えなければならない、と。

一本の松明とは何か、これもいろいろな思いが広がりますが、今日はヴィルトガンスの言葉について書きたいと思います。
「輝くべきものは、燃えることに耐えなければならない」。
ここで、「燃える」とは苦悩することを意味している、とフランクルは説明しています。
つまり、輝きには苦悩が共存している。

ものにはすべて表と裏があります。
あるいは時間的には盛衰がある。
表がなければ裏はありませんし、盛がなければ衰もない。
もちろんその反対、たとえば、衰がなければ盛もない、とも言えるわけです。

節子との幸せな生活や関係が、もしずっと続いていたらどうだったか。
もちろんそうであったら、どんなにかよかったことでしょう。
しかし、輝くものはいつか燃え尽き、輝かなくなるのかもしれません。
私と節子に限っては、そんなことはないという自信はありますが、しかし、不変であることは、生きていること、輝いていることとは両立しないようにも思います。
苦悩のない幸せはないのです。
あるいは、幸せが大きければ大きいほど、そこには大きな苦悩が秘められているわけです。
こうしたことは、前にもこの挽歌で書いたような気がしますが、それをひっくり返したらどうなるか。

節子との別れがあればこそ、節子の大切さ、節子の価値が見えてきたのかもしれません。
節子との別れで奈落の底に落とされたからこそ、節子との出会いの幸せや節子との暮らしの豊穣さがわかったのかもしれません。
苦悩が大きければ大きいほど、節子との生活の価値の大きさが実感でき、愛もまた大きく感じられる。
苦悩の大きさが、私たちの生の輝きの大きさを確信させてくれているともいえるわけです。
そして、それは言い換えれば、いまの幸せを確かなものにしてくれる。
つまり、苦悩は同時に幸せであり、輝きなのです。
それに気づけば、素直にいまの悲しさやさびしさを受け容れられます。

そしてフランクルです。
「一本の松明が消えたとしても、それが輝いたということには意味がある」。
少なくとも、私たちは一時とはいえ、輝いていました。
ですから徹底的に燃え尽きるまで、耐えなければいけません。
耐えることこそが、節子への愛の証だからです。
物語はまだ終わっていないのです。

フランクルは、多くのことに気づかせてくれ、私を支えてくれています。

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■座軸の反転

昨日、テロリストと政府とはそう違うわけではないと書いたら、怒られてしまいました。
少しきちんと書かないといけません。

テロリスト、テロする人という時の「テロ」は、もともとフランス革命の時の「恐怖政治」を指す語だったそうです。
ロベスピエールをはじめとしたフランス革命のリーダーたちは、「テロリスト」だったわけです。
19世紀になると逆に政府を倒そうとする人たち、とりわけアナキストたちがテロリストと呼ばれるようになり、20世紀にはレジスタンスがテロリストと呼ばれるようになったようです。
スーザン・ソンタグは、10年近く前に日本で行ったシンポジウムで、ナチスドイツ支配下のフランスでのレジスタンスがテロリストと呼ばれていたことを紹介しています。
そして、ソンタグは、そのシンポジウムで、「テロリストいう語については極めて注意深くなければいけない」と発言しています。

それを踏まえて、あえて私は昨今の政府をテロリスト集団と捉えたほうが世界の実相が見えやすくなるのではないかと思うことがあります。
死の恐怖を背景とした政治から、生かすことを起点においた生政治へと、政治の本質が変わってきていることと、それは無縁ではないように思います。
いや、生政治がいままた反転しようとしているのかもしれません。
その典型は、シリア政府です。
日本とシリアとどちらが健全なのか、私には俄かには判断できませんが、政府が国民の平安な暮らしを目的にしなくなったことは間違いない事実でしょう。
企業が従業員の暮らしを守る以上に儲けを高めることを目的にしだしたことに、それは如実に象徴されています。

暴力を独占した政府が、その暴力をコントロールする仕組みを維持できなくなったらどうなるか。
中途半端ではない、テロリストになっていきます。
テロリスト政府のもとで生きるには、自らの感性を麻痺させなければいけません。
昨日書いたように、「活断層上の原発」は時限爆弾だといっていいと思いますが、福島原発事故を体験してもなお、その時限爆弾の恐さを想像できないほどに、私たちの恐怖感覚は麻痺させられています。
むしろ私たちに恐怖をもたらすのは「仕事」や「お金」がなくなることです。
そこにあるのは、過労死を引き起こすのと同じ、強迫観念が埋め込まれた構造です。
これまた表現が悪いですが、麻薬常習犯と同じような生き方を私たちは何の違和感もなく受け入れているのです。
安心して生きていくことよりも、マネタリーエコノミーを維持させていくために、労働と消費(昨今では消費もまた労働の一種です)にせっせと精出す、「モノ」に成り果てているのが、もしかしたら今の私たちです。
生きることも死ぬことも、さほどの違いもない、自爆的生活をしている人は少なくないでしょう。
自爆するイスラム教徒を非難することなど、できません。

座軸を反転させて、世界を見ると、新しい世界と未来が見えてきます。
どういう座軸の世界で生きていくか。
それこそがいま私たちが考えなければいけないことのような気がします。


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■節子への挽歌1730:お祝いのメール

節子
節子がいた頃はまだ話題にもならなかった、フェイスブックというのがあります。
1年前から私も始めました。
ブログとメールとホームページを合わせたようなもので、とても面白く、弱い紐帯やスモールトーク関係を育てていく仕組みとしては効果的です。
私も500人を超える人と、いまやりとりしていますが、フェイスブックでは自らのプロフィールを公開するのが基本です。
それで私の誕生日も公開されているわけですが、そのおかげで、誕生日になると沢山の人から「誕生日のお祝い」が書き込まれます。
そんなわけで、今年は150人を超える人たちから「誕生日おめでとう」メールが届きました。

そのなかには、私との出会いでちょっとだけ生き方が変わったと書いてきてくれた人たちが何人かいました。
文面では、「良い方向」への変化だと思いますが、それを読みながら、節子の人生はどうだっただろうかと思いました。
出会わなかったらどうなったかまったくわかりませんので、比較のしようもありませんが、私と会わなかったら、もしかしたら節子はいまも元気で、生を楽しんでいるかもしれません。
そんな気がしてならないのですが、しかし、同時に、節子がもし私に会わなかったら、その人生は退屈だっただろうなという思いもあります。
私と会ったおかげで、そして一緒に暮らしたおかげで、節子はたぶん「普通とはちょっと違った人生」を楽しめたのではないかと思います。
そのなかには、「余計な苦労」も、「不愉快なこと」も、そして「早すぎる死」も含まれています。
それにしても、「よくもった」ものです。

私が25年間務めた会社を辞めるといった時に、節子は引き止めるどころか、「今までよくもったね」と言いました。
お互いに、よくもったものです。
いろいろと問題がなかったわけではありません。
しかし少なくとも私たちは、私たちらしい生き方ができたように思います。
節子にしてやれなかったことはたくさんありますが、少なくとも、私たちの人生は退屈ではありませんでした。

71歳になってしまいました。
佐藤さんの心は30代、と書いてきてくれた人もいますが、心は成長していなくても、身体はかなりぼろぼろです。
もう10年は元気でいてくださいと書いてきてくれた人もいますが、長くてもあと5年ほどにしたいと思います。
うまくいくといいのですが。

たくさんの人たちからお祝いのメールは来ましたが、節子から来ないのが、やはりさびしいですね。

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