■反オリンピック論
私はオリンピックにあまり興味がありません。
これは昔からのことです。
勝った負けたで騒ぐのがどうも好きになれません。
一応、北島の競泳を見たり、体操を見たりしてはいますが、ほかの番組がないのでなんとなく見ているだけです。
それにしても、最近のテレビはオリンピック一色です。
古代ギリシアでは、オリンピックの時期は戦争も中断されたといいます。
それにも私は子どもの頃から疑問がありました。
戦争を中断してまでオリンピックをやるのであれば、そこで勝った負けたはないだろうと思っていたのです。
素晴らしいパフォーマンスを讃えることには異論はありません。
しかし、メダルの数を争う発言を聞いているといやになります。
銅では満足できない、次は金だという選手を見ると蹴飛ばしたくなります。
ファンの方には申し訳ありませんが。
表彰台でメダルを噛んでいる人も増えました。
こういう人は台から蹴落としたいです。
そういう人は、お金を食べて生きていけばいいと思います。
幸いに今回はまだドーピング疑惑は報道されていませんが、そうまでして勝とうとする状況が生まれているのは、嘆かわしい話です。
今回とても気になったのは、審判の決定が覆されることが増えていることです。
ここでも「科学的分析」が進んできているのでしょうが、とても違和感を持ちます。
人のゲームに機械が入ってくることに、私は大きな違和感があります。
そのうち、ロボットの大会になるだろう事を予感させる動きに見えます。
体操も柔道も、なんとなく後味が悪いです。
このオリンピック騒ぎの向こうで、何が進んでいるのかそれが気になって仕方がありません。
偏屈な意見で、すみません。
読者の方から、蹴飛ばされそうですね。
それにしても、オリンピックって一体何なのでしょうか。
そんな思いで、冷やかにテレビを見ていますが、なぜか日本人選手が勝つとうれしくなります。
私もやはりもう十分に洗脳されていますね。
困ったものだ。
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コメント
オリンピックに限らず、順位という物の評価は、見る人によって様変わりする事でしょう。
聖戦の成果、自民族の優越性、他民族浄化の根拠など。
自由至上主義的には結構な事なのでしょうが、例えばそれらを利用して自分だけ気持ち良ければ良いんだ、
というような誤謬が、内野外野問わず色々な人々の心に見え隠れするようで、何とも言えない気持ちになります。
人はこのように自分で思っていた事さえ簡単に誤解する事もできてしまいます。
人生の殆どが、その失敗で満たされているとさえ自分は考えます。
自由至上主義人は自由を達成できないとさえ自分は考えます。
自由になりたいのに、ますます不自由の泥沼に現代人が沈んで行く。
オリンピックの選手を我が物のように扱うメディアや自民族至上主義者を見ていて、
そんな事を考えてしまいました。
投稿: 2933 | 2012/08/01 02:25