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2012/06/05

■倫理から安全へ

先日の技術倫理シンポジウムで講演された杉本さんのお話の中に、「原子力業界は2005年の時点で、安全文化と引き換えに倫理への関心を失った」ということがありました。
杉本さんは、ハリスらの名著「科学技術者の倫理」を日本に紹介し、技術者倫理の動きを起こした人ですが、ご自身も原子力業界での技術倫理研修に関わられています。
私も、その本で目覚めた一人です。

原子力関係の事故は今回の福島の事故に至るまでも繰り返し発生しています。
自宅からあまり出ないほうがいいといわれたのも、別に今回が初めてではありません。
娘は、1999年の東海村JCO臨界事故の時のことをはっきりと覚えていました。
福島の今回の事故が例外的だと考えている人が多いですが、そんなことは全くありません。
前回の時にもう少しみんながきちんと考えておけば事態は変わっていたかもしれません。

杉本さんは、いくつかの原子力関係の事故報告書を調べた結果を報告してくれました。
それによると、1999年の東海村JCO臨界事故調査委員会の報告では、倫理を重視し、「原子力分野では、大学等の教育の場も含め、技術者に専門職としての倫理教育を行うことが急務である」と明記されているそうです。
そして実際に、そうした活動が始まり、杉本さんもそれに取り組まれてきました。
ところが、「その後、原子力安全委員会の事故報告から「倫理」が消えて、「安全文化」へと移った」と杉本さんは言います。
原子力業界は全体として、2005年の時点で、安全文化と引き換えに倫理への関心を失ったというのです。

先ほどのJCOの事故報告書(1999)には「倫理」が30回、「モラル(ハザード)」が10回、「安全文化」が12回、登場しているそうです。
それが、2002年の東電のトラブル隠しの報告書では、「安全文化」が9回出てくるのに対して、「倫理」はたった1回だそうです。
さらに、2005年の関電の美浜発電所事故の最終報告では、「安全文化」が34回も出てくるのに、「倫理」という言葉は一度も出てこないそうです。
このことは、実に象徴的です。

「安全文化」という言葉も曖昧ですが、「原発は安全」とか「安全運転は保証できる」と言うところから出発してしまう「安全文化」は無意味です。
安全ではない、安全運転は難しい、というとこから安全問題を考えるのであれば、意味はありますが、この10年ほどの日本の原発は、安全から発想してきたのです。
つまり思考停止していたわけです。
言葉だけの「安全文化」が実態を見えなくしていたといってもいいでしょう。
そして、事故の後、原子力ムラには倫理のひとかけらも残っていなかった。
それは今もって続いていることです。

安全とは何かもおそらく考えたことのない4人の政治家が、安全だと口だけで言っている。
それをくい止めようとしない、小賢しい自分がただただおぞましいですね。

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コメント

表意文字は意味を乗せて用いる物ですから、意味を調べて用いたいものですね
表意文字も原子力発電に見劣りしないほど便利な物で、権威や殺人にも使えます
誤って使うと、誰かに脅されたり殺される事になるかもしれません

投稿: 2933 | 2012/06/07 04:39

2933 さん
ありがとうございます。

表意文字のパワーは同感です。
誰かが言っていましたが、サルマーン・ルシュディーのThe Satanic Versesの翻訳の書名をもし『悪魔の詩』としなかったら、五十嵐さんは殺害されなかったかもしれません。

投稿: 佐藤修 | 2012/06/07 08:23

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