■節子への挽歌1744:節子、また歯が抜けました
節子
挿し歯が抜けてしまいました。
気力が萎えてくると、どこもかしこも萎えてくるようです。
困ったものです。
今回抜けた歯は、これで3回目です。
前歯ではないのですが、口をあけると見える場所の歯です。
歯がないと、実にこっけいに見えるようです。
最初の時には、たしか自宅でした。
抜けるたびにエピソードがありますが、最初の記憶は、ともかく節子も娘たちも、笑い転げていたことです。
節子は、お腹を捩じらせて、涙を流して笑っていました。
全く失礼な話です。
自分の顔は見えませんから、何がそんなにおかしいのかわかりませんでしたが、鏡を見て、私も笑ってしまいました。
歯が1本抜けただけで、こんなに笑えるということは、実に平和で幸せな証拠です。
確か、家族がみんなで写真に残そうと写真を撮っていました。
注意しないと、その写真を私の遺影に使われかねません、
困ったものです。
2回目は出張中に起こりました。
あるところで講演し、その後、みんなと会食する予定でした。
何とか講演はうまくいきましたが、終了後の会食の時に、突然抜けてしまいました。
家族に笑われたことを思い出して、雰囲気を壊すまいと、こっそりトイレにたって、抜けた歯を無理やり挿して戻りました。
注意して食事をしましたが、ついつい話し出すと不注意になってしまい、また抜けてしまいました。
周囲に気づかれないようにするのは大変です。
またトイレ。
そしてその後は、余り話さず食べずに、聞き役に回りました。
今から思えば、まあみんな気付いていたかもしれません。
もしかしたら、笑うのを我慢していたのかもしれません。
悪いことをしました。
それからしばらく安泰でしたが、最近なんとなく不安を感じていました。
案の定、先日、持ちこたえられずに抜けてしまいました。
かかりつけの歯医者さんに応急手当をしてもらいましたが、そろそろ限界ですねといわれました。
私はこの歯医者さんを全面的に信頼しているので、そういわれたら仕方がありません。
またしばらく歯医者さん通いです。
今回、歯が抜けたまま過ごしたのはほぼ1日だけです。
歯が1本ないだけですが、大きな違和感があるものです。
歯医者さんに、1本ないだけで全体の感覚が一変しますね、と話したら、そうでしょうといわれました。
この歯医者さんはていねいで、私は先もそうないので、治療も適当でいいとお話しているのですが、実にていねいなのです。
ミクロン単位の精密作業なのです。
まあ、そのていねいさのおかげで、私は今、快適な生活ができているのでしょう。
人間の心身は、実に精巧なことがよくわかります。
歯が1本ないだけで、これだけの違和感です。
節子がいない生活の違和感が、どれだけ大きいか、推して知るべしです。
喪失体験は、そう簡単には戻らないのです。
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