■「節電」という言葉の落し穴
アマルティア・センは、飢餓は食料不足からではなく、食料配分の方法によって発生することが多いことを立証しました。
昨今の電力需給に関連して、いつも思い出すのは、このことです。
日本の現状は、おそらく今の生活や経済を維持する意味でも、電力供給不足ではないように思います。
無駄に使われているところが多いばかりか、配分の仕組みが問題です。
それを正すと、たぶん既得権益を壊し、損をする人が発生するのでしょう。
市場主義者は、市場が需給を調整し、最適解に導くといいますが、それはアダム・スミス時代の素朴な経済の時代の話です。
もっともその頃でさえ、それはモデル的な話でしかなかったわけですが。
最近明らかになったように、電力会社はコストアップと収益向上が正比例していたばかりか、電力の無駄遣いが進めば進むほど利益があったのです。
そんなことは少し考えればわかることですが、多くの人はその「少し考えること」すら、最近はしなくなっています。
そして、電力会社の電力需給データや不足率の数字におののくのです。
しかし、電力の供給不足の数字はほんの短時間の話であり、しかもいかようにも対応できるはずです。
昨年の計画停電時の電力需給のデータをきちんと検証すればさまざまなことが見えてくるはずですが、東電の元社長にさえ軽んじられている現在の政府にはそんな力はないでしょう。
原発を再稼動するかどうかの判断基準になるデータが、電力会社に握られているというのは、おかしな話です。
しかし、まあそんなことはいまさら言ってもどうしようもありません。
私が残念に思うのは、これまでの無尽蔵の電力消費文化から抜け出られる好機だったはずなのに、その好機を逸しつつあることです。
それは私たちの問題でもあるからです。
前にも書きましたが、「節電」という言葉がおかしいと、私は思います。
私の感覚では電力の過剰消費を見直すだけで、私たちの電力消費量はかなり減らせると思います。
「節電」というと、なにか「我慢」をイメージさせますし、そうではなく、電力消費のあり方を通して、私たちの現在の生き方を見直す好機と捉えたらどうかと思うわけです。
もし本気で「持続可能な社会」とか「温暖化対策」を考えているのであれば、そうすべきではないかと思います。
言葉を盛んに使う人ほど、自らの生活は、その反対をいっている場合が多いことは、私の周りの人を見ていてよくわかります。
言葉だけの人は、私は信頼しません。否定はしませんが。
「成長」も同じです。
経済成長がなければ生活は豊かにならないという人が多いですが、その考えこそ、見直すべき時期です。
最近、いろんな人と話していて、私はどうも自分が違った世界に済んでいるような気がすることが多くなりました。
「消費機関的存在」から抜け出て、自分の生活に立脚すれば、いろんなことが見えてきます。
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