■座軸の反転
昨日、テロリストと政府とはそう違うわけではないと書いたら、怒られてしまいました。
少しきちんと書かないといけません。
テロリスト、テロする人という時の「テロ」は、もともとフランス革命の時の「恐怖政治」を指す語だったそうです。
ロベスピエールをはじめとしたフランス革命のリーダーたちは、「テロリスト」だったわけです。
19世紀になると逆に政府を倒そうとする人たち、とりわけアナキストたちがテロリストと呼ばれるようになり、20世紀にはレジスタンスがテロリストと呼ばれるようになったようです。
スーザン・ソンタグは、10年近く前に日本で行ったシンポジウムで、ナチスドイツ支配下のフランスでのレジスタンスがテロリストと呼ばれていたことを紹介しています。
そして、ソンタグは、そのシンポジウムで、「テロリストいう語については極めて注意深くなければいけない」と発言しています。
それを踏まえて、あえて私は昨今の政府をテロリスト集団と捉えたほうが世界の実相が見えやすくなるのではないかと思うことがあります。
死の恐怖を背景とした政治から、生かすことを起点においた生政治へと、政治の本質が変わってきていることと、それは無縁ではないように思います。
いや、生政治がいままた反転しようとしているのかもしれません。
その典型は、シリア政府です。
日本とシリアとどちらが健全なのか、私には俄かには判断できませんが、政府が国民の平安な暮らしを目的にしなくなったことは間違いない事実でしょう。
企業が従業員の暮らしを守る以上に儲けを高めることを目的にしだしたことに、それは如実に象徴されています。
暴力を独占した政府が、その暴力をコントロールする仕組みを維持できなくなったらどうなるか。
中途半端ではない、テロリストになっていきます。
テロリスト政府のもとで生きるには、自らの感性を麻痺させなければいけません。
昨日書いたように、「活断層上の原発」は時限爆弾だといっていいと思いますが、福島原発事故を体験してもなお、その時限爆弾の恐さを想像できないほどに、私たちの恐怖感覚は麻痺させられています。
むしろ私たちに恐怖をもたらすのは「仕事」や「お金」がなくなることです。
そこにあるのは、過労死を引き起こすのと同じ、強迫観念が埋め込まれた構造です。
これまた表現が悪いですが、麻薬常習犯と同じような生き方を私たちは何の違和感もなく受け入れているのです。
安心して生きていくことよりも、マネタリーエコノミーを維持させていくために、労働と消費(昨今では消費もまた労働の一種です)にせっせと精出す、「モノ」に成り果てているのが、もしかしたら今の私たちです。
生きることも死ぬことも、さほどの違いもない、自爆的生活をしている人は少なくないでしょう。
自爆するイスラム教徒を非難することなど、できません。
座軸を反転させて、世界を見ると、新しい世界と未来が見えてきます。
どういう座軸の世界で生きていくか。
それこそがいま私たちが考えなければいけないことのような気がします。
| 固定リンク
「政治時評」カテゴリの記事
- ■尽きることのない市場、尽きることのない争点(2023.10.05)
- ■戦争はなぜ起こるのか(2023.08.24)
- ■「歴史の逆流」(朝日新書)をお勧めします(2023.06.02)
- ■日本国憲法は誰が誰のためにつくったのか(2023.05.03)
- ■佐藤章さんの「職業政治家 小沢一郎」をみんなに読んでほしいです(2023.03.27)
「生き方の話」カテゴリの記事
- ■WFCレポート5:プロジェクトは今日で終了(2023.12.06)
- ■がん民間療法体験その後(2023.12.01)
- ■WFC4:人は孤独によって死ぬ(2023.11.28)
- ■WFC3:ワルサモデルの普遍性(2023.11.23)
- ■WFC2:ワルサくんと私の関係(2023.11.22)
コメント
全く同感です。
投稿: 西川 | 2012/06/02 07:59