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2012/06/04

■原子力は非倫理的なエネルギーである

タイトルの言葉は、私のものではありません。
2日に講演をお聴きした、環境エネルギー政策研究所の山下紀明さんの言葉です。
原子力に関して組織されたドイツの倫理委員会の話を紹介するなかで、話されました。
まったく同感ですが、あまりに明確に言い切ったので、私自身はスッとしました。
私もそう思っているからです。
原子力開発に関わった科学者のなかには、その後、良心の呵責に責められて、人生を変えた人もいます。
パグウォッシュ会議もアシマロ会議も、そこから生まれたように思います。
科学技術は中立であり、それを使う人によって、良くも悪くもなるという人が多いですが、そんなことはありません。
世の中にそもそも「中立」などということはないのです。

山下さんのこの発言には、さすがに質問が出ました。
なぜ非倫理的なのか、と。
山下さんは原発廃棄物のことに加えて、プルトニウムが原爆に使われるからだと話しました。
全く同感です。
ラッセル・アインシュタイン宣言では、原子力の平和利用をうたっていますが、残念ながら物理学者たちも政策担当者も、本気で原子力の平和利用などは考えませんでした。
もし考えていたら、今とはかなり違った原発政策がとられていたでしょう。
プルトニウムを出す原発ではないトリウム原発というのが話題になった時期があります。
トリウム原発だと原爆には結びつかないので、それは誰も真剣に取り組まなかったといわれています。
昨年以来、このトリウム原発が話題になりだしていますが、山下さんは明確に、もしトリウム原発だったら各国はこんなに原発に精を出さなかっただろうといいました。
私もそう思いますが、その一点で、原発の非倫理性は明らかなように思います。
原爆につながればこそ、巨額なお金が原子力科学技術者に流れたのです。
そこで起こった事故死は、お金で隠蔽されました。
私も生々しい話を聞いたことがあります。

また使用済み燃料の廃棄先がありませんので、その点から原発はどこかで動かせなくなるだろうとも山下さんは言いました。
私は宇宙開発と核燃料廃棄物処理をつなげて考えていますが、もしそうであれば、この点からもまさに非倫理性は明らかです。

ドイツの倫理委員会は、原子力が必要かどうかは原子力の専門家が決めることではなく、社会が決めることだと明言し、委員会のメンバーもその方針で構成されています。
そしてその委員会は、市民に公開された場で議論されています。
もちろん市民も参加してです。
日本のように、社会性などあまり持ち合わせていない原子力技術者やマネタリーエコノミーの尖兵たちによって、閉鎖的な密室で、形式的な議論で終わっているのとは大違いです。

たとえば、今回の大飯原発の再稼動の理由は、電力不足などでは全くないことはかなり明確になってきています。
関電の経営支援です。
山下さんは、原発を動かさないと高価な原発炉が資産ではなく負債になるからだと説明していました。
注意深くマスコミの報道を読めば、それはすでに明らかになりだしています。
しかしマスコミのキャスターもコメンテーターも、一見反対を装いながら、こうしたことはあまり語りません。
彼らもおそらくマネタリーエコノミーの餌食になっているのでしょう。
その点からも、原子力は非倫理的なエネルギーといえるかもしれません。

いやもしかしたら、電力自体が非倫理的なのかもしれません。
これに関しては以前書きましたので、繰り返しませんが。
念のために言えば、私は非倫理的であることを理由に、すべてを拒否するつもりはありません。
私のなかにも非倫理性はあるからです。
大切なのは、それを自覚し、できるだけ誠実に生きることではないかと思います。
それが、非倫理的になってしまった私たちが、せいぜいできることなのかもしれません。

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