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2012/06/25

■節子への挽歌1758:節子のありがたみ

節子
私の一番の苦手は買い物です。
コンビニくらいでは買い物もできますが、スーパーやデパートはどうも苦手です。
これは節子のせいです。
節子がいる時には、いつも節子が買い物をしていました。
私が商品を選ぶこともありましたが、買うのはいつも節子でした。
外食の支払もすべて節子でした。
そのため、私は財布を持つ必要がありませんでした。
というか、私は財布をもつことが嫌いでした。
お金が好きになれなかったからです。
最近は、カードや電子マネーができたので、お金がなくても買い物ができるので、前よりは抵抗が少なくなりましたが、できることなら買い物はしたくないです。

節子がいなくなってから、買い物がどうも困ります。
私は、ほとんど、物を買わないのですが(書籍だけは別ですが、これはネットで買えるので抵抗がありません)、それでも時に必要な物も出てきます。
そういう時には娘に頼みますが、問題は衣服や靴です。
これは好みやサイズもありますので、頼むわけにもいきません。
それで、いまは頼み込んで同行してもらい、商品を選んで、買うのは娘に頼みます。

もう一つだめなのが、クリーニング店です。
娘は、クリーニング店くらいは自分で行くようにと言いますが、これも苦手です。
行ったことがありません。
なんで行けないのか、と娘には言われますが、人にはそれぞれ苦手なことがあるものです。

節子と一緒の時には、それぞれ得手不得手を認め合い、補っていました。
得手を活かし、不得手を補ってもらうのは、とても気持ちのいいものです。
人は、他者に何かをしてもらいたいと思いながら、同時に、他者に何かをしてあげたいと、深く思っています。
「してもらうこと」と「してやること」と、どちらがうれしいかと言えば、たぶん、後者です。
しかし、もっとうれしいのは、両者が重なることでしょう。
「してやること」が「してもらいこと」に重なる。
それが、伴侶たる者同士の関係です。
そこでは、「してやる」とか「してもらう」ということさえ、無意味になります。
夫婦とは、実に不思議な存在でした。

私のために娘のできることはたくさんあります。
いまは食事もつくってもらっています。
問題は、娘のために私ができることがあまりないことです。
夫婦と親子は、やはりまったく違います。
親子には、それぞれの人生があります。
しかし、夫婦の場合、それぞれの人生が、2人の人生でもあるのです。
そうでない夫婦も少なくないでしょうが、私たちはそうでした。
だからこそ、今の私の苦労や寂しさがあるのかもしれません。

娘は、お母さんが言っていたように、もっと自立しておけばよかったね、と言います。
しかし、私は思います。
自立してなくてよかった。節子のありがたさがますますわかってくるから、と。

節子
あなたがいなくても、まあ、なんとか娘たちのおかげでやっています。
時々、「節子だったらなあ」と言って、ひんしゅくをかっていますが。

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