■節子への挽歌1750:もうひとつの心情
節子
前の日曜日に、フォワードカフェというのをやりました。
そこに数年前に伴侶を自殺で亡くされたKさんが参加してくれました。
Kさんは長らく、そのことをあまり話していなかったのですが、今春開催したフォワードフォーラムで自らの話をみんなの前でカミングアウトしてくれたのです。
Kさんは、みんなに向かって話したことで、自分も変わってきたと話してくれました、
会を企画し主催したものとしては、とてもうれしい言葉でした。
そうしたことが目的の一つだったからです。
私自身はどうでしょうか。
私の場合は、最初から完全にオープンでした。
事実がオープンだったという意味ではなく、私の心情がオープンだったということです。
いつまで悲しんでいるのと言われたことさえありますが、くよくよしメソメソしていました。
呆れてしまったのか、私の前からいなくなってしまった友人知人もいます。
伴侶を亡くすとこんなにもだめになるかと思われても仕方がないほど、私は壊れていました。
たぶん娘たちも、頼りのない父親だと思ったことでしょう。
まあそれ以前から、そう思っていたかもしれませんが。
ともかくがたがたでした。
どうやって生きていたのかさ、思い出せません。
そして最初から、この挽歌がそうであるように、心情を隠し立てなく書いてきました。
Kさんは、心情をカミングアウトすることで、次の段階に進みだせたようです。
私の場合は、どうしたらいいでしょうか。
節子を見送ったあとも、節目なくだらだら生きてきているような気がしてきました。
3周忌で、普通は一節目つけられるのかもしれませんが、そんなことはありませんでした。
いまもなお、喪中の気持ちから抜けられません。
私の場合、毎日、挽歌を書いているうちに、自分の気持ちが見えてきたような気がします。
ですから、長年、心情を心に秘めていた人は、それを語りだすことで、たぶん心情の奥にあるもうひとつの心情が見えてくるような気がします。
それが、人を変えさせるのかもしれません。
としたら、私も、連続的なのであまり自覚できないのですが、この4年でかなり変わってきているのでしょう。
しかし、節子から解放される方向ではなく、ますます呪縛されるような報告を向いているのが、いささか気になります。
平たくいえば、こういうことです。
この頃、なぜかますます罪の意識や悔いの気持ちが強まってきているのです。
たぶん、そうしたことは、この挽歌ではなかなか書けないからかもしれません。
書くことと話すこととは、違うのかもしれません。
いつかどこかで、そうした罪の気持ちを静かに語れる時がくるといいのですが。
理想の聴き手は、節子ですから、それは彼岸でしか実現できないのかもしれませんが。
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