■節子への挽歌1781:幽霊とグリーフケア
節子
昨日の挽歌に幽霊のことを書いたら、早速、九州の佐久間さんからメールが来ました。
佐久間さんは、節子の病気治癒を韓国の灌燭寺の弥勒菩薩に祈ってきてくれた人です。
節子も、そのお守りを大事にしていました。
その佐久間さんが、「わたしは、「幽霊」という考え方そのものが「グリーフケア」であったと思っています」と書いてきました。
確かにそういわれるとその通りです。
幽霊にケアされた人は少なくないでしょう。
グリーフケアは、佐久間さんの専門とする領域の一つです。
佐久間さんは、最近、「幽霊」のことばかり考えているといいます。
そのあたりは、佐久間さんのサイトに詳しく書かれています。
http://homepage2.nifty.com/moon21/shinsletter.html
また、これから毎日、幽霊についてのブログ記事をアップする予定だとも書いています。
最初の記事は昨日書かれています。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m/20120729/1343487665
なんという偶然でしょうか。
佐久間さんが幽霊について語ることにはとても自然に感じます。
佐久間さんのテーマだからです。
しかしこれまでさまざまなところで言及していた「佐久間さんの幽霊論」を改めてまとめられるとはうれしいことです。
ところで、幽霊がグリーフケアだと言うのは、実に共感できます。
しかも、その意味は、とても深いように思います。
誰にとってのグリーフケアか。
当然、残された者にとってのグリーフケアでしょうが、それだけではありません。
逝ってしまった者にとっても、社会にとっても、です。
昨日のNHKテレビの大河ドラマ「平清盛」では、崇徳上皇の怨霊が登場していましたが、怨霊もまたさまざまな意味での「大きなグリーフケア」を果たしています。
そう考えると、歴史に残っている怨霊の物語はとてもよく理解できます。
社会がケアされる仕組みが怨霊の物語です。
そこに流れているのは、「救いと赦し」です。
決して「呪いや怒り」に、その意味があるのではないと私は思っています。
間違っているかもしれませんが、このあたりは、たぶん佐久間さんが明らかにしてくれるでしょう。
グリーフケアは、愛する人を失った大きな悲しみに対するケアのようです。
私も一度、ワークショップに参加したことがあり、たしかにある意味でのケアを体験しました。
自分自身の心身の癒しも感じましたが、それ以上に感じたのは、その場の空気のあったかさでした。
グリーフケアのワークショップに参加した人たちが醸し出す、なんともいえない、あったかな「救いと赦し」の雰囲気。
それが不思議な世界と関係性を生み出していたような気がします。
昨今の社会状況を見ていると、社会そのものが癒されるべき状況にあるような気がします。
確かに、私自身、ケアされたい気分はあります。
しかし、節子がいたら、節子にケアされてしまって見えなくなってしまっていたかもしれない社会の問題が、否応無く見えてきてしまうと、ケアされるべき対象は決して自分ではないと気づいてしまいます。
これ以上書くと時評編の記事になりかねませんが、幽霊の時代がまた蘇っているような気が。私も最近しています。
節子も、たまには幽霊になって戻ってきたらどうですか。
私には見えていないだけですかね。
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