■「原発事故は人災」の欺瞞性
福島原発事故を検証する国会事故調査委員会の最終報告書が公表されました。
新聞に報道には、大きく「原発事故は、自然災害でなく人災」と断定したと書かれています。
何という単細胞。委員会のメンバーは真面目に考えたのかと疑いました。
あまりにも明確なことを、さも仰々しく膨大な時間と費用をかけて行ったのかと議論していたのかと驚いたのです。
「自然災害」ではなく「人災」と談じたことを、多くの人が評価しています。
世間も、単細胞の人ばかりなのだなあと私は呆れ果てています。
そもそも、災害のほとんどすべては、「自然災害」と「人災」の両面を持ち合わせています。
それを、「自然災害」だ、「人災」だ、と決めつけることに違和感があります。
問題は、そのいずれでもなく、その両面をきちんと評価し、対策を打たねばいけません。
東電の事故調査報告書もそうですが、この報告書も真摯に原因を究明するというよりも、責任の所在の押し付けゲームの姿勢を感じます。
私が、「原発事故は人災」という見出しを見て驚いたのは、事故の原因が人間の操作ミスに押しつけられてと言うことです。
かつての原発事故の時と同じ繰り返しです。
言い換えれば、「原発事故は人災」とは、「原発は安全」だということです。
不手際な人間が、その安全な原発の操作ミスで、不幸な事故を起こしたということになるでしょう。
危険なのは、「原発」ではなく「運転」、というわけです。
果たしてそうなのか。
これは、「原発は安全でクリーン」と言っていた、「原子力ムラ」の論理の枠組みでの思考です。
つまり、国会事故調査委員会のメンバーも、「原子力ムラ」の雇われ人でしかなかったわけです。
唯一期待していた国会事故調査委員会が、こんなレベルのものだったとは、真に残念です。
まあ委員会の人選を見れば、これは十分に予想できたことですが、あまりにひどい。
そもそも「自然災害」と「人災」だけで考えることに問題がありますが、もし「人災」に、「原発をつくる」ということも含まれているのであれば、理解できないこともありません。
つまり、「原発をつくったことが事故の原因」だというのであれば、よくわかりますが、それでは事故の調査報告にはならないでしょう。
しかし、私には、その一言で、すべての問題は解決できるように思います。
言い換えれば、この報告書は原発をこれからも推進する、あるいは維持するためのものとしか思えません。
委員の人たちは、おそらくほとんどがそういう思いを持った人のように思えます。
そうでなけれ、委員の構成は変わっていたでしょう。
原発事故の原因は、原発そのものに内在されており、必然的に起こるものだと思います。
以前も書きましたが、武谷三男さんや髙木仁三郎さんは、それを警告していました。
いまこそ、原発そのものの安全性が問われるべきです。
大切なのは、運転の安全性ではありません。
原発に「非倫理性」です。
私は、そう思っています。
もっとシンプルに問題を考えるべきだろうと思います。
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コメント
この記事に対する自己コメントです。
この記事を読んだ方からメールをもらいました。
報告書原文を読んだか、委員の人の過去の著作や講演の内容を知っているかと指摘されました、
原文は読んでいません。
朝日新聞で「要旨」を読みました。
委員の人たちの著作や講演には触れていません。
その方は、この記事が「「余りに的外れな誹謗中傷」としか思えないと指摘されています。
誹謗中傷は避けなければいけません。
しかし恥ずかしながら、私も時々やってしまいます。
ちなみに今回の報告書やその伝え方に関しては、いまのところ、私は意見を変えるつもりはありません。
その方には。ぜひこの記事にコメントとして送ってほしい旨、伝えました。
送ってもらえるとうれしいのですが。
昨日、この報告書に関して河野太郎議員がテレビ朝日の番組で説明していましたが、聴いていて、あまり共感できませんでした。
国会で調査するのであれば、きちんと国会の権限を駆使して、実態把握すべきだと思いますが、国政調査権などは余り使われていないようでした。
ただ、今回の報告書はあくまでも「事故」の原因を対象にしていますから、私の期待は過大なのかもしれません。
報告書が扱っていない事項は、報告書に明記されています。
しかし、私はそのこと自体が問題だと思っているのです。
事故は事故として独立して存在しているわけではありません。
そのことをあえて、追記させてもらいました。
投稿: 佐藤修 | 2012/07/07 08:17