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2012年7月

2012/07/31

■反オリンピック論

私はオリンピックにあまり興味がありません。
これは昔からのことです。
勝った負けたで騒ぐのがどうも好きになれません。
一応、北島の競泳を見たり、体操を見たりしてはいますが、ほかの番組がないのでなんとなく見ているだけです。
それにしても、最近のテレビはオリンピック一色です。

古代ギリシアでは、オリンピックの時期は戦争も中断されたといいます。
それにも私は子どもの頃から疑問がありました。
戦争を中断してまでオリンピックをやるのであれば、そこで勝った負けたはないだろうと思っていたのです。
素晴らしいパフォーマンスを讃えることには異論はありません。
しかし、メダルの数を争う発言を聞いているといやになります。
銅では満足できない、次は金だという選手を見ると蹴飛ばしたくなります。
ファンの方には申し訳ありませんが。
表彰台でメダルを噛んでいる人も増えました。
こういう人は台から蹴落としたいです。
そういう人は、お金を食べて生きていけばいいと思います。

幸いに今回はまだドーピング疑惑は報道されていませんが、そうまでして勝とうとする状況が生まれているのは、嘆かわしい話です。

今回とても気になったのは、審判の決定が覆されることが増えていることです。
ここでも「科学的分析」が進んできているのでしょうが、とても違和感を持ちます。
人のゲームに機械が入ってくることに、私は大きな違和感があります。
そのうち、ロボットの大会になるだろう事を予感させる動きに見えます。
体操も柔道も、なんとなく後味が悪いです。

このオリンピック騒ぎの向こうで、何が進んでいるのかそれが気になって仕方がありません。
偏屈な意見で、すみません。
読者の方から、蹴飛ばされそうですね。

それにしても、オリンピックって一体何なのでしょうか。
そんな思いで、冷やかにテレビを見ていますが、なぜか日本人選手が勝つとうれしくなります。
私もやはりもう十分に洗脳されていますね。
困ったものだ。

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■節子への挽歌1783:高齢者の自覚

節子
最近、ようやく自分が歳をとってきていることを実感できるようになりました。
自分の意識における年齢と他者から見える年齢とは、大きな違いがあるのでしょうが、自分ではなかなかそれに気づきません。
しかも私の場合、節子が病気になる前の時点で、たぶん時が止まっているのです。
自らの年齢を実感する伴侶の不在は、たぶん人の年齢感覚を狂わせます。
私はいまなお10年前を生きているのかもしれません。
最近、そのことをようやく実感できるようになってきました。

それは、いささかさびしいことでもあります。
それに、最近考えている人生設計は、根本から見直さなければいけません。
あと10年がんばってください、などという知人の言葉に惑わされてはいけません。
これから仕事を再開だ、などと思ってもいけません。
人生設計を見直す必要がありそうです。

そう思ったのは、実は今朝のことです。
内容の記憶はないのですが、夢の中で暗示されたような気がします。
朝、目覚めてすぐに頭に浮かんだのが、そろそろ隠棲しようかということでした。
そういえば、「最近、誰も仕事を頼んでこない」ことにも気づきました。
この数年、緊張感を持って責任ある仕事で汗をかいたことがありません。
いろいろな相談は来ますが、仕事には本格的には巻き込まれません。
たぶんもうその年齢を超えているのでしょう。
自分では気づいていませんが、他者から見れば当然のことなのかもしれません。

まだ、わくわくするような難題を解く仕事がしたいという思いはあります。
誰にも負けない問題形成力と問題解決力には、いまなお自信はあります。
ただ本気でそこにすべてを投げ込むだけの勇気はなくなっているかもしれません。
その先の夢が描けないからかもしれません。
それに体力的にも無理がきかない。
これは致命的です。

もう新たな仕事起こしなどという発想は捨てて、しずかに人生の安寧を目指すのがいいかもしれません。
節子
どう思いますか。
そろそろ潮時でしょうか。

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2012/07/30

■節子への挽歌1782:「人間は他界を考え夢見る動物」

「人間は他界を考え夢見る動物」。
こう語っているのは、民俗学者の谷川健一です。

幽霊のことを書いていたら、これにも触れたくなりました。
ここで「他界」というのは、次元の違う世界のことを指しているのだろうと思います。
簡単に言えば、此岸に対する彼岸であり、現世に対する来世です。
よく3次元の世界の住人には、4次元以上の高次の世界は見えないといわれますが、それを「考え夢見る」ことができるのが人間です。

考えることができるものは実現する、ということもよく言われます。
いささか短絡的ですが、考えることができるものは必ず存在すると言ってもいいでしょう。
かくして、私は来世も彼岸も実在すると考えているのです。
私のこの説明に、多くの友人は笑います。
論理的ではないというのです。
しかし、実在しないものを指す言葉があるほうこそ、私には論理的ではありません。
実在を証明できないものは実在を信じないという人もいます。
しかし、そういう人が信じる根拠にしている「証明」は、私には極めて脆いものにしか思えません。
そもそも「実在するものの実在」を証明するとはどういうことでしょう。
証明しそこなったら、それは実在しないとでもいうのでしょうか。
証明の有無に関わらず、実在するものは実在するのです。
同じように、実在しないものを実在しないと証明することは不可能です。
なにしろ実在しないのですから。

では、来世や彼岸はどうか。
来世や彼岸が実在しないことを証明するのは不可能ですし、実在することも証明できない。
だとしたら、決めるしかありません。
私は実在すると決めています。
谷川健一の言葉の意味は、私には「人間は、他界の実在を信じ、他界とともにある動物」ということだろうと思います。

なにやら小難しい屁理屈を書いたような気もしますが、もし他界の実在を考えることができるのが人間なのであれば、彼岸や来世があると考えるのが素直でしょう。
かくして私は、来世や彼岸を確信しているわけです。

他界を感ずる能力を得たのが人間ならば、それを活かさなければいけません。
残念ながら、私の場合、まだその能力が未熟なために、他界との往来はできませんが、そこにいる節子が、時に透けて感じられるくらいはできるような気がします。
それこそが幽霊なのかもしれません。
人間が小賢しさを持たなかった昔は、往来も出来たようですが。いまは往来はなかなか出来ません。
まもなく自由に往来できる時が来るかもしれませんが、どちらが幸せかはわかりません。
かつて往来可能な時代に、彼岸に行った人はみんな不幸になっているのは、なぜなのでしょうか。
そこには、深い意味が必ずあるはずです。

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■節子への挽歌1781:幽霊とグリーフケア

節子
昨日の挽歌に幽霊のことを書いたら、早速、九州の佐久間さんからメールが来ました。
佐久間さんは、節子の病気治癒を韓国の灌燭寺の弥勒菩薩に祈ってきてくれた人です。
節子も、そのお守りを大事にしていました。

その佐久間さんが、「わたしは、「幽霊」という考え方そのものが「グリーフケア」であったと思っています」と書いてきました。
確かにそういわれるとその通りです。
幽霊にケアされた人は少なくないでしょう。
グリーフケアは、佐久間さんの専門とする領域の一つです。

佐久間さんは、最近、「幽霊」のことばかり考えているといいます。
そのあたりは、佐久間さんのサイトに詳しく書かれています。
http://homepage2.nifty.com/moon21/shinsletter.html 
また、これから毎日、幽霊についてのブログ記事をアップする予定だとも書いています。
最初の記事は昨日書かれています。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m/20120729/1343487665 
なんという偶然でしょうか。

佐久間さんが幽霊について語ることにはとても自然に感じます。
佐久間さんのテーマだからです。
しかしこれまでさまざまなところで言及していた「佐久間さんの幽霊論」を改めてまとめられるとはうれしいことです。

ところで、幽霊がグリーフケアだと言うのは、実に共感できます。
しかも、その意味は、とても深いように思います。
誰にとってのグリーフケアか。
当然、残された者にとってのグリーフケアでしょうが、それだけではありません。
逝ってしまった者にとっても、社会にとっても、です。
昨日のNHKテレビの大河ドラマ「平清盛」では、崇徳上皇の怨霊が登場していましたが、怨霊もまたさまざまな意味での「大きなグリーフケア」を果たしています。
そう考えると、歴史に残っている怨霊の物語はとてもよく理解できます。
社会がケアされる仕組みが怨霊の物語です。
そこに流れているのは、「救いと赦し」です。
決して「呪いや怒り」に、その意味があるのではないと私は思っています。
間違っているかもしれませんが、このあたりは、たぶん佐久間さんが明らかにしてくれるでしょう。

グリーフケアは、愛する人を失った大きな悲しみに対するケアのようです。
私も一度、ワークショップに参加したことがあり、たしかにある意味でのケアを体験しました。
自分自身の心身の癒しも感じましたが、それ以上に感じたのは、その場の空気のあったかさでした。
グリーフケアのワークショップに参加した人たちが醸し出す、なんともいえない、あったかな「救いと赦し」の雰囲気。
それが不思議な世界と関係性を生み出していたような気がします。

昨今の社会状況を見ていると、社会そのものが癒されるべき状況にあるような気がします。
確かに、私自身、ケアされたい気分はあります。
しかし、節子がいたら、節子にケアされてしまって見えなくなってしまっていたかもしれない社会の問題が、否応無く見えてきてしまうと、ケアされるべき対象は決して自分ではないと気づいてしまいます。

これ以上書くと時評編の記事になりかねませんが、幽霊の時代がまた蘇っているような気が。私も最近しています。

節子も、たまには幽霊になって戻ってきたらどうですか。
私には見えていないだけですかね。

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2012/07/29

■節子への挽歌1780:今日も暑いなかサロンでした

節子
今日も暑い日でした。
4月から毎月やっているフォワードカフェの日でしたので、暑い中を湯島に出かけました。
暑いから誰も来ないかもしれないと思っていたのですが、4人の人が参加してくれました。
最近は、平均すれば毎週2回ほど、サロンをやっています。
いささか疲れますが、やると決めたので休むわけにもいきません。
それに、最近はテーマを決めたサロンの要請もあります。
8月にも2つほど、新しいテーマサロンがスタートします。
節子がいたら、いい加減にしたらとストップをかけるでしょうが、今のところ、私の行動を止める人はいません。
だれかがこういうサロンをやりたいと言ってくると、ついついその気になってしまうのです。困ったものです。

今日は、もともとは「自殺を身近に体験した人たちのためのサロン」でしたが、なぜかあまり「自殺」には縁のなさそうな人が集まりました。
お一人だけ、東尋坊で自殺防止の見回り活動をしている茂さんたちの活動の支援者が来てくれました。
それで今日はまったく違った話題のサロンになってしまいました。

湯島に来る人に限りませんが、気楽に話せるホッとする場がほしいと言う人は多いです。
しかし、そういう場を用意すると、思っているほど人は来ません。
あの言葉は嘘だったのかと思いたくなることもあります。
しかし、そうではなくて、私の場の設計が悪いのでしょう。

今日も暑い中を出る時、誰から頼まれたわけでもないのに、何でわざわざ出かけていくのだろうかと自問自答してしまいました。
節子がいた頃も、私は同じ疑問を持つことがあり、よく節子に訊いたものです。
「なんでサロンをやってるんだろうか」と。
自分のやっていることの理由は、実はわかっているようでわからないことが多いものです。
私は素直なので、自分のやっている事の理由がわからない時には、節子に訊くようにしていました。
節子からまともな回答が戻ってきた記憶はありませんが。
まあ考えてみると、おかしな質問ですので、それも仕方がありません。
節子は、私のほうが訊きたいわと笑いながら応え、しかし応援してくれました。
節子の応援があったからこそ、この活動が私の生活に定着してしまったのです。
いわば、責任の半分は節子にありますが、いまは応援さえしてくれません、
無責任このうえない。

サロンが終わった後、8月は暑いのでこのサロンはお休みにしましょうかといったら、みんなあっさりと賛成してくれました。
もしかしたらみんなもサロンなどないほうがよいのかもしれません。
私がやるので、仕方なく付き合っているのかもしれません。
節子もそうだったのでしょうか。
わがままな私に付き合ってくれるみんなに感謝しなければいけません。
それにしても、今日も暑い1日でした。

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■節子への挽歌1779:福二の願望

「遠野物語」を読んだのはもう数十年前です。
それもかなりいい加減にしか読んでいないので、あまり記憶には残っていません。
20年ほど前に、遠野の人と会う機会があり、もう一度読もうと思ったこともあるのですが、残念ながら交流は続かずに、そのままになってしまっていました。

今朝、録画していたNHKの「日本人は何を考えてきたか」第7集の「魂のゆくえをみつけて」を見ました。
柳田國夫が、今回の主役でした。
当然、遠野物語が紹介され、当然に、有名な第99話が取り上げられていました。
99話は、ご存知の方も多いでしょうが、「津波で流された妻の幽霊」の話です。

遠野から山田町の田の浜に婿入りした福二は、大津波で妻も子も失いました。
1年が経った夏の初めの月夜のこと。
真夜中に用足しに起きて外に出た福二は、霧が立ち込める中で2人の男女に会います。
近寄ると、女はまさしく亡くなった妻。
名を呼ぶと、振り返り、にこっと笑いました。
連れの男は同じく大津波で死んだ者で、昔互いに深く心を通わせた仲だった人です。
今は夫婦でいると言うのです。
その後、2人は足早に立ち去り見えなくなってしまいました。
気がついたら夜が明けていた、という話です。
そして、福二は,この事の後、長らく煩ったそうです。

福二は実在の人で、その孫に当たる方がいまも田の浜に住んでいます。
昨年の津波で母親が被害に合い、今もまだ見つかっていません。
その方は、「亡くなったとはいいたくない、いなくなったのだと思っている」と話していました。
その気持ちがすごく伝わってきました。

番組では、赤坂憲夫さんと重松清さんが、その話をめぐって話されていました。
なぜ福二は、話さなければ誰にもわからなかった、その話を柳田にしたのか。
お2人は、話すことが、救いと赦しをもたしたのではないかといいます。
その後の、長い煩いも、福二にとっては一種の癒しであり鎮魂だったのかもしれません。
とても考えさせられました。
もしかして、挽歌を書き続けている私も、いま、長い煩いの中にいるのかもしれません。

福二の妻は、彼岸で幸せになっていました。
節子はどうでしょうか。
どんな形であれ、幸せになっていれば、うれしいことです。

福二は亡くなった妻を深く愛していた。だから幸せになってほしかったのです。
どうしたら幸せになれるか、1年かかって福二が得た答が、たぶんこの話だったのだろうと思います。
幽霊は、いつも願望が生み出すのだろうと思います。
赤坂さんは、その番組で、被災地では幽霊の話が沢山聞かれると話されていました。
被災地には、今、きっと沢山の願望があふれているのではないか、そんな気がします。

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■節子への挽歌1778:暑さの中での思考は、人を不幸にするのかもしれません

節子
地獄の蓋が開いているのではないかと思うほど、毎日、暑いです。
子の暑さを、以前のように楽しまなければと一度は思ったのですが、なかなかそうもいきません。
最近、友人たちから「高齢なのだから無理をするな」というメッセージが多くなりました。
身近に、節子のように、自分を相対化する存在がいなくなると、自分が歳を重ねていることを、ついつい忘れてしまうのです。

友人の忠告を聞いて、最近はスポーツドリンクを飲むようにしています。
しかしこれが全くおいしくありません。
美味しくないものを飲むのは、私の文化には合わないのですが、節子がいない今は、少しは自分の健康にも気をつけなければ行けません。
以前は具合が悪くなれば、節子がケアしてくれましたが、いまは誰かに迷惑を書けることになりかねないからです。

暑いと何もやる気がおきません。
何もやらないといろんなことを考えます。
いろんなことを考えると、私の場合、最近は後悔の念が出てきます。
節子のことに関しても、後悔の念がたくさん出てきます。
私自身、あまり良い伴侶ではなかったのではないかとさえ、思うこともあります。
暑さの中での思考は、人を不幸にするのかもしれません。

今日も暑い日になりそうです。

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2012/07/27

■節子への挽歌1777:猛暑日

節子
今日も猛暑日です。
「猛暑日」などという言葉は、節子は聞いたことがないでしょう。
予報用語としてつくられたのは2007年だそうですが、よく耳にするようになったのは今年からです。
35度以上の日を猛暑日と言うのだそうです。

節子がいなくなって以来、世界は大きく変わってきています。
まあ私の世界の見方が変わっただけなのかもしれませんが、かなり変質してきているような気がします。
都心はどんどん壊れだして廃墟化しつつありますし、人々の生き方は惰性的になってきています。
世界の経済はもう息絶え絶えですし、政治に至っては茶番劇の繰り返しです。
みんなオリンピックにうつつを抜かし、贋物のグルメがはびこっています。
まさに、荒廃期のローマ、パンとサーカスの時代です。

とまあ、こう書くといかにも大仰ですが、ある意味では、節子は良い時代を生きていたのかもしれません。
そんな気もする一方で、しかし、節子はもしかしたら、こうした「荒廃した時代」が好きだったかもしれないとも思います。
新しい丸の内も六本木も、私と違って、節子は好きだったかもしれませんね。

しかし、最近の猛暑続きはさすがの節子も好きにはなれないでしょう。
それほど暑い。
しかし、こうした暑さが好きだった時代も、私たちにはありました。
暑い暑いといいながら、首に手ぬぐいを巻いて、庭仕事をしていた節子が見えるような気がします。
節子がいたら、どんな猛暑日もきっと楽しめたでしょう。
一人だと、ただただ暑いだけで、やり切れません。

今日はこれから湯島に向かいます。
我が家にはないクーラーがあるので、熱中症にならずにすみますし。

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2012/07/26

■問題だけを見ていても問題は見えてきません

朝日新聞で毎日、「いじめられている君へ」「いじめている君へ」「いじめを見ている君へ」というコメントコラムが連載されています。
私も時々読んでいます。
前にも言及しましたが、示唆に富んでいるものが少なくありません。
しかし、これも前に書きましたが、どうも気になって仕方がありません。
なんでみんなこうも「いじめ〕「いじめ」というのだろうかと。
いじめが良いとか悪いとか議論する人もいますが、悪いに決まっています。
いじめられたら誰かに言えといわれても、言えないから問題になっているのです。
君がやっていることは、いじめなんだよと言われても、戸惑うでしょう。
一部にそうでない話もありましたが、どうもみんな他人事で考えているのが、気になって仕方がありません。
今の問題は、「いじめ」ではなくて、私たちみんなの「生き方」でしょうと言いたいのです。
問題は、「いじめ事件」に関わっている関係者ではなく、「いじめ現象」を起こしている社会をつくっている私、自分なのです。

最近の「いじめ報道」を見ていて思うのは、問題の立て方の間違いです。
いじめたり、いじめられたりするところに問題があるのではなく、いじめが頻発し一般化するような社会のあり方、つまり今の社会を生きる私たちの生き方が問題なのです。
つまり、問題は「彼ら」にあるのではなく、「自分」にあるのです。
だから、いじめを語る時には、一人称自動詞で語らなければ、何も変わらないでしょう。
「自分」を語らずに、「彼ら」を語っている人が多いので、それが気になるのです。

何か問題が起こると、みんな、その問題をどうしたら防げるかを考えます。
それは間違ってはいないでしょう。
しかし、問題の理由は、多くの場合、顕在化した問題の周辺や奥のほうにあります。
ですから、たとえば、「いじめ」だけを見ていては、問題は見えてこないかもしれません。
そして、結果的には問題を封じ込めてしまう対策が取られてしまう。
それでは何も変わりません。
問題の立て方は大事です。

私は3年ほど前に仲間たちと一緒に、「自殺のない社会づくりネットワーク」というのを立ち上げました。
一緒に立ち上げた仲間の多くは、自殺防止活動をしている人たちです。
しかし、私は「自殺防止活動」がどうもピンときません。
それでネットワークの名前も「自殺のない社会づくりネットワーク」にさせてもらいました。
問題は「自殺」ではなく、自殺を多発させるような社会のあり方や私たちの生き方だろうと思ったからです。
自分の生き方を含まない社会活動は私には考えがたいのです。
私の活動のほとんどは、そうした発想で行っています。
いつも自分の問題として考え実践する。
そんな進め方では、あんまり実効はあがりませんが、みんながこういう生き方をすれば、60年もすれば、自殺もいじめもなくなるだろうと考えています。

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■「知識」は現実を見えなくする

「現実」からではなく、「知識」で語る人がますます増えてきました。
「知識社会」とはこういう社会だったのかと、最近は少し生き辛さを感じています。
「知識」は現実を見えなくするのかもしれません。
私も、おそらくそうした落し穴に陥っているのでしょう。
心しなければいけません。

昨日の「無駄遣いの時代から抜けられない無念さ」の記事を読んだ方が、フェイスブックでコメントしてくださいました。
誠実なコメントであり、コメントくださった方には決して他意はないのですが、とてもわかりやすいので使わせてもらいます。
お許しください。

コメントの一部を引用します。

大飯が再稼働したからといって、節電目標は取り下げられていません。なぜなら、関電は同時にコストが高い火力発電所を停止したからです。もともと再稼働の問題は、電気の需給問題ではなく電力会社の経営問題だそうです。
ここで気になるのは次の2つの文章です。
「コストが高い火力発電所」
「再稼働の問題は、電気の需給問題ではなく電力会社の経営問題」
よく言われていることですが、これこそが「知識からの発想」の好例のような気がします。

まず前者から。
原発よりも火力発電のほうは発電コストが高いと言われています。
制度的には正しいでしょう。
しかし、現実はどうでしょうか。
今回の福島事故で、かなり実体は見えてきたはずです。
いうまでもなく、発電コストは「制度的に算出」されます。
環境経営が叫ばれていた頃、社会的費用の問題も含めた、ライフサイクルコスティングの発想が少しだけ広がりましたが、どこまでを考慮するかで、算出結果は全く違ってきてしまいます。
原発のコストを高くするか低くするかは、極端に言えば、その時々の政策判断や産業界の利害に大きく影響されるのです。
1970年代でも、原発コストはそれまでの発電方式に比べて、かなり高くなるという算出結果は一般的な書籍でも発表されていました。
つまり、発電コストとは、制度や方針によって生み出された「知識」であって、現実の一側面なのです。

最近では、さすがに原発コストが火力発電コストより安いと思っている人はいないと思っていましたが、私の勘違いでした。
聞いてみると、意外と、そう思っている人が多いのです。
刷り込まれた知識が、現実を創り出していくという言葉を思い出します。
しかし、現実を見てもらえば、被曝地域の損失は経済計算できないほどに巨額です。
つまり保険さえ成り立たない世界に、従来と同じコスト概念を持ち込んで比較すること事態に問題があるような気がします。
「知識」としてのコストの概念を、「現実」に即して、変えなければいけません。

次に、後者の、「原発再稼動は経営財務の悪化を防止するため」という話です。
これも有名な話で、よく聞かれますが、これこそがこの数十年広がっている「金融工学主義」の罠の一つです。
極端な話をすれば、廃炉してしまうと資産計上できなくなりますが、再稼動すれば、資産になります。
資産計上できなくなると一挙に財務状況は悪化します。
廃炉しなくとも、稼動しなければ、巨額な資産が利益を生み出さずに、減価償却も含めて巨額な支出を出し続けます。
だから再稼動しないと企業経営が成り立たないというわけです。
この議論を聞いて、みなさんは納得するでしょうか。
制度的な論理、あるいは知識としては、納得するかもしれません。
でもどこかおかしいと思いませんか。
なぜそれが再稼動につながって議論されるのか、
会社経営を成り立たせるために再稼動するなどという発想が、ありえないことであるのは当然です。
会社経営を維持するために、賞味期限を書き換えて出荷するのと、どこが違うのか。
問題を摩り替える議論に、安直に納得してはいけません。
もし再稼動しないと財務的におかしくなるのであれば、その財務計算制度を変えればいいだけの話です。
実体と切り離された制度は、実体と関係なく、変更できます。
それが「知識人」の得意技なのです。

東大の安富歩教授が、昨年、「原発危機と東大話法」という本を出しています。
とても面白いですが、この2つの事例もまさに、安富さんが言う「東大話法」の例でしょう。
但し、そうした話法を「東大話法」と表現する安富さんもまた、同じ穴の狢だとわたしは思っていますが。

ただ安富さんのほかの本の主張には、心から共感しています。
「東大話法」で語る人の話にも、傾聴すべきものはあるものです。

蛇足の多い記事になりました。
すみません。

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2012/07/25

■節子への挽歌1776:歳を重ねるほど妻の存在のありがたみがわかります

節子
節子の友人の野路さんから快気祝いが届きました。
野路さんは1年前に階段から落下し、複雑骨折をしただけでなく、頭を強く打って記憶まで一部なくされてしまったのです。
いまもなおリハビリに通われているようですが、記憶はまだ回復していないご様子です。
ご家族からのお手紙が同封されていました。

野路さんは、節子にとっては特別の人でした。
一緒に海外旅行に行った友人ですが、節子よりも数年先に、節子と同じ胃がんになってしまったのです。
野路さんの場合は、しかし、病気を乗り越えました。
節子にとって、野路さんは目標でした。
野路さんと同じように自分も頑張ろうと思っていたのです。
野路さんも、そういう節子を応援してくれていました。

節子が逝ってしまってから、まもなく5年です。
私の中では、世界は止まっていますが、当然ながら。5年も経つといろいろとあります。
節子の友人たちとの付き合いは、私はほとんどありませんが、時々、耳に入ってくることもあります。
節子だったら、どう対処するだろうか。
そう思いながらも、何もできずにいます。
お付き合いに関することは、すべて節子に任せてしまっていたからです。
しかし、こうしたことはこれから増えていくことでしょう。
若い頃とは違ったお付き合いがいろいろと増えそうです。
私は、どうもそういうのが不得手なのです。
お付き合いを一切やめて、山にでも入りたい気分もありますが、人が大好きな私としては、それは無理でしょう。

節子の存在のありがたさは、歳を重ねるごとに高まっています。
先に逝くとは、本当にずるい。
つくづくそう思います。
女性のみなさん、夫より先に旅立つのはやめましょう。

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■節子への挽歌1775:昼寝の場所

節子
暑い夏です。
今朝は少し早く起きて、畑に行く予定だったのですが、朝からかなりの暑さと湿度だったのでやめてしまいました。
熱中症予防のせいか、今日は外出を控えるようにと防災放送まで流れています、
素直にそれに従い、出かける予定もやめて、今日は在宅です。

チビ太も熟睡しています。
わが家は、家族のためにクーラーをつけることはほとんどなく、暑がりの犬のためにしか使いません。
節子がいた頃からそうでした。
人は育った環境に大きく影響されますので、娘たちもあまりクーラーを使いません。
では暑い時にはどうするか。
昼寝なのです。

わが家の昼寝の最高の場所は1階の廊下です。
わが家の廊下は家の真ん中にありますが、風の道になっています。
ですからとても涼しいのです。
実は、この場所は節子が見つけて、元気な時には愛用していました。
もっとも節子は昼寝のできないタイプでしたので、横になって休んでいるだけでしたが。
節子がいなくなってから、私も時々利用していますが、実に涼しいのです。
私もあまり昼寝のできないタイプです。
廊下で横になっていると、節子の寝姿を思い出します。

家族個人の部屋には、クーラーさえ設置していません。
扇風機もあまり使いません。
節子は、扇風機も好きではなかったのです。
暑い夏は、暑さを楽しむ。
これは私の生き方でしたが、節子が病気になってからは、暑い夏はただただ暑いだけの季節になってしまっていました。

さて庭に打ち水をしましょう。
少し涼しくなるでしょう。

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■無駄遣いの時代から抜けられない無念さ

また無駄遣いの時代が再開されそうです。
心しなければいけません。

今日、大飯原発4号炉が本格稼動しだしました。
これで、いわゆる「節電目標」は有名無実になりました。
名目の目標値も引き下げられていますので、また過剰消費が加速されることは言うまでもありません。
前にも書きましたが、「節電」の実体は、「過剰消費を押さえる」と言うことですが、この戦略的な言葉にみんな騙されています。
もし本気で持続可能な社会とか幸せ重視を考えているのであれば、電力の過剰消費を正す絶好の機会でしたが、私たちはその好機を活かせませんでした。
「節電」は「過剰消費」と同義語であることに気づかなければいけません。

同じ構図は、財政危機の克復にもあります。
財政赤字が巨大になり、財政構造を見直す絶好の機会でした。
しかし消費税増税の中で、財政構造は変えられず、行政の無駄もまた加速されるでしょう。
すでに昨日の国会では税金の無駄遣い政策が堂々と議論されだしています。
消費税増税が時代の流れなどと言っている人たちは、それに加担したとしか言えません。
国民の多くも、消費税増税はやむなしなどとバカ丸出しの発想しかできなくなっています。

電気料金も値上げです。
これもまた信じられませんが(私は電気代はもっと高くていいとは思っていますが)、電力業界の無駄遣いは止まることはなさそうです。

つまり、みんな相変わらず「無駄遣いの時代」に生きたいのですね。
わたしの周りの人の多くも、ほとんどが口とは裏腹に、そういう生き方から抜けられずにいるようです。
せめて、私だけでもと思って、今まで通りの生き方を守っていますが、それにしても今日は暑いですね。
暑い時には、無理をしないで昼寝をしましょう。
わが家の愛犬も、クーラーw-をつけていないのに熟睡しています。
彼を見習おうと思います。

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2012/07/24

■節子への挽歌1774:出不精

節子
先週、銀座のギャラリー・オカベに、最近知り合った篠崎正喜さんの個展を見にいきました。
篠崎さんは、私の顔を見るなり、出不精の佐藤さんは絶対に来ないと思っていたと喜んでくれました。

出不精?
そうか、最近、私は出不精になっているのだと悟りました。
そういえば確かにそうです。

以前、私はそれなりにフットワークはよく、かなりいろんなところを出歩いていました。
会社時代は日中は出歩いてばかりいて、オフィスにあまりいないため、ボスからお前は何をしているのかわからないといわれたこともあります。
ところが、気づいてみると、最近は本当に出不精になっています。
遠出はもちろんですが、都内ですら、最近は自発的に出かけることはなくなりました。
音楽界も展覧会もパタッと行かなくなりました。
音楽界も展覧会も、一人で行くのが好きでなかったので、必ず節子を誘いました。
節子はどんなものも、基本的には断りませんでした。
その代わり、私も節子の誘いには基本的に断らないようにしていました。
ですから、節子が元気だった頃は、よく行きました。
それが今はまったくないのです。

先日も東京国立博物館に行きたいと思ったのですが、なんとなく行けずにいたら、何で行きたいと思ったのかさえも忘れてしまいました。
それほど出不精になってしまっているのです。
ですから今回は久しぶりのギャラリーでした。

これではいけないと思い、届いている案内を見直しました。
たしか2枚ほど、個展の案内が来ていたはずです。
ところが見当たりません。
出不精どころか、折角送ってくれた案内さえ見る気もなくなっているのです。
困ったものです。

少し生き方を変えましょう。
出不精などと思われないように、少し歩かないといけません。
そう思って、先週は少し出歩いてみました。
25年ぶりの人にも会いに行きました。
出歩くと、やはり世界が広がります。

ところで、篠崎さんの個展ですが、節子が一緒だったら喜んだでしょう。
とても楽しい作品ばかりでした。
しかし、なんで篠崎さんの個展に行く気になったのでしょうか。
不思議です。

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2012/07/23

■節子への挽歌1773:挽歌を書いていないので心身の調子が悪い

節子
挽歌をしばらく休んでいます。
最近どうもやりきれないほどに無力感が強いのです。
というよりも、世界の果てまでがちょっと見えてきてしまったような気もするのです。
世界が見えてくると、無力感が高まります。
かなり傲慢に聞こえるでしょうが、みんなには見えていない世界が見えているような気がします。
以前は、その世界をみんなに伝えようと思いましたが、最近はその不可能さを感じています。
周りの人たちが見ている世界と私の見ている世界は、あまりにも違いすぎるのです。
話してもまったくと言っていいほど伝わっていないことに時々気づくようになりました。
唯一の共有者の節子はもういません。
それがともかくさびしいです。

節子への朝のお勤めも、最近はいささか手抜きです。
今日は般若心経と十句観音経をあげましたが、時々、今日は眠いので省略となっています。
私の性分を知っている節子は、決して怒らないでしょうし、笑っていることでしょう。

今日から挽歌を書こうと時々思いますが、結局、書かずに寝てしまいます。
困ったものです。
ブログもあまり書いていないので、友人からどうかしたのかと電話をもらいました。
ブログを読んでいない人は、相変わらずいろいろやっているのでしょうと手紙や電話をくれます。
そのすべてが、その通りで、その通りでない。

無力感が高まっているからと言って、おかしくなっているわけではありません。
今日も畑仕事をしてきましたし、頭も使って、アグリケアネットワーク(仮称ですが)構想を起案し、一緒にやろうと言っている若者に送りました。
身体も頭も使っています。
でも、挽歌を書かないでもう1週間ほどたってしまった。
それが今度は気分を重くしてしまっています。

挽歌を書いていないので心身の調子が悪いのでしょう。
心身の調子が悪いから挽歌を書いていないのではありません。
ましてや、時間がないためではありません。
すべての起点は、挽歌を書いていないことなのでしょう。
明日からまたパソコンに向かいましょう。
そうしないと、ますます生活が破れていきそうです。

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■農福連携政策のパラダイム転換

もう一度、農福連携の話を続けます。

「農福連携」の取り組みが広がっていますが、これは簡単に言えば、「農業者と福祉事業者の連携」ということです。
実際に、私の周辺でも、農作業に障がいを持つ人に就労してもらう動きは広がりだしていますし、福祉施設が農作業に関心を持ち出す事例も増えています。
それはとてもうれしい動きです。
農福連携政策がさらに広がっていくことを期待しています。
しかし、今回はあえて、その「限界」という視点を整理し、そこからもっと大きな「農業の福祉力」を考えてみたいと思います。

サロンで話し合われたように、農業には本来、福祉力とか教育力とかが内在されています。
と言うよりも、私は、日本古来の農業は「生きることの集大成」のような気がしています。
先の記事で書いた守田志郎さんは、農業は生活の手段ではなく、生活の結果だと書いていたような気がします。
農業は、決して「農作物」をつくるための営みにとどまるものではありません。
ちなみに、私は50坪の家庭農園にいまは作物は植えていませんが、時々、作業に行っています。まああんまり関係ない話ですが。

障がいを持った人でも農作業なら手伝えるはずだ、とか、人手が不足しているので障がいを持つ人に頼もう、とか、そんな発想で、農福連携が広がっているわけではありません。
しかし、現実には、「問題解決を抱えている社会的弱者」が相互に支え合うのが「農福連携」だと考える発想がまったくないかともいえないでしょう。
世間の見方も、そうした見方がないわけではありません。
しかし、それでは、せっかくの「農業の福祉力」が活かしきれませんし、社会を変える大きな風は起こせない。

ところで、この時代、「障がい」を持っている人は一体誰なのか。
大企業で働く人たちは、7人に1人がメンタルダウンしているとさえ言われます。
つまり、7人に1人は、ある意味での「障がい」をもっているわけです。
「障がい」ってなんでしょうか。
普通に考えれば、生活をする上での「障害」だろうと私は思いますが、もしそうであれば、それは時代の文化や制度や仕組みで変わってきます。
時代によって、克服されて「傷害」ではなくなった、かつての「障害条件」もあるでしょう。
「働くための障害」と言えば、もっとわかりやすいかもしれません。
さらにいえば、実は「障がい」とは、生き方や働き方に大きく関係しているわけです。
社会のあり方が、障害を生み出し、「障がいに悩む人」を増やしていくことだってある。
まさに現在は、そんな時代かもしれません。

話が大きくなってしまいましたが、私は、この数十年、私たちは生き方や働き方を間違ってきてしまったのではないかと思っています。
それで生き方を変えている人間です。
たしかに経済は発展し、社会は便利になり「豊か」になりました。
でも、毎日の新聞やテレビの報道を見ていると、どこかおかしい気がしてなりません。
私たちは本当に豊かになったのだろうか。
そんな気さえしてきます。

持続可能という言葉が盛んに使われますが、今のままでは持続可能であるはずがない。
私たちは生き方を変えないといけないのではないか。
そのヒントが、「福祉」とか「農業」に含まれているのではないかと思います。
そういう視点でこそ、「農福連携」を考えないといけないのではないか。
農業そのものに内在している福祉や教育の価値にこそ着目した、大きな意味での「農福連携」が構想されるべき時期ではないかと考えています。
宮田さんが主張されているように、農業には社会をパラダイム転換していくための、大きな力が秘められているように思います。
そうした意識で動き出している新しい農福連携の動きも散見できます。
そこをもう少し学ばせてもらおうと思っています。

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■農業と福祉のつながりを考えるサロンの報告

7月18日に開催した「農業と福祉のつながりを考えるサロン」の簡単な報告です。

最初に、農業と福祉の実践者である宮田さんから、「なぜいま作業所で農業なのか?」というテーマで話をしてもらいました。
福祉と農業がつながることによって、それぞれが抱えている問題が解決できるのではないか、そしてそれがさらに社会を変えていく大きな動きにつながっていくのではないかというのが、宮田さんからのメッセージです。

たとえば、日本の農業は「担い手の高齢化」と言う現実の問題に直面していますし、最近のグローバル経済の流れの中では「経済的競争力」を失いつつあります。
宮田さんは、「農業から外化した工業」がオイディプスのように農業を壊してきた。
しかしここにきて、それに抗する動きとして「市民農業運動」が始まりだしたといいます。
宮田さんは、農業こそを社会の根源的基盤にしなければいけないと考えているのです。
そして、こうした動きを加速するためにも、「福祉作業所農業」が大きな意味を持っているというのです。

実践したことのある人はわかるでしょうが、農業のリズムと福祉のリズムはつながっています。
いずれも生命のリズムにつながっているからです。
また福祉も農業も、その内容の多様性に特徴があります。
こうした生命(自然)のリズムや多様性は、効率性を追及する工業では排除されるべきものです。
宮田さんは、また、農業のもつ教育力や福祉力にも注目し、福祉的就労と農業のつながる意味を重視しています。
そして、「福祉作業所は、農業を社会の根源的基盤として捉え直す大きな運動の重要な担い手だ」という問題提起をしてくれたのです。

この問題提起に基づいて、行田や浦和や野田で活動されている参加者それぞれが実践していることの紹介もしながら、自由に話し合いました。
話題はいろいろと飛びましたが、大きな理念という点では共有が深まったように思います。
私にとっては、久しぶりの農業談義でした。
農水省の方もお2人参加していたので、いくつかの疑問を投げかけさせてもらいました。
答弁的でない話し合いができたのも、とても刺激的でした。
お2人とも、日本の農業が好きなのだと感じました。

これを契機に、ゆるやかなネットワークを立ち上げ、9月にまたサロンを開きたいと思っています。
できればミニフォーラムも開催したい気がしてきました。

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■いまこそ、農業から学ぶ時ではないか

先日、農業と福祉のつながりを考えるサロンを開催しました。
熊本で自らの生活を福祉施設に投じて、生活起点の福祉活動に取り組みながら、農業の実践的研究者でもある友人の宮田さんが、その機会をつくってくれました。
農業と福祉は、その本質において理念を共有していると考えている私には、このテーマは年来の関心事です。
こうした動きに関しては、私のホームページのほうではこれまでも何回か触れてきましたが、最近は少し遠のいていました。
しかし、時代的には「農福連携」という言葉も広がりだし、農業と福祉をつなげていく活動も増えてきています。

サロンには農水省の職員の方もお2人参加してくれたほか、園芸福祉活動や農福連携活動などに取り組んでいる人たちが集まりました。
最初に宮田さんが、農業と福祉作業所の実態を踏まえて、「福祉作業所は、農業を社会の根源的基盤として捉え直す大きな運動の重要な担い手だ」という問題提起をしてくれました。
それに基づいて、実態を踏まえた話題がいろいろと提供されました。
それぞれみんな、自らの実践の場を持っている人たちばかりですので、学ぶことの多い議論だったと思います。

私が「農業」に関心を持ったのは、1970年代です。
工業経済の限界が見え出してきた時代と言ってもいいでしょう。
衝撃的だったのは、守田志郎さんの「文化の転回」という本との出会いでした。
「転回」という文字が、以来、私の思考に大きな影響を与えました。

よく言われるように、工業は「リニアな経済活動」です。自然を原料にして生活のために消費していきます。ですから基本的に持続可能ではありません。
一方、日本古来の農業は「循環する経済活動」です。うまく仕組んで、循環に関わる要素を相互に良い方向に育てながらスパイラルアップしていく構造を育てれば持続可能なものになりえます。
ちなみに、ここでいう「循環」は、モノやエネルギーだけではなく、スピリチュアルなものも含みますし、関係性そのものも含みます。
もし本気で、「持続可能な経済」を志向するのであれば、日本古来の農業から学ぶことはたくさんあるように思います。
しかし、大きなベクトルは「転回」することなく、農業を第6次産業化しようなどという、あいかわらずの「経済パラダイム」が志向されているのが現実です。
ちなみに、1970年代には「農業の第三次産業化の推進」が盛んに言われていたのです。
それが何をもたらしたかは、歴史が示しています。

話が難しくなりましたが、工業は一方向的ですので、本質的に成長の限界を持っています。
それを打破するのが、農業だと私は感じていたのですが、残念ながら、そうはなりませんでした。
成長の限界を「打破」したのは、なんと金融を主軸にした「サービス産業」だったのです。
しかし、その路線は、短命な延命策でしかありませんでした。
最初からわかっていたことなのでしょうが。
いまこそ、農業から学ぶ時ではないかと思います。

「農業」という言葉は、しかし、今となっては極めて多義的です。
このブログでも何回も書いてきている「問題の立て方」によって、まったく位相が違ってきます。
たとえば、守田さんはすでに1970年代に、「文化の転回」のなかで、こう語っています。

農業問題という「問題」の立てかた、その発生の動機、それへの取組み方の推移、そして今日なぜかこれがしきりに口にされるについての契機、どれ一つをとってみてもそこに農耕する人はない。
人間の見えない経済と言われることがありますが、まさに農業においてもそうした農業論が当時も横行していました。

長々と書いてきてしまいましたが、まあこうしたことを踏まえて、改めて「農業から学ぶ」と共に、「農業と福祉のつながり」をテーマにした、緩やかなネットワークを立ち上げられないかと考えています。
関心のある方はご一報いただけるとうれしいです。

長くなったので、サロンでの議論の内容は項を改めて書くことにします。

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2012/07/21

■言葉は実体を覆い隠すものでしかありません(その2)

前の記事のつづきです。

先日、フェイスブックに、大津の「いじめ事件」について、「私は、そもそも「いじめ」と言う言葉に違和感があります。いじめ問題などと思ってはいないので、どうも話がかみ合わなくなりそうです。ここでも「正名」をしっかり押さえる必要があると思っています」と書いたら、「でわいじめは何と呼ぶか」と問われてしまいました。
もちろん、いじめはいじめです。
しかし、昨今、「いじめ」と言う名前で呼ばれている事件は、「いじめ」ではなく、「犯罪」です。

それはそれとして、これもフェイスブックで紹介したのですが、朝日新聞でいまも「いじめられている君へ」「いじめている君へ」というコラムが連載されています。
いろいろな分野の人が、毎回、書いています。
いつも示唆に富む内容だと思います。
しかし、どうも違和感があります。
みんな「いじめ問題」として事態を認識しているからです。
こういうやりとりはこれまでも何回も行われてきています。
しかし事態は悪化する一方です。
これも、このブログで何回も書いてきていますが、問題をどう立てるかで、答も変わってきます。
言い換えれば、世界の見え方も変わってくる。
つまり、「いじめ問題」とした途端に、見える世界や問題の実態は決まってしまうのです。
ですから、私には、このコラムで書いている人たちと私では、見えている世界が全く別だと思っています。
いささか極端に言えば、このコラムで語っている人たちこそが、問題を矮小化し、問題を深刻化させていくのだろうとさえ思うのです。

これは「いじめ問題」に限ったわけではありません。
多くの分野でこうした「言葉」が世界を見えなくしている動きが広がっているように思います。
そして、解決に取り組むことが事態をさらに悪化させていくことにつながりことさえ起こります。
まさに「近代のジレンマ」です。

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■言葉は実体を覆い隠すものでしかありません

今月はじめに昨年津波に襲われた相馬のはらがま港に行ってきました。
港界隈の集落の住居はすべて津波に流されてしまっていました。
ところが、その一画に、墓地だけがきちんと修復されていました。
それがとても印象的でした。
後で、その地域に住む漁師の方から、自分の住む家よりもまずは先祖の墓を整備したという話をお聞きしました。
それが私たち日本人の生き方だったなあ、と納得しました。

今日、テレビで、今回の集中豪雨の被災地で、自分の家の整理もままならないのに、地域のお祭りに取り組んでいる人たちの話を見ました。
先祖から伝わってきている伝統の祭をおろそかにできないと言うことなのでしょう。
これも実に感動しました。
お祭りの結果、支え合う人のつながりによって、みんなが元気を取り戻してきたという話もついていました。

3.11以来、「絆」とか「つながり」とかが盛んに言われます。
その言葉を聞けば聞くほど、私は虚しくなります。
言葉が大切ではないからです。
言葉を多用する人ほど、実体は無いということを、私は長年の人生で実感しています。
言葉は実体を覆い隠すものでしかありません。

しかし、上記の墓地や祭の話には実体を感じます。
人のつながりを支えているのは、自然や先祖(あるいは子孫)です。
大きな生命のつながりのなかで、私たちは生きています。
つまり、その人の生き方に支えられているのであって、名刺交換したら生まれるようなものではありません。
それを勘違いしている人が多すぎます。
大切なのは、生きる実体です。

言葉だけで動いている最近の社会に、大きな危惧を感じています。
いまこそ「正名」が大切だという安冨さんの主張に。改めて共感する毎日です。

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2012/07/17

■みどりの風に拍手を送ります

参議院議員の3人の民主党議員が離党し、国民新党を離党した亀井亜紀子参院議員と合流して、「みどりの風」を立ち上げました。
基本方針として、「原発ゼロ社会」「反TPP」「本当の意味での一体改革」を掲げています、
しかも、党議拘束はかけずに、それぞれの判断を大切にすることも明言しています。
やっと出てきたかと私は拍手を送りたいと思います。
先にも、政策を基準として、新党きずなが立ち上がった時にも私は拍手を送りました。
小沢新党もいいですが、こうした動きこそが、新しい政治を切り開いていくと思います。
以前も書きましたが、党議拘束に支えられた政党政治はもう終わった政治スキームですし、ましてや二大政党などは民主主義とは無縁のものです。
それらは、いずれも「政局時代の象徴」でしかありません。

「みどりの風」が全員女性であることも象徴的です。
また亀井さん以外は、1回当選の新人議員であることも好感が持てます。
こうした議員たちを応援する声が意外と出てこないのが不思議ですが、私は、この動きに新しい政治を感じます。
いまこそ1年生議員たちが、自らの信念に基づいて行動を起こすべきでしょう。
腐った政治の中で政治をやってきた人たちには、もう退場してほしいと思います。
いま官邸前に大きなデモの輪が広がりだしていますが、こうした議員こそを応援することこそ、「原発ゼロ社会」「反TPP」への早道ではないかと思います。

集まった人たちの声はしっかりと聴いておくなどというふざけた感想しか述べない首相も腹が立ちますが、首相を笑顔で迎える被災者の人たちにも、私は腹が立ちます。
3人の離党は、久しぶりに私にはうれしいニュースでした。

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2012/07/16

■節子への挽歌1772:親孝行

昨日は私の母の命日でした。
母は節子がお気に入りでした。
逆に、母は私が苦手でした。
私は、親の期待などは意に介さない、わがままな息子だったのです。
節子との結婚も、両親にはそれこそ青天の霹靂だったでしょう。
なにをするかわからない息子、というのが、特に母親の思いだったかもしれません。
にもかかわらず、ある事情で、私たちが私の両親と同居することになりました。
父母がその選択を選び、節子もそれを引き受けました。

父も母も、そんなわけで節子が最後の世話をしてくれました。
両親共に、胃がんで亡くなりました。
父は自宅で、母は近くの病院で亡くなりましたが、2人とも最後までかなりしっかりしていましたので、介護の大変さは、それほどではなかったかもしれません。
しかし、節子は、私が思っている以上に大変だったのかもしれません。
母を見送った後、「ちょっと良い嫁を演じすぎようとしていたかな」と私に話すことがありましたから。
私からみる限り、それほど「演じていた」ようには見えませんでしたが、本人がそういうのであれば、それは事実なのでしょう。

節子は、私の両親への不満は一度も言った事はありません。
私の両親も、節子への不満を言ったことはなく、むしろ息子の私よりも信頼していたはずです。
私は、極めて常識だった両親にはたぶん理解できない息子だったでしょう。

娘たちは、そうした私と両親との関係を素直に観察しています。
彼女たちにとっては、私はあまり「親孝行」には見えていないようです。
もちろん実際にはそんなことはありません。
後悔する事は山のようにありますが、私は胸を張って、自分はそれでも親孝行だと言うことができます。
一番の親孝行は、節子と結婚したことなのです。

節子も、私とは違う意味で、親不孝になりかねない生き方をしていました。
親元を離れて、遠くに嫁いでしまったからです。
しかし、その節子も、自分の一番の親孝行は修と結婚したことだと言うようになりました。
節子の父親は、私たちが結婚して数年後に亡くなってしまったのですが、私のことをそれなりに気にいってくれていましたし、母親も私のことを「良い人だ」と思っていてくれたようです。
そんなわけで、私たちは、結婚した相手のおかげで、それぞれ親孝行できたわけです。

娘のユカが、今日はおばあちゃんの命日だと教えてくれました。
昨日はお祭で、墓参りにいけませんでしたが。今日、墓参りに行ってきました。
節子も、自分で選んで、私の両親と同じ墓にいます。

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2012/07/15

■安易に同調したり反発したりする風潮

今朝の朝日新聞の「いじめている君へ」というコラムで僧侶の玄侑宗久さんが、「軽々しい同調やめよう」と呼びかけています。
大津の自殺事件に関連して、子どもたちへの呼びかけになっていますが、私はこの文章を読んで、まさに自分に言われていることのように感じました。
それで、フェイスブックでも、この記事を紹介したのですが、どうも私の紹介の意図は伝わらなかったようで、残念なので、ここでまた取り上げることにしました。
玄侑さんの文章は、しばらくの間は多分次のところで読めます。
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201207140349.html?id1=2&id2=cabcahbfあるいは、私のフェイスブックでも読めます。
http://www.facebook.com/#!/photo.php?fbid=2261172424680&set=a.1319286038109.34919.1709527228&type=1&theater
日本社会の「同調性」は、以前から良く指摘されていることですが、この10年の状況は、私には恐ろしいほどです。
小泉政権の時の郵政民営化の話が私には、悪夢の始まりでした。
世論が動き出すと、これほどまでに大衆は脆いものなのかと思いました。
以来、私たちは、強いものに加担して、弱いものを叩いてきました。
そして大きな声の影に隠れて、匿名の言動に逃げるような生き方をし始めました。

上記のコラム記事の最後に、玄侑さんはこう書いています。

他人に安易に同調するのはやめよう。
誇りを持ち、君の意思で君らしい作品(人生)を作り上げていけ。
私は、一応、誇りを持って自分の生きたいように生きています。
お金のために、あるいは、社会のために、生きるようなことはしていません。
自分が誠実に生きることで、社会が良くなるようにしたいと思ってはいますが、定義も曖昧なまま「社会のために」などという無意味なことを基準にすることはありません。
「社会のために」という口実で、いかに多くの「反社会的」なことが行われてきたかは、少しでも歴史を学んだ人はわかるはずです。
たとえば、9.11以後のアメリカは社会のためにという名目で、イスラムの社会を壊しています。
「社会のために」という言葉もまた、一種の安易な同調主義だろうと思います。
自らの言動を「社会のために」という言葉で説明する人を私は信頼できません。

私は、根が天邪鬼なので、世論の大きな流れには背を向ける事が少なくありません。
しかし、それもまた「安易な同調主義」と同じことでしょう。
安易な同調主義とは、考えもせず勝ち馬に乗ることだけではなく、勝ち馬に安直に反発することも含まれるでしょう。
ましてや、自らには直接関わってこないような事柄に無関心だったり、無関心を装ったりすることは、同調と同じことだといっていいでしょう。
かつてニーメラーが後悔したように。そうした防衛的な「安直な生き方」こそが、社会を壊していくのです。
安易な同調の生き方が広がってしまうところに、いじめや犯罪がはびこる契機があるように思います。
大津のいじめ事件で、学校や教育委員会の関係者は許しがたい気がしますが、もしかしたら私もそう変わらない生き方をしているのかもしれません。
心しなければいけません。

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2012/07/14

■節子への挽歌1771:青い空

節子
夏が楽しかったのは、いつの頃までだったでしょうか。
昔は、夏が近づいてくるだけで、なにか元気が出てきたものでした。
しかし、いまは夏がきてもわくわくすることはありません。
夏が来ても、節子がいないからです。

私は、あまり思い出に浸るタイプでもなく、思い出を大事にするタイプでもありません。
過去にはあまり興味はなく、いつもこれから起こる新しいことに目が行くタイプです。
過去に縛られだしたのは、節子がいなくなってからです。
それは仕方がありません。
私にとって一番大切な節子との時間は、いまではもう「過去」にしかないからです。
ですから、節子がいない今は、時間感覚が一変してしまったのです。
過去も、現在も、未来も、私の中ではどこか重なり合ってきています。
生きる基準だった、節子が止まってしまったからかもしれません。
これも実に不思議な感覚なのです。
たぶん愛する人を失った多くの人が経験していることでしょう。
時間感覚が変わってしまう。
時々、自分の年齢さえもわからなくなってしまうのです。

ところで、今年の夏は、昨年までとちょっと違うような気もします。
あまり気が沈まないのです。
昨年までは、暑くなればなるほどに、心が冷えるような気がしていました。
節子の過酷な闘病生活が思い出されて、心身を覆ってしまうからです。
それを思い出すと、わが家の風景さえもが変わってしまうのです。
現実に見える風景と心身が感ずる風景が違ってくるのです。
だから、夏が好きにはなれませんでした。

今年はちょっと違うのです。
節子がいないのです。
節子を忘れたわけではありません。
現に昨夜も、節子の夢を見ました。
しかし、昼間はあまり出てきません。
思い出しはしますが、出てこない。

節子がいなくなった後、複数の人から、時が癒してくれますよ、と言われて強く反発したものです。
時間が癒せるはずはないと怒りさえ感じました。
しかし、もしかしたら時間が気持ちを変えてしまうのかもしれません。
もちろん「癒し」とは違います。
節子がいない寂しさや悲しさは、何ひとつ変わることはありません。
しかし涙はあまり出なくなりました。
心身が動けなくなることもなくなった。
それは間違いありません。
そのことを喜ぶべきか嘆くべきか、いささか複雑な気持ちです。
私の「生気」が萎えてきているせいかもしれません。

また、ただただ暑い夏がやってきました。
唯一、うれしいのは、青い空を見られることです。
節子も私も、暑い日の青い空が好きでした。
いつかそこが私たちの住処になるのだと感じていたからかもしれません。

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■節子への挽歌1770:他人の代役では問にあわない存在

ジェイン・ジェイコブズは、その著書「アメリカ大都市の生と死」の中で、こう書いています。
都市というのは、単に建物や施設だけではなく、人がつくりだす有機体だという話の中で、出てくる文章です。

実際の人間というものはユニークな存在である。彼らは生涯の何年かというものを他のユニークな人間と有意義な関係を続けることに投じており、彼らは決して他人の代役で問にあわせるわけにはいかないのである。
「アメリカ大都市の生と死」は、若い頃、熟読したはずですが、こんな文章が載っていたとはまったく記憶に残っていませんでした。
たぶん当時は心に残ることもなく読み流していたのでしょう。
最近、読んだある本に、この文章が引用されていたので、改めて書棚から取り出して、その前後を読み直してみました。
たしかに、この指摘はジェイコブスの都市論を支える重要な要素です。
しかし、今の私にはまったく違った意味で、この文章は心に響きます。

私の人生の半分以上を、私は節子と共にしてきました。
節子は、一般的に言えば、どこにでもいる平凡な人間でした。
しかし、ジェイコブスの言葉を借りれば、私にとっては、「有意義な関係」を続けてきた「ユニークな人間」と言えるでしょう。
そして、節子がいたからこそ、私もまた「ユニークな存在」になったのです。
そして、まさに「決して他人の代役で問にあわせるわけにはいかない」存在になってしまったのです。

ジェイコブスは、この文章を都市論で語っていますが、人生論として考えても、とても納得できる文章です。
「ユニークな存在による有意義な関係」が、都市に意味を与えるように、それはまた、人生にも意味を与えるのです。

では、その存在がなくなったらどうなるか。
都市であれば廃墟に向かいだすか、違う「関係」が新しい都市を生み出すでしょう。
人生の場合も同じでしょうか。
同じだとしたら、廃人になるか別人になるかです。
廃人にも別人にもなりたくない場合はどうしたらいいでしょうか。
ジェイコブスは、ほかの著作でなにか語っているでしょうか。

久しぶりにまた、ジェイコブスを読んでみようと思います。

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■豊かな暮らし

昨日、茨城県の小美玉市に住んでいる人たちとの集まりに参加しました。
そこに関わりだしてから、もう20年近くになります。
関わりだしたときは、まだ市町村合併の前で、美野里町と言いました。
「美しい野の里」という名前に惹かれて、底で始まっていた文化センターづくりに関わらせてもらったのが、きっかけでした。

田園風景が残っていたり、長屋門のある古民家が残っていたり、とてもホッとできるところでした。
そこの住民のみなさんとはかなりお付き合いさせてもらいました。
市町村合併する自治体とは、基本的には付き合わないという私の方針で、しばらく付き合いをやめていましたが、最近また、当時付き合いのあった人たちから声をかけてもらい、時々通いだしました。

昨日は、みんなで本を出そうという集まりでした。
全員手弁当であるばかりか、出版費用も自分たちで集め、取材や原稿書きも自分たちでやるのです。
その熱意にほだされて、私も時々、参加しています。
昨日は昼食をはさんでの長い集まりでした。
メンバーの一人が、手づくりのバラ寿司とお漬物や煮物を持ってきてくれました。
デザートにスイカとヨーグルトまでありました。
遠慮なくいただきました。
とてもおいしかったです。

Photo

みなさん、豊かな暮らしですねと言ったら、素直にみんな頷かれました。
いつも、ここに通って感ずるのは、その豊かさぶりです。
誤解のないように言えば、ただ単に自然が豊かだといっているのではありません。
芸術や伝統文化などの、いわゆる「文化的な豊かさ」も、都会の人たちよりもずっと豊かです。
昨日の会場は、私もささやかに関わらせてもらった文化センターで行ったのですが、いつ行っても、そこは生き生きとしています。

ここだと年収200万円もあれば、豊かに暮らせますね、と言ったら、100万円でも豊かに暮らせますと、手づくり料理を持ち込んできてくれた人がいいました。
食材はたくさんありますし、庭にはみかんとリンゴの樹が並んで育っていると言うのです。
私のように、お金を使わずに、物々交換や事々交換をする生き方をしたいと思っているものには、憧れです。

帰り際にメンバーの一人から、インゲン豆とトマトをもらいました。

豊かさとは何かは、人それぞれですが、お金が入った途端に豊かさは遠くに行ってしまうような気がします。

帰りの電車の中で、お金を使わないで、物々交換や事々交換の生活をしていたら、消費税とは無縁だなと気づきました。
これからは、ますますお金を使わない生き方を目指したいと、改めて思いました。
それにしても、お金って、一体なんなのでしょうか。

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2012/07/13

■節子への挽歌1769:「掛け持ち」

節子
井伏鱒二の小説に「掛け持ち」という短編があります。
この作品は映画化もされているので、ご存知の方も多いと思います。
旅館で働く、うだつのあがらない番頭の喜十さんが主人公です。
喜十さんは甲府の旅館で働いていますが、出来が悪いため、お客様の少ない季節はずれには一時解雇されてしまうのです。
そこで、仕方なく、その時期は季節が反対の伊豆の旅館で働くという「掛け持ち」をしているのですが、なんとその伊豆の旅館ではみんなから信頼されて支配人格にまで出世してしまいます。
つまり、人は置かれた状況や付き合う仲間によって、まったく別人になってしまう、という話です。

自分を素直に出せてのびのびと振る舞える環境もあれば、周りの人との相性が合わずになぜか萎縮してしまい、何をやっても失敗してしまうというような体験は、誰にもあるのではないかと思います。
私も、よく体験しました。

過去形で書いてしまいましたが、私の場合、節子と一緒に暮らしているうちに、いつでものびのびと素直になることができるようになりました。
そうなるまでには、やはり20年以上はかかりましたが、20年ほど前からは、ほとんどいつも素直に言動できるようになった気がします。
そのために、頼りなさやだらしなさも見えてきてしまったと思いますが、その分、相手が誰であろうと同じように振舞えるようになったのです。
どうしてそうなったのか、説明は出来ませんが、ともかく節子といると素直に生きられたのです。
そして、それが次第に身に付きだしました。
もしかしたら、すべてをさらけだした私を、節子がいつも無条件に受け容れてくれたからかもしれません。
資格とかお金とか、名誉とか見栄とか、過去のこととかには、ほとんどと言っていいほどこだわりもなくなりました。

ところが、節子がいなくなってしまった。
もし、「人は置かれた状況や付き合う仲間によって、まったく別人になってしまう」のであれば、私もまた、これまでとは違う人間になってしまいかねません。
しかしそんなことはなく、ますます節子と一緒に暮らしていた時の自分を強めているように思います。

自分を素直に生きだすと、さらに大きな気づきが得られます。
「掛け持ち」の話につなげていえば、みんなから怒られてばかりいるうだつの上がらない番頭も、みんなから信頼され評価されるしっかりものの番頭も、同じに思えるようになりました。
「人は置かれた状況や付き合う仲間によって、まったく別人になってしまう」のではなく、むしろ素直な自分のさまざまな側面を気づいていく。
そして、自分に一番合った生き方を選べるようになる。
いまは、そんな気がしています。
うだつがあがらないのと出来が良いのとは、実は同じことなのかもしれません。
一見、矛盾する両者をつなげるのが「愛」なのです。
「あばたもエクボ」とは、よく言ったものです。

最初に書こうと思っていたことと、なんだか違う結論になってしまった気がしますが、まあ仕方ありません。
実は、書き出した時には、節子がいなくなって私の生活は一変した、ということを書くはずでしたが、一変はしていなかったことに気づいてしまいました。
いささか頭が混乱していますが、まあとりあえず書いたのでアップしてしまいましょう。

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2012/07/12

■なぜ人は嘘をつくのか

また学校での「いじめ問題」が話題になっています。
新聞を読む限り、信じ難い話ばかりです。
大津の事例は、刑事事件としか思えない話です。
教育委員会も学校関係者も 私には犯罪者ではないかとさえ思います。
新聞やテレビの報道が事実であればの話ですが。

しかし、それよりも怒りを感ずることがあります。
私が一番嫌いなことは「嘘をつくこと」です。
人間がやることは、良いこともあれば悪いこともある。
ですから悪事を働く人も、私は時に許せます。
基準を変えれば、悪いことと良いことは反転することさえあるのですから。
そもそも、英語の悪(evil)のつづりの反対は「生きる」(live)です。
生きることと悪事とは、コインの裏表なのです。

生きていくためには、時に「嘘」をつくことも必要だ、と言う人がいます。
「嘘も方便」という言葉もあります。
そうしたことも、否定はしませんが、しかし、私は「嘘」が嫌いです。
特に、嘘をつくことを正当化する人たちです。

大津の事件の、その後の報道を見ていて、ますます明らかになってきたと思うのは、大人は嘘をつくが、子供は嘘をつかない、ということです。
嘘をつくことを身につけることが、大人になるかもしれないと、私は思っていた頃もあります。
今は、そうは思っていませんが、それにしても「嘘」をつく人が多すぎます。
それも、明らかに、嘘だとわかる嘘を、なんら恥らうことなく、話すのです。
日本から「恥の文化」はもうなくなってしまったのでしょうか。

嘘をみんながつくようになったのは、森内閣の時代からであり、小泉元首相が嘘を奨励したと、私は思っています。
これに関しては、私のホームページで何回か書いてきました。
しかし、最近、国会審議を見ていて、嘘をつく文化が定着してきたことを感じています。
学校では、先生たちが、子供たちに「嘘をつく」ことの見本を見せている。
テレビで記者会見する教育委員会の人たちが、なんであんなに堂々と語れるのか、実に不思議です。

もしかしたら、教育とは嘘をつくことを身につけさせることなのでしょうか。
そうかもしれないなあ、と今日もテレビで国会中継を見ていて、思いました。

今日の国会中継も、実に面白かったです。

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2012/07/11

■節子への挽歌1768:強さと脆さは紙一重

節子
先日、わが家の周辺の放射線量を測定してもらいました。
やはりかなり高い数値でした。
庭の放射線量は年間ベースでは2.5ミリシーベルトを超えています。
先日行ってきた福島大学構内よりも高い数値なのです。
節子だったらどうするでしょうか。
私の場合は、何もしませんが。

知人が、今年は放射線のせいか、庭の梅がとても大きくなったと言ってきました。
いろいろのところで変化が起きているようです。
そういえば、わが家の庭のハイビスカスは、今年は成長がよく、大きな花を咲かせています。
その一方で、昨年植え替えた、ミモザが大きくなりません。
気のせいかもしれませんが、今年は大きなミミズによく出会います。
いずれも放射線の影響かどうかはわかりませんが、レーチェル・カーソンの「沈黙の春」にはなっていませんが、例年とはちょっと違った様子がいろいろと感じられます。
節子がいたら、わが家の庭や農地の変化をもっと教えてもらえるでしょう。
ちょっと残念です。

自然は、しかし実に変化します。
その一方で、変化しないところもある。
感動的なのは、枯れてしまったと諦めていた木や多年草が思わぬ復活をしてくれることです。
生命の強さと脆さを感ずることは少なくありません。
強さと脆さは、本当に紙一重なのです。

生きるということは、この強さと脆さのあいだを往来することなのでしょうか。

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2012/07/10

■節子への挽歌1767:炎天下の開墾作業

節子
相変わらず挽歌はまだ書けていませんが、書く気はかなり出てきています。

今日は午前中、それもかなり日が昇ってから、畑の草刈に行きました。
農園の写真を見た友人から、農作業というよりも開墾作業だねと言われるほど、わが家の畑は荒れ放題です。
雨のため、しばらく行けなかったので、時間の合間を見て、出かけました。
ところが今日は、梅雨も明けていないのに、まさに夏日でした。
熱中症になってはいけないので、きちんとスポーツ飲料も持参しました。

節子がいたら、一緒に言ってくれるのになと、娘に話したら、節子がいたら、こんな炎天下に行くのはやめろと言うよと言われました。
たしかにそうかもしれません。
しかし、思いついたら決意を変えないことを知っている節子だったら、たぶんいろいろ言いながら、一緒に言ってくれたでしょう。
それが娘と節子の違いなのです。

さすがに炎天下での作業はきびしく、なんと30分でダウンしてしまいました。
無理をしてはいけないので、30分で帰ったのですが、娘からはバカにされました。
しかし、30分とはいえ、炎天下での作業は、気分を変えてくれました。
なんとなく吹っ切れた気がします。

さて、また動き出しましょう。
私にとっては、毎年、この時期は精神的にダウンしがちなのですが、今年は何とかそれを乗り越えようと思います。
そういえば、昨日、テレビで誰かが話していました。
生きているのであれば、真剣に生きなければいけないと。
新藤監督でしたでしょうか。
最近、真剣さが欠けているかもしれません。

炎天下であれば、なおのこと、真剣に生きなければいけません。
悪い同時代人たちの風潮に馴染まないようにしなければいけません。
節子がいた頃のように、誰にも理解されなくても自分を生き抜かなければいけません。
そう自分に言い聞かせました。

節子
もう大丈夫です。

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■森まさこ議員と双葉町長と野田首相

国会参議院での予算委員会の中継を見ました。
11時過ぎから休憩を挟んで行われた自民党の森まさこ議員の質問は感激しました。
これまで感じた事のない興奮を感じました。
森さんの対応も実に胸が晴れました。
わけのわからない対応が多い国会審議が多いのですが、森さんは相手を追い詰める技をお持ちです。
私が感動したのは、森さんの話だけではありません。
参考人として発言した、双葉町長の井戸川さんの話です。
とくに最後の話は、涙が出ました。
それを聞いている野田首相は、私にはゾンビのように感じました。
いささか言いすぎでしょうが、そう思いました。
そして、つくづく、今の政府は最悪だと思いました。
人間の心がない。そう思いました。

インターネットでその記録を見ることができますので、ぜひ見てください。
参議院インターネット審議中継の7月10日の予算委員会です。
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php午前中は11時頃から、お昼の休憩を挟んで1時半頃までですが、お時間のない人は午後の開始後20分頃から28分までを見てください。
後半は井戸川町長の発言です。
野田首相は無表情でしたが、この1年、政府は何をやっていたのかと、私は改めて怒りを感じました。
井戸川町長の心痛が、私にも伝わってきます。
枝野さんや野田さんには、たぶん伝わらないのでしょう。
もし少しでも感ずる心があれば、発言も表情も変わるはずです。

長年、国会中継を見ていますが、こんな気持ちになったのは初めてです。
あまりのうれしさに、森議員にメールしてしまいました。
たぶんたくさんの人からエールが届いていると思います。

森さんは、小沢さんと違って、喧嘩の仕方、勝負の仕方を知っています。
小気味よいとまでは言えませんでしたが、明らかに勝負は明らかでした。
野田さんの半年振りの福島訪問は、完全に演技だけだったことがよくわかりました。
彼には「民の声」などには関心のないこともわかりました。
実に悲しい話ですが。

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■原発についてもっと知りたい人のためのサロンのお誘い

先日、原発を考えるカフェサロンを開催しました。
10人の人が参加し、時間が足りませんでした。
その参加者のお一人は、原発関係のお仕事をされている技術士の方でしたが、その人からもう少しきちんと原発に関する疑問点などをお聞きするサロンをやることにしました。
原発再稼動に反対の方も賛成の方もいるでしょうが、私が最近、つくづく思うのは、あんまりみんな原発のことを知らないのではないかと言うことです。
事実確認もせずに賛成だ、反対だと言っていては、何も解決しません。
私は、1970年代にはかなり勉強し、現場も2回ほど、見せてもらいました。
ある電力会社の原発関係の解説書もすべて一通り目を通させてもらったこともあります。
かなりの量でした。
それでも、やはりほとんどわかっていないと言わざるを得ません。

このブログでは、かなり過激なことも書いていますが、しかし、私自身が「絶対に正しい」などとは思ってはいません。
昨年の今頃、日本の原子力発電に最初から関わっていたエンジニアの方から、佐藤さん、飯舘村だって心配ないのですよ、と言われたことがありますが、その方も決して「悪意」でそういったわけではありません。
その方は、たぶん、そう思っていたのです。
それが、当時の原子力ムラの常識だったわけです。
それを笑うわけには行きません。
非原子力ムラの常識だって、さほど違うとも思えません。

人の考えなどは、まあその程度のものです。
しかし、それが他者に影響を与えることを考えれば、やはりできるだけ「対象の実体」を知らなければいけません。
そして、異論は交し合ったほうがいい。

そんなわけで、原発に詳しく、いまもお仕事で原発に関わっている技術者の方に参加してもらい、誰でもわかる原発の話をしていただき、わからないことを質問しながら、原発への理解を少し深められればと思っています。

誰でも歓迎です。
よろしかったらご参加ください。
一応、事前申し込み制ですので、私までメールください。
qzy00757@nifty.com

○日時:2012年7月21日(土曜日)午後1時~3時半(予定)
○場所:湯島コムケアセンター
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf○ゲスト:畑孝也さん(技術士 原子力・放射線部門)
○参加費:500円

案内は、次にあります。
http://homepage2.nifty.com/CWS/info1.htm#120721

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2012/07/08

■節子への挽歌1766:また間があきました

節子
またしばらく挽歌が書けずにいました。
せっかく追いついたと思ったのに、6日もたまってしまいました。
困ったものです。

それにしても、最近、いろいろな難事が多すぎます。
節子がいたらシェアしてもらえますが、いまは私が一手に引き受けなければいけません。
しかし、そんな言い訳は挽歌にはふさわしくありません。

最近痛感するのは、私がいかに節子に依存していたかと言うことです。
生活面でもそうですが、意識面でもそうでした。
だから、節子がいなくなってからの生活が壊れてしまったのも仕方ありません。
人はいつかは、一人になる。
夫婦があまりに一体になることは、必ずしも良い面だけではありません。

伴侶を亡くして、私のように、だめになってしまう人ばかりではないようです。
最近も、それを知りました。
それがいいことかどうかは、わかりませんが。

挽歌を書けないのは、特に理由があるわけではありません。
しかし、書く気が起きないということは、それなりの意味があるのでしょう。
もしかしたら、おかしな言い方ですが、節子がいないことが、挽歌が書けない理由かもしれません。
挽歌が書けるのは、ここに節子がいるからなのです。
その節子が、最近ちょっと不在気味でした。

ところが、昨夜、久しぶりに節子が夢に出てきました。
どこかを旅している夢でした。
すっかり忘れていましたが、いま思い出しました。
もしかしたら、そろそろ書きだしたらということかもしれません。

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■汚染ということ

「汚染」という言葉を、善悪や倫理の問題として認識している限り、環境問題の本質的な議論はできない、と惑星科学者の松井孝典さんは書いています。
ある生命にとっての「汚染」が、ある生命にとっての「恩恵」になることはよくあることです。
二酸化炭素で充満していた地球を植物が大量の酸素で「汚染」してくれたために、動物が生きやすくなったことを忘れてはいけません。

先日、福島でお会いした塩谷さんからメールが来ました。

3年ほど前から、大学に隣接する遊休農地を、地元の方にお手伝いいただき再生させ、学生もまじえて農作業をし、交流の場として活用してきました。
震災以降、そうした楽しみも奪われましたが、生き物は何事もなかったかのように成長しています
(実は放射能の影響がでているのかもしれませんが、まだ不明です)。
人類がいないほうがほかの生物にとってはよいのではないか、と思うこともしばしばです。

塩谷さんには、一度しかお会いしていませんが、その時のお人柄が改めて伝わってくるようなお話です。
放射線量が増えても、生き物は何事もなかったかのように成長している。
たしかに、わが家の周辺もそうです。

今朝、自治会の役員のみなさんが、放射線量測定に来てくれました。
我孫子市はいま、自治会が中心になって線量調査をしています。
わが家の庭の芝の上は、0.3マイクロシーベルト、雨水排出口周辺は0.5以上でした。
原発に近いいわき市と同じ水準ですね、と測定に来てくださった方は言っていました。
昨年の測定時とほとんど変わりはありませんが、雨水排出口はむしろ高まっているかもしれません。
さて、これを「汚染」と言うべきかどうか。

芝生は表土を排除したら、放射線量は下がるでしょう。
しかしその表土は、どこに廃棄したらいいのか。
先週、訪問した飯舘村のお地蔵さんの周りの放射線量はわが家とほぼ同じでしたし、福島大学構内に設置されていた測定器は0.2以下を示していました。
いずれも、かなりの「除染作業」が行われた結果です。
測定器が置かれているところだけ除染して、見えるデータを低くするという姿勢に、恐さを感じますが、そもそもこれだけ広域に放射線が拡散した以上、除染などは難しいでしょう。
むしろ0.3前後の放射線量の中で、どう暮らしていけばいいかを考えるべきでしょう。

問題は、この0.3が、さらに高まっていくかどうかです。
原発再稼動を進めるということは、それを加速させることです。
そうした選択がなぜ行われるのか。
そういう人たちに、「持続可能性」とか「生活第一」とか、言ってほしくはありません。
私には、野田首相は極悪な犯罪者にしかみえません。
犯罪者がどこにいるかは、今回の大津の中学生自殺問題で見えてきたように思います。
加害者の中学生を取り囲む大人たちの醜い構造が見えてきましたが、問題の構造は、私には同じく見えてなりません。
放射線量と違い、人間の生活の汚染ははっきりと「汚染」と言えるように思います。

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■実態を知らずに何ができるのか

最近、複数の方から、「実態を把握せずに対策がとられてしまうこと」への憤りの言葉を聞きました。

お一人は、ホームページに書いた福島大学の小山准教授からです。
福島の放射線汚染農地の除染作業は、農地の汚染状況を把握せずに画一的に進められていることへの怒りです。
小山さんは、それに対して、怒っているだけではなく、農業者などとも協力しながら、汚染実態の把握作業を進めています。
その水田も見せてもらいました。

もう一人は、原子力関係者の方からお聞きしました。
事故が起きた時に、原因をきちんと調べることもなく、ともかく目先の問題に対して現場的に対処してしまいがちだというようなことに怒っていました。
報告書も、「○○という問題が発生したので、○○という対応をとって、問題を解決した」というスタイルが多いそうです。
そこでは「なぜ問題が起こったのか」という、原因追求が十分には行われずに、解決策が重視されているわけです。

今回の、国会による事故調査報告書は、原因追及が行われているでしょうか。
私は、朝日新聞の報告書要旨しか読んでいませんが、その限りにおいては、やはり〔原因〕はあまり追究されていません。
外部事象への配慮が不足していたとか、マニュアルや訓練が不十分とか、指示命令系統が混乱していたとか、書かれていますが、なぜそうなっていたのか、またどうしたらそうならないように出来たのか、などはあまり読み取れません。
私には、これが事故調査報告書だとは、やはり思えません。
一歩、突き進まなければ、意味が無いと思うからです。
そもそも、原発とは何かの議論さえ、読み取れません。
こうしたことは、おそらく「実態」をあいまいにして、対処療法的に行動してきた文化のせいではないかと思います。

こうしたこと事は、原子力に限りません。
大津で起こった中学生の自殺をめぐっての学校や教育委員会の対応にも、強く感じます。
彼らには、おそらく今もなお、罪の意識はあまりないでしょう。
実態を知ろうとしないし、知らない世界で生きようとしているからです。
実態を知れば、現場を知れば、人は変わります。
何をすべきかも見えてくるでしょう。
そう思っているのですが、実態を知ることはエネルギーが必要になります。
実態をできるだけ見ないですませたいと、多くの人は考えるのでしょう。
その一人でもある私も、大いに反省しなければいけません。

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2012/07/06

■「原発事故は人災」の欺瞞性

福島原発事故を検証する国会事故調査委員会の最終報告書が公表されました。
新聞に報道には、大きく「原発事故は、自然災害でなく人災」と断定したと書かれています。
何という単細胞。委員会のメンバーは真面目に考えたのかと疑いました。
あまりにも明確なことを、さも仰々しく膨大な時間と費用をかけて行ったのかと議論していたのかと驚いたのです。

「自然災害」ではなく「人災」と談じたことを、多くの人が評価しています。
世間も、単細胞の人ばかりなのだなあと私は呆れ果てています。
そもそも、災害のほとんどすべては、「自然災害」と「人災」の両面を持ち合わせています。
それを、「自然災害」だ、「人災」だ、と決めつけることに違和感があります。
問題は、そのいずれでもなく、その両面をきちんと評価し、対策を打たねばいけません。
東電の事故調査報告書もそうですが、この報告書も真摯に原因を究明するというよりも、責任の所在の押し付けゲームの姿勢を感じます。

私が、「原発事故は人災」という見出しを見て驚いたのは、事故の原因が人間の操作ミスに押しつけられてと言うことです。
かつての原発事故の時と同じ繰り返しです。
言い換えれば、「原発事故は人災」とは、「原発は安全」だということです。
不手際な人間が、その安全な原発の操作ミスで、不幸な事故を起こしたということになるでしょう。
危険なのは、「原発」ではなく「運転」、というわけです。
果たしてそうなのか。
これは、「原発は安全でクリーン」と言っていた、「原子力ムラ」の論理の枠組みでの思考です。
つまり、国会事故調査委員会のメンバーも、「原子力ムラ」の雇われ人でしかなかったわけです。
唯一期待していた国会事故調査委員会が、こんなレベルのものだったとは、真に残念です。
まあ委員会の人選を見れば、これは十分に予想できたことですが、あまりにひどい。

そもそも「自然災害」と「人災」だけで考えることに問題がありますが、もし「人災」に、「原発をつくる」ということも含まれているのであれば、理解できないこともありません。
つまり、「原発をつくったことが事故の原因」だというのであれば、よくわかりますが、それでは事故の調査報告にはならないでしょう。
しかし、私には、その一言で、すべての問題は解決できるように思います。
言い換えれば、この報告書は原発をこれからも推進する、あるいは維持するためのものとしか思えません。
委員の人たちは、おそらくほとんどがそういう思いを持った人のように思えます。
そうでなけれ、委員の構成は変わっていたでしょう。

原発事故の原因は、原発そのものに内在されており、必然的に起こるものだと思います。
以前も書きましたが、武谷三男さんや髙木仁三郎さんは、それを警告していました。
いまこそ、原発そのものの安全性が問われるべきです。
大切なのは、運転の安全性ではありません。
原発に「非倫理性」です。
私は、そう思っています。
もっとシンプルに問題を考えるべきだろうと思います。

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2012/07/04

■除染のために農地の表土を廃棄することなどできません

福島の二本松で有機農業に取り組んでいる菅野さんのお話を聞く機会がありました。
その中に、グサッと心に響いた言葉がありました。
それがタイトルの「除染のために農地の表土を廃棄することなどできません」です。
私も、そのことが以前から気になっていました。
日本の農業は「作物を作るのではなく、土をつくるのだ」と言われてきました。
私も、これまでわずかばかりの家庭農園をやってきた体験から、土づくりがいかに大変であり、大切であるかは、少しだけ実感しています。
農家のみなさんにとって、農地の土は、祖先から営々と積み重ねてきた汗の結晶でしょう。
それをいとも簡単に「捨てる」ことなど、できないはずだと思っていたのです。

菅野さんは、まさにそう言ったのです。
とても納得できました。
もちろん菅野さんは、除染に反対しているわけではありません。
まあ今進められている「除染作業」の意味には私でさえ疑問を持ちますが、菅野さんは掘り返しとかいろんな方法で、土を廃棄せずに、放射線から作物を守ろうとしているのです。
たとえば、セシウムは粘土質の土が取り込んで押さえ込めそうだとか、そういう実験を繰り返しやっているのです。
そのデータも見せてもらいました。
まさにそこに、知のあり方を見せてもらったような気がしました。

汚染されたものは廃棄する。
これはまさに工業の発想です。
その発想が環境問題を引き起こしているわけですから、そこから抜け出なければいけません。
そうした「知の先進作業」は大学や研究所ではなく、やはり現場で行われているのです。

大学もしかし、知が失われているわけではありません。
わずかでしょうが、知を守っている人もいるようです。
今回、お話を聞いた福島大学の小山准教授は、農地の放射線量を細かなグリッドに分けて測定してマップをつくろうと努力しています。
いまの農地の除染の方法は、画一的に進められているようです。
まさに工業発想で、元受企業に利益が落ちる仕組みです。
対象の実態を把握もせずに、中和剤などをばら撒いているわけですから、無駄である上に、第二次汚染を引き起こしかねません。

土を育てる農業から環境を収奪する農業への流れが、反転するのか、加速されるのか。
福島の動きは、そうしたことを象徴しています。

有機農業をやっている大内さんは、ご自分の畑を案内してくれて、みんなにきゅうりを取っていかないかと勧めてくれました。
その笑顔が、今も頭に残っています。
本当の知はどこにあるか。私には一目瞭然です。


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2012/07/03

■節子への挽歌1765:あの頃はデモにも行けました

節子
昨年、福島で原発事故があったにもかかわらず、止まっていた原発が再稼動しだしました。
それに反対するデモが各地で行われています。
最近は、昔と違って、そういうデモの風景もマスコミが取り上げるようになっています。
節子がいたら、何と言うでしょうか。

2001年10月、テロ対策特別措置法制定と自衛隊法改正等に反対するデモに、節子と一緒に参加しました。
市民が中心のデモだからと友人から聞いていたので、節子を誘ったのです。
節子にとっては、初めてのデモ体験でした。
ところが、出かけてみると、参加者のほとんどが労組関係者でした。
私を誘った友人は、その雰囲気に馴染めずに帰ってしまったと後でしりました。
私たちは、議員会館前で、大声でシュプレヒコールしたり、もみくちゃになって歩いたりしました。
初めてのデモ参加にしては、楽しくない、疲労感の残るデモだっただろうと思います。
しかし節子は初めての体験なので、それなりに楽しんだようでした。
それに、日本でも反戦に向けてのデモが行われていることを知ったことも、節子には新鮮だったようです。
なにしろ当時は、そうした報道はまったくと言っていいほどありませんでした。
それにいまと違って、情報もなかなかまわってはきませんでした。

節子は、翌日の新聞にデモの報道があると思っていました。
しかし、各紙とも全く取り上げていませんでした。
それで節子も、新聞報道の偏りを確信したようです。
その後、団体中心のデモには参加しませんでしたが、ピースウォークなどには節子も参加しました。

もしいま節子がいたら、反原発デモにも節子は出かけていくでしょう。
節子は、単細胞でしたが、常識に反することには敏感でした。
私は、最近、デモには参加できずにいますが、節子がいたら誘われていたかもしれません。
あるいは、理屈ばっかり言ってないで行ってきたら、などと言われていたでしょう。
節子は、理屈だけの人も好きではなかったのです。
私も時々、理屈が勝つと「修は頭が良いから」と最大の侮辱の言葉を浴びせられていました。

映像で、デモの様子を見ながら、そんなことを思い出していました。
節子
彼岸にはデモはないのですか。

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■節子への挽歌1764:飯舘村の人和み地蔵さん

節子
福島の飯舘村は、とてもきれいな農村風景だったはずです。
それが被曝により計画避難地域になってしまい、水田も畑も荒れていました。

飯舘村は以前から「までい」な村づくりに取り組んでいました。
「までい」とは「真手」と書きます。
手間暇惜します、時間をかけて、ていねいに、と言うような意味です。
私は以前、福島に仕事で通っていた頃、その言葉を教えてもらいました。
以来、一度は行ってみようと思っていたところです。
しかし、行けませんでした。
節子が発病し、逝ってしまい、私自身もどこかに行こうという気持ちが砕け散ってしまっていたのです。

原発事故の後、その飯舘村の名前をテレビや新聞でよく見かけるようになりました。
村民もばらばらになり、飯舘村はもうなくなったと思っていました。
その飯舘村に、今回、立ち寄れたばかりか、村づくりの中心だったいいたてクリニックのある場所にも寄ってきました。
そこにぽつんと、人和み地蔵さんがありました。
二体が寄り添った、めずらしいお地蔵さんでした。

Iitate2

そこで、飯舘村でがんばっている「かーちゃんの力・プロジェクト」代表の渡邊とみ子さんの話を聞きました。
カーちゃんの力でつくった料理も、前日、楽しませてもらいました。
山菜を使った美味しい料理でした。
渡邊とみ子さんは、バスの中でもずっと話してくれました。
原発事故の後、何があったか、生き方がどう変わったか。
話している間、ずっと笑顔でしたが、その奥に涙を感じさせられました。
そして、最後に聴いていた男性たちみんなに問いかけました。
かーちゃんがこんな風に頑張りだしたら、みなさんはどうされますか、と。

だれもうまく応えられませんでした。
渡邊さんは、うちの人は応援してくれています、と言いました。
ちょっと拍子抜けする言葉でしたが、その言葉の奥に深い意味を感じました。
かーちゃんの力は、どこから湧いてくるのか。

人和み地蔵さんを見ているうちに、節子の「までい」な生き方、を思い出しました。
節子は、とりわけ病気になってから、一日一日を、とてもていねいに生きていました。
私は、どちらかといえば、粗雑な生き方をしているのですが、節子のおかげで当時は少しだけ「までい」な生き方になっていたように思います。
恥ずかしながら、節子がいなくなった今は、以前よりも生き方が粗雑になっています。
困ったものです。
改めなければいけません。

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■政治家の資質

小沢議員の去就が気になって、最近またテレビをよく見ています。
昨日、小沢グループが離党届を提出していた時間、テレビの「ひるおび」を見ていました。
消費増税法案に反対を表明した小沢グループの議員が4人出ていました。
離党するのかしないのかと一人ずつに質問している最中に、速報がテレビにも入ってきました。
離党するのかどうかいう司会者の質問に、辻議員は「離党するかどうかを議論する時ではない」と議員特有の質問に正面から向きあわない不誠実さで対応し、階議員は離党届に署名して預けたが自分は離党するつもりはないと、これまた普通の人ではとても理解できない回答をしていました。
見ていてとても不愉快でした。
番組が終わって、しばらくしてから2人が離党を撤回したという報道が流れました。
約束を反故にし、署名した責任は取らない。
政治家の約束とは一体何なのか。
私が生きている世界では通用しない話です。
しかし、これが政治家の常識なのでしょうか。
改めて驚きました。

それにしても不思議なのは、消費増税反対、原発再稼動反対の声がこれほど大きいにもかかわらず、小沢グループの離党を支援する人が少ないことです。
政治評論家の田崎さんは、今日のテレビで、「小沢さんの発言は正論だが、小沢さんは嫌い」という人が多いのだろうというようなことをお話になっていました。
私は小沢さんは嫌いですが、少なくともこの3年間、発言の内容においては、小沢さんの話はいつも納得できています。
それに、これほどマスコミや検察、他の国会委員やアメリカから小沢さんが嫌われるのは、それだけの意味があるのだろうと思います。
どうして、世論が大きく動き出さないのか、本当に不思議です。
日本の国民は、よほど「政局好き」なのでしょうか。
選挙はますます遠のいているようです。

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2012/07/02

■節子への挽歌1763:福島に行ってきました

節子
福島の被曝地域に行ってきました。
つい先ごろまで立ち入り禁止区域だった南相馬の小高地区を通り、原発から10キロ県内にある浪江の入り口まで行きました。
バス車内の放射線量は3マイクロシーベルトを超えました。
年間にすると30ミリ近くです。
被曝地域で活動している農業者や漁業者などとも交流できました。
いろいろと感ずることがたくさんありました。
話を聴いていて、何回か涙が出そうでした。
節子がいなくなってから、私はますます涙もろくなっています。
それにしても、みんなとても誠実に生きています。
そういう人たちの話を聞いていると、都会の人たちがいやになるほどです。
初めて会った時の節子を思い出します。
節子は、私と結婚したために、かなり人が悪くなったと思いますが、私は逆にその分、人が良くなったような気がします。
人生を共有していると、すべてを分かち合うようになるものです。
良いものも悪いものも。

久しぶりのバスツアーでした。
節子と一緒に行った観光ツアーとは趣はだいぶ違いましたが、それでもなにやらあの頃のことを思い出させるものがありました。
出会った人たちとの話からもですが、いろいろと考えさせられる2日間でした。

しかし、どんなに大変であろうとも、夫婦が一緒になって、その困難に立ち向かえる人はうらやましくも思いました。
原発事故の被災者に、もし救いがあるとすれば、それだけかもしれません。
こんなことを言うと、とても不謹慎ですが、夫婦で頑張っている漁業者の高橋さんを見ていて、そう思いました。
そんなホッとするような、あたたかさにも触れることができました。

それにしても、山ほど、宿題をもらってきてしまったような気がします。
一人で対応できるでしょうか。

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■「なんと罪深いことをしてしまったことか」

6月30日に福島大学で開催された「東北協同集会 in ふくしま」に参加しました。
福島で再生に取り組んでいる農業者や漁業者など、さまざまな実践の事例報告や話し合いの後、最後に、「福島からの提言」として、福島大学の塩谷教授が話されました。
感動しました。
基調講演も、福島大学の小山准教授でしたが、これも実に生々しい報告で聴き入りましたが。塩谷さんの話には涙が出ました。

その報告はまもなく「協同の発見」と言う雑誌に掲載されると思いますが、特に私が共感した言葉を紹介させてもらいます。
メモしていなかったので、不正確かもしれませんが。
塩谷さんは、福島でのさまざまな困難を語ってから、希望の話をしましたが、そこでこう語ったのです。

ぼくが生きている間には福島は元に戻らない。なんと罪深いことをしてしまったことか。
困難を語り希望を語るにおいて、塩谷さんは一人称で語っているのです。
誰かを責めるのではなく、自らの問題として引き受けている。
涙が出ました。
多くの人が忘れている視点です。
私が、反原発のデモに最近参加できないでいる理由の一つです。

集会の翌日、相馬や南相馬、飯舘村などをまわりました。
浪江の入り口まで行きました。
バスの社内で測定していた放射線量は、場所によって3マイクロシーベルトを超えました。
農業者、漁業者、就労支援者など、いろんな人の話を聞きました。
共通していたのは、「誰かを責めるのではなく、自らの問題として引き受けている」姿勢です。
そして、みんな悲しさと明るさを絡み合わせた表情をしていました。
感動すると共に、自らの生き方を考えさせられました。

いろいろと思うことがあり、追々、このブログでも書こうと思いますが、ともかく塩谷さんの言葉にはドキッとさせられ、涙が出たのです。

交流会で塩谷さんと話しました。
塩谷さんはこういいました。

福島にいると思いきり深呼吸できないので疲れます。福島の外に行くと思う存分深呼吸できる。でも人と話していると(世界が違うようで)疲れます。
当事者の世界は決して見えてこないことを、私も最近よくわかってきましたが、福島の人の気持ちなど、わかりようがないのです。
「なんと罪深いことをしてしまった」日本人の一人として、生き方を悔い改めなければいけません。
複雑な思いで、福島の被曝地から大飯原発反対のデモの映像を見ていました。

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