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2012/06/01

■節子への挽歌1731:「輝くべきものは、燃えることに耐えなければならない」

節子
またフランクルです。
しかし、今度はフランクルの言葉ではありません。

フランクルは、「一本の松明が消えたとしても、それが輝いたということには意味がある」と書き、それに続いて、オーストリアの詩人ヴィルトガンスの言葉を紹介しています。
「輝くべきものは、燃えることに耐えなければならない」という言葉です。
そして、フランクルは言います。
われわれは、それが燃え尽きること、「最後まで」燃えることに耐えなければならない、と。

一本の松明とは何か、これもいろいろな思いが広がりますが、今日はヴィルトガンスの言葉について書きたいと思います。
「輝くべきものは、燃えることに耐えなければならない」。
ここで、「燃える」とは苦悩することを意味している、とフランクルは説明しています。
つまり、輝きには苦悩が共存している。

ものにはすべて表と裏があります。
あるいは時間的には盛衰がある。
表がなければ裏はありませんし、盛がなければ衰もない。
もちろんその反対、たとえば、衰がなければ盛もない、とも言えるわけです。

節子との幸せな生活や関係が、もしずっと続いていたらどうだったか。
もちろんそうであったら、どんなにかよかったことでしょう。
しかし、輝くものはいつか燃え尽き、輝かなくなるのかもしれません。
私と節子に限っては、そんなことはないという自信はありますが、しかし、不変であることは、生きていること、輝いていることとは両立しないようにも思います。
苦悩のない幸せはないのです。
あるいは、幸せが大きければ大きいほど、そこには大きな苦悩が秘められているわけです。
こうしたことは、前にもこの挽歌で書いたような気がしますが、それをひっくり返したらどうなるか。

節子との別れがあればこそ、節子の大切さ、節子の価値が見えてきたのかもしれません。
節子との別れで奈落の底に落とされたからこそ、節子との出会いの幸せや節子との暮らしの豊穣さがわかったのかもしれません。
苦悩が大きければ大きいほど、節子との生活の価値の大きさが実感でき、愛もまた大きく感じられる。
苦悩の大きさが、私たちの生の輝きの大きさを確信させてくれているともいえるわけです。
そして、それは言い換えれば、いまの幸せを確かなものにしてくれる。
つまり、苦悩は同時に幸せであり、輝きなのです。
それに気づけば、素直にいまの悲しさやさびしさを受け容れられます。

そしてフランクルです。
「一本の松明が消えたとしても、それが輝いたということには意味がある」。
少なくとも、私たちは一時とはいえ、輝いていました。
ですから徹底的に燃え尽きるまで、耐えなければいけません。
耐えることこそが、節子への愛の証だからです。
物語はまだ終わっていないのです。

フランクルは、多くのことに気づかせてくれ、私を支えてくれています。

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