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2012/06/28

■節子への挽歌1760:自分を見直す旅

湯河原に宿泊して、兄との旅行の2日目は、小田原の大雄山最乗寺に行きました。
ここも節子のお気に入りでした。
最後に来たのは再発する前の年の秋だったでしょうか。
節子の姉夫婦と一緒でした。
大雄山はかなり参道の坂を登っていかなくてはいけないのですが、節子はよく頑張りました。
ただ堂内では、もう階段はあまり登れなかったのを覚えています。
あの時もたぶん、節子は姉夫婦を案内したかったのでしょう。
節子は、ともかく思い出をたくさん残していきたかったのです。

思い出を託せる人がいる人は幸せです。
私には、そういう人はいるでしょうか。
私がいなくなった後に、思い出してほしい人です。
娘たちは思い出してくれるでしょうが、やはり親子とは別に、そうした人がいるかどうかは大きな違いです。

節子の父は、60代で亡くなりました。
そのお葬式はまだ伝統的なスタイルが残されていました。
当時の葬儀は3日がかりで、親戚やら在所の人やらが50人ほど連日、お酒を飲んでいました。
下戸の私は、お酒をどう交わすかで苦労しました。
それに、向こうは余所者の私を知っていても、私は誰が誰やらほとんど知らないのです。
宴席は基本的に男性だけでしたので、節子に紹介してもらうこともできませんでした。
ただただひたすらお酒を勧められるだけでした。

まだ土葬で、お墓まで親族がお棺を担いでいくのです。
先導役は孫の役目で、確か娘のユカが白装束でつとめました。
私は担ぎ手の一人だったと記憶していますが、その時に、途中の大きな樹のかげで、一人で目立たないように手を合わせている男性がいました。
とても気になって、後で節子に、あの人は誰なのかと訊きました。
隣の村の人で、あまりみんなとは付き合いがなかったけれど、節子のお父さんがいろいろと親切にしてやっていたのだそうです。
理由は忘れましたが、正式の宴席には顔を出せなかったようです。

私の葬儀にも、そうして、だれにも気づかれずに、樹の陰から手を合わせて見送ってくれる人がいるといいなと、その時、思ったのを思い出しました。
そういうところにこそ、人の生き方が現れるものです。

それでまた思い出しました。
節子の葬儀の時の弔問記帳簿に、私の全く知らない人が記帳してくれていました。
たしか松戸から来てくれていました。
誰だろうと少し調べてみましたが、わかりませんでした。
その時も、実は節子のお父さんの時にことを思い出しました。
もう少しきちんと調べればよかったと悔やまれますが、当時は、むしろ調べるべきではないとなぜか思ってしまっていました。

葬儀の時にこそ、その人の人生が見えてくるとよく言います。
節子の葬儀は、とてもいい葬儀でした。
さて私の場合はどうでしょうか。
誰にも気づかれることなく、ひっそりと見送ってくれる人が一人でもいるとうれしいです。
そのためには、もう少しきちんと生きなければいけません。
最近少し自堕落になってきているのを反省しなければいけません。

今回の兄との旅は、自分を見直す旅でもありました。

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