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2012/06/02

■節子への挽歌1732:どうして人それぞれに寿命があるのか

節子
3月に、自殺を考えた人や自殺未遂された方などに語ってもらう「フォワードフォーラム」というのを開催しました。
そこで語り手の一人になった吉田さんは、ご子息を34歳で亡くされています。
吉田さんは、そのことに触れた時に、「人それぞれに寿命があるのでそれは仕方がないことですが」と話されました。
その言葉がとても印象的で、頭から離れないでいます。
人それぞれに寿命がある。
その言葉は、私には心を落ち着かせる言葉なのですが、その一方で、でもほんとにそうなのだろうかと思うのです。
もし本当ならば、節子の寿命はどうして62歳だったのだろうかと、食い下がりたくもなります。
そして、私の寿命はいつまでなのか、とも思います。

先週、新潟の金田さんが湯島に来ましたが、金田さんのお母さんはもうじき103歳だそうです。
100歳を超えて、なお元気な方もいる。
30代にして、人生を終える人もいる。
どうして人には、それぞれの寿命があるのでしょうか。

若い時には、寿命などということはまったく意識していませんでした。
しかし、今となって考えると、私と節子が共に寿命を全うすることなど、ありえないことは明らかです。
寿命を共にできない2人が幸せな夫婦になるということは、「不幸」を取り込むことなのです。
なにをつまらないことを書いているのかと怒られそうですが、そうした「別れ」もまた、幸せの一要素なのかもしれないという気がしてきました。
個人としての寿命のばらつきがあればこそ、さまざまな体験が生まれて、「大きな生命」は輝いていく。
そしてそれがまた、個人としての生命にフィードバックされていく。
もしかしたら、このあたりについては、華厳経に書かれているのかもしれません。
いずれにしろ、寿命があればこそ、人生は輝いていくことは間違いありません。
だとした、愛する者の寿命が自分よりも先に訪れることにも、なにか大きな意味があるはずです。
さてさて、まだ難題です。

ところで、昨今の健康ブームは、寿命に抗うということなのでしょうか。
あるいは寿命を全うするということなのか。
節子がまだ元気だったら、私たちも健康ブームに参加していたでしょう。
少なくとも、節子は間違いなくそうでしょう。

しかし寿命が定まっているのであれば、それに素直に従うのがいいと私は今はもちろんですが、ずっと思い続けています。
節子がいないので、健康管理をしなくてもいいのがうれしいです。

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コメント

表題は、<命には限りがある>という意味に還元できると考えてみました。
命の意味に関してですが、これがよく分かりませんでした=(

投稿: 2933 | 2012/06/07 04:27

2933 さん
ありがとうございます。

わたしはむしろ「それぞれに」に意味を感じています。
人の唯一性、一回性という言葉を使う人もいますが、私もそこに「命が時間を超えている」と感じ始めています。

投稿: 佐藤修 | 2012/06/07 08:18

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