■節子への挽歌1737:自らの虚無感からのロゴセラピー
節子
まだ節子後日数と挽歌の番号がずれていますので、今日はもう一つ書きましょう。
ロゴセラピーの話です。
この挽歌でも何回か書きましたが、フランクルが始めた精神療法はロゴセラピーです。
私は数年前に知ったばかりですが、フランクルのロゴセラピーが書かれている「人間とは何か」を読んだのは先月になってからです。
そこでいろいろなことを気づかせてもらいました。
そのことをフェイスブックに書いたら、なんと近くにロゴセラピストの勉強をされている友人がいたのです。
それも企業経営のコンサルティングの分野で活躍されている田口さんです。
おどろきました。
私は、自らもその一人ですが、昨今の経営コンサルタントがあまり信頼できずにいます。
しかし、ロゴセラピーを学んでいる人が、こんなに身近にいることに自分の不明さを恥じました。
その田口さんが、湯島に来てくれました。
いろいろと話しました。
とてもうれしい話が多かったです。
田口さんがロゴセラピーに関心を持った経緯は、虚無感からだったそうです。
その虚無感は、今の時代であれば、ほとんどの人が持ってもおかしくないでしょう。
でも田口さんは、それを契機に学びだしたのです。
これからの企業経営にとって、たくさんの示唆がそこには秘められているはずです。
すでに田口さんは、ロゴマネジメントに関しても著作を進めているようです。
経営コンサルタントの多くは、カウンセリングやコーチングの資格をとっています。
私は、そうした動きにはかなり冷ややかです。
資格や技法の問題で、カウンセリングやナラティブセラピーが中途半端に利用されることへの危惧があるからです。
田口さんが自らの虚無感から学びだしたという話にとても共感がもてました。
フランクルがそうであるように、自分の問題から出発しなければ、技法や観念に陥りかねません。
そういうブームは、それこそ虚しいです。
しかしそうしたブームに多くの人は流される。
それが私にはやりきれません。
田口さんと話していて、私もまた企業の経営コンサルタントをやりたい気分になってきました。
田口さんは、今の大企業の病理を深く理解しているはずですが、それでも大企業への期待や信頼を揺るがせてはいませんでした。
自らがしっかりしていれば、風景はきっと違って見えてくるのです。
病んでいるのは、大企業ではなく、私なのかもしれません。
挽歌にはあんまり相応しい内容にはなりませんでしたが、フランクル関連で挽歌の中に入れさせてもらいました。
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