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2012/06/05

■節子への挽歌1735:「見せてしまったら崩れてしまうかもしれない」

節子
一度しかお会いしたことのない方からコメントに寄せられました。
2年ほど前に伴侶を見送った方です。
コメントから少し引用させてもらいます。

この2年間無我夢中でした。
ふっと心に穴が開いたように孤独と向き合うことが多くなりました。
でも誰にもそんな顔はみせません。。。
どうしてかわからないけど、見せてしまったら崩れてしまうのではないかって?怖いからかもしれません(苦笑)
「見せてしまったら崩れてしまうかもしれない。」
この言葉が気になっていました。
何が崩れるのだろうか。
崩れたらどうなるのだろうか。

実は私は節子を見送った後、見事に崩れました。
今も崩れているのかもしれません。
節子がいる時から崩れていたような生き方でしたから、外見にはそう変わっていなかったかもしれませんが、娘たちには見えていたでしょう。
私はいつも、自分に素直に生きることを大切にしてきました。
それでも、しかし、「誰にもそんな顔」があったことは否定できません。
当時はわかりませんでしたが、今になると逆にそれがよくわかる。

節子を見送って間もなく、友人のTさんがと友人と一緒に群馬から来ました。
いずれも最近伴侶を亡くされた人です。
Tさんは私よりも少しだけ年上でしたが、節子が逝く少し前に夫を亡くされました。
その直後に私は高崎のあるイベントで彼女に会いました。
彼女が主催したイベントでした。
後で知ったのですが、その時には夫を見送った様子など微塵も見せませんでした。
彼女は、ともかく凛とした人でした。
彼女の書いた本を節子は読んで、その生き方を敬服していました。
2人は残念ながら、会う機会はありませんでしたが。

しばらくしてTさんが友人と一緒に湯島を訪れたいと言ってきました。
そして友人は最近伴侶を亡くし、傷心していると書いてありました。
3人の伴侶を亡くした傷心者の、ちょっと不安な集まりになる予定でした。
私も、Tさんであれば、心が開けるかもしれないと思っていました。
30分ほど話して、さあこれからもっと本音が出てくるかなと思っていたら、Tさんがいつものきっぱりした口調で言いました。
はい、これで悲しい話は終わり、別の話をしましょう。
意外でしたが、いかにもTさんらしいと思いました。
そして、NPO関係の相談になりました。
ともかくさまざまな社会的な活動をされている人なのです。

ところでコメントを送ってくれたSさんはこう続けています。

いつも忙しくしています。
でもこないだ足を怪我して一日中家にいたら淋しさに占領されてしまってなかなか元気になれなくています。
夫のいない淋しさを埋めようと思ったらしく柴犬を飼ってしまいました。
息子がいても愛犬がいても人は一人なのだと思うことが多くなりました。
忙しくないと崩れそうになるのかもしれません。
時間ができてしまうと、孤独を感じてしまうのかもしれません。
そんなことは、つまり人は孤独であることは決してないのですが、私も時にそう思ってしまいます。
もう5年近く経つのですが。

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