■節子への挽歌1730:お祝いのメール
節子
節子がいた頃はまだ話題にもならなかった、フェイスブックというのがあります。
1年前から私も始めました。
ブログとメールとホームページを合わせたようなもので、とても面白く、弱い紐帯やスモールトーク関係を育てていく仕組みとしては効果的です。
私も500人を超える人と、いまやりとりしていますが、フェイスブックでは自らのプロフィールを公開するのが基本です。
それで私の誕生日も公開されているわけですが、そのおかげで、誕生日になると沢山の人から「誕生日のお祝い」が書き込まれます。
そんなわけで、今年は150人を超える人たちから「誕生日おめでとう」メールが届きました。
そのなかには、私との出会いでちょっとだけ生き方が変わったと書いてきてくれた人たちが何人かいました。
文面では、「良い方向」への変化だと思いますが、それを読みながら、節子の人生はどうだっただろうかと思いました。
出会わなかったらどうなったかまったくわかりませんので、比較のしようもありませんが、私と会わなかったら、もしかしたら節子はいまも元気で、生を楽しんでいるかもしれません。
そんな気がしてならないのですが、しかし、同時に、節子がもし私に会わなかったら、その人生は退屈だっただろうなという思いもあります。
私と会ったおかげで、そして一緒に暮らしたおかげで、節子はたぶん「普通とはちょっと違った人生」を楽しめたのではないかと思います。
そのなかには、「余計な苦労」も、「不愉快なこと」も、そして「早すぎる死」も含まれています。
それにしても、「よくもった」ものです。
私が25年間務めた会社を辞めるといった時に、節子は引き止めるどころか、「今までよくもったね」と言いました。
お互いに、よくもったものです。
いろいろと問題がなかったわけではありません。
しかし少なくとも私たちは、私たちらしい生き方ができたように思います。
節子にしてやれなかったことはたくさんありますが、少なくとも、私たちの人生は退屈ではありませんでした。
71歳になってしまいました。
佐藤さんの心は30代、と書いてきてくれた人もいますが、心は成長していなくても、身体はかなりぼろぼろです。
もう10年は元気でいてくださいと書いてきてくれた人もいますが、長くてもあと5年ほどにしたいと思います。
うまくいくといいのですが。
たくさんの人たちからお祝いのメールは来ましたが、節子から来ないのが、やはりさびしいですね。
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