■「正名」は現代社会が最も必要としている思想
東大教授の安冨歩さんは、面識はありませんが、その主張には日頃、とても共感しています。
その安冨さんは、「生きるための論語」という、実に興味深い本で、「正名」は現代社会が最も必要としている思想である、と書いています。
そして、論語に出てくる
「子曰く。觚(こ)、觚ならず。觚か、觚か」
という話の意味を解説してくれています。
それが実に今の日本の社会を思わせます。
觚は、祭礼に使う盃のことだそうです。
孔子の時代以前から、祭礼の最中に飲み過ぎないように盃が小さく作られていて、それを「觚」と呼んでいたそうです。
盃は大きさによって、名前が違っていたようです。
ところが、時代が経つにつれて、觚が次第に大きくなってきてしまったようです。
そうして儀礼でもみんなががぶがぶ飲んで酔っ払うようになってしまった。
それを怒っているのが、論語のこの文章だと安冨さんはいうのです。
しかし、孔子が怒っているのは、がぶがぶ飲むことではありません。
大きな器を使うのであれば、「觚」と呼ばずに、もっと大きな盃を指す名前(角とか散とかいったそうです)を使え、名前でごまかすなと怒っているのです。
言葉でごまかす小賢しさを諌めているのです。
安冨さんは、「原発危機と東大話法」(明石書店)という本で、いまの日本の社会に対して、あるいは日本人に対して、孔子と同じように怒っています。
いや正確には怒るというよりも、呆れているのかもしれません。
安全でないものを安全と言い、停止もしていないものを停止と言い、実態をごまかしているうちに、言っている本人も騙されてしまい、聞いているみんなも騙されてしまい、良心を失ってしまっている。
先日、元原発プラントの設計者だった人が、まさに自分もそうだったと告白していました。
私たちの多くも、みんな原発は安全だと信じてしまっていたのです。
あれほどの事故が起きなければ、きっとまだみんなそう思っていたでしょう。
安冨さんは、太平洋戦争の時と同じではないかと嘆いています。
原発の問題に限りません。
税と社会保障の一体改革などと、おかしな名前さえまかり通っています。
同じような言葉は山のようにあります。
私は、最近話題のほとんどの言葉に違和感(欺瞞性)を感じていますが、言葉と実体の違いには気をつけなければいけません。
安冨さんは、現在の日本では、あらゆる組織において、みんな「耐え難いほどの閉塞感に苦しんでいる」と書いていますが、それはみんな自分を失い、言葉に翻弄されたり、言葉でごまかしたりしているからだろうと思います。
まずは、身のまわりから「名を正していく」ならば、50年もしたら、社会は良くなるでしょう。
孔子やソクラテスのような人が、もっと増えていくといいのですが。
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