■節子への挽歌1759:兄との箱根旅行
節子
また2日間、挽歌を書けませんでした。
実は、兄と一緒に箱根に行っていました。
学生時代以来の兄との旅行でした。
兄とは仲が悪いわけではないのですが、考え方や生き方が、かなり違うのです。
それで会うと必ずと言っていいほど、言い争いになってしまうのです。
節子がいた頃は、お互い、夫婦連れで旅行にも行きましたが、節子がいつも緩衝材になってくれていました。
まあお互いに、そう先のある歳でもないので、一緒に箱根にでも行こうと誘ったのです。
箱根であれば、お互いによく行っているところなので、観光する必要もありません。
それに、節子がいなくなってからは、私自身は一人では箱根には登れなくなっているのです。
急な思いつきの誘いでしたが、兄は予定を変更してくれて付き合ってくれました。
私と違って、兄はそういうタイプなのです。
3回ほど、言い争いになりかけましたが、まあまあ平和な時間を過ごせました。
節子がもし一緒だったら、何回かひやひやしたでしょうが、最後は握手まで求められましたから、兄も喜んでくれたと思います。
私も久しぶりにのんびりすると共に、鬱積していたことを吐き出させてもらいました。
考えてみると、最近は、そうしたことを吐き出す相手がいませんでした。
梅雨の真っ只中なのに、天気に恵まれました。
節子が好きだった箱根の恩賜公園でも休んできました。
富士山はあまり見えませんでしたが、ここで節子と一緒に見た富士山は今でも鮮明に覚えています。
節子は箱根が大好きでした。
何回、付き合わされたことでしょうか。
もう付き合わされることがないと思うと、とてもさびしいです。
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