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2012/06/03

■節子への挽歌1733:時間の変質

節子
昔は季節の変わり目が大好きでした。
夏は夏で、冬は冬で、ともかく新しい季節が来ることに何となくワクワクしたものです。
しかし最近は、そうした季節の変わり目はワクワクするよりも、なにやらさびしさを感ずるようになっています。
一緒に迎える人がいないからかもしれません。
それに、季節が変わったからと言って、何かが始まるわけでもない。

誕生日もそうですが、いろいろな記念日も、一緒に迎える人がいないと記念日の意味もありません。
そうなると時間とか季節とかいうものの意味が薄れてしまいかねません。
とても平板な流れの中で、人生は退屈になってしまいかねません。
別にそう望んでいるわけでもないのですが、時間の流れは節子がいた頃とはまったく違います。

今日はまる一日家にいました。
時間はたっぷりあったので、いろいろとしようと思っていたのですが、結局、何もせずに一日が終わってしまいました。
夕方、お墓に行ってきましたが、それ以外は一体何をしていたのだろうかと思うほどです。
朝、やろうと思っていた事は何一つ手付かずでした。
節子がいなくなってから、こんな日が増えました。
何かやらなければいけないことがないと、ただただ無意味に過ごしてしまう。
夕方になって、ホームページを更新する日だと思い出して、あわてて作業しましたが、挽歌は書けませんでした。
寝る前になって、挽歌を書こうと思っても、そういう時には挽歌も書けません。
こうやって無理やり書いている有様です。

時間は同じように過ぎていくのですが、節子がいた頃といなくなってからでは、時間というものがまったく違ってしまったような気がします。
もう2度と、以前のようには戻らないのでしょうか。
節子はきっと何かとても大切な時間の要素を持っていってしまったのでしょう。
しかしまあ、もともとは節子と一緒に育ててきた時間感覚ですから、仕方がありません。

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妻への挽歌09」カテゴリの記事

コメント

 どのくらい前になるのでしょうか? 宮内さんとお宅をお訪ねした鈴木と申します。
たぶんお忘れになっているとは思いますが・・・。
パソコンをいじっていたら『節子への挽歌』が出てきてお便りをさせていただきました。
改めて読ませて頂きながら節子さんへの思いに心を打たれながらも羨ましいなって思いました。

 私の夫は一昨年の4月に病に倒れました。
こんな日が来るなんて想像もしていませんでした。
2010年1月に体調不良を訴えがんセンターへ行き、余命3か月の告知をされて3か月後に逝ってしまいました。
この2年間無我夢中でした。
ふっと心に穴が開いたように孤独と向き合うことが多くなりました。でも誰にもそんな顔はみせません。。。
どうしてかわからないけど、見せてしまったら崩れてしまうのではないかって?怖いからかもしれません(苦笑)

 私には音楽の仲間がいます。
木の笛があります。
いつも忙しくしています。
でもこないだ足を怪我して一日中家にいたら淋しさに占領されてしまってなかなか元気になれなくています。
夫のいない淋しさを埋めようと思ったらしく柴犬を飼ってしましました。
息子がいても愛犬がいても人は一人なのだと思うことが多くなりました。

 どうぞお元気で。

 

投稿: 鈴木鈴子 | 2012/06/04 14:55

のコカリナのリンコさんですね。
もちろん覚えています。
その節は演奏を有難うございました。

手賀沼のウォーターカフェに関しては、意見が食い違いましたが、それもはっきりと覚えています。

ご主人の件、お聞きしていました。
音楽がきっと大きな支えになっているのだろうなと思っていました。
また機会があったら珈琲でも飲みに来てください。

ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2012/06/04 15:04

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