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2012/07/29

■節子への挽歌1779:福二の願望

「遠野物語」を読んだのはもう数十年前です。
それもかなりいい加減にしか読んでいないので、あまり記憶には残っていません。
20年ほど前に、遠野の人と会う機会があり、もう一度読もうと思ったこともあるのですが、残念ながら交流は続かずに、そのままになってしまっていました。

今朝、録画していたNHKの「日本人は何を考えてきたか」第7集の「魂のゆくえをみつけて」を見ました。
柳田國夫が、今回の主役でした。
当然、遠野物語が紹介され、当然に、有名な第99話が取り上げられていました。
99話は、ご存知の方も多いでしょうが、「津波で流された妻の幽霊」の話です。

遠野から山田町の田の浜に婿入りした福二は、大津波で妻も子も失いました。
1年が経った夏の初めの月夜のこと。
真夜中に用足しに起きて外に出た福二は、霧が立ち込める中で2人の男女に会います。
近寄ると、女はまさしく亡くなった妻。
名を呼ぶと、振り返り、にこっと笑いました。
連れの男は同じく大津波で死んだ者で、昔互いに深く心を通わせた仲だった人です。
今は夫婦でいると言うのです。
その後、2人は足早に立ち去り見えなくなってしまいました。
気がついたら夜が明けていた、という話です。
そして、福二は,この事の後、長らく煩ったそうです。

福二は実在の人で、その孫に当たる方がいまも田の浜に住んでいます。
昨年の津波で母親が被害に合い、今もまだ見つかっていません。
その方は、「亡くなったとはいいたくない、いなくなったのだと思っている」と話していました。
その気持ちがすごく伝わってきました。

番組では、赤坂憲夫さんと重松清さんが、その話をめぐって話されていました。
なぜ福二は、話さなければ誰にもわからなかった、その話を柳田にしたのか。
お2人は、話すことが、救いと赦しをもたしたのではないかといいます。
その後の、長い煩いも、福二にとっては一種の癒しであり鎮魂だったのかもしれません。
とても考えさせられました。
もしかして、挽歌を書き続けている私も、いま、長い煩いの中にいるのかもしれません。

福二の妻は、彼岸で幸せになっていました。
節子はどうでしょうか。
どんな形であれ、幸せになっていれば、うれしいことです。

福二は亡くなった妻を深く愛していた。だから幸せになってほしかったのです。
どうしたら幸せになれるか、1年かかって福二が得た答が、たぶんこの話だったのだろうと思います。
幽霊は、いつも願望が生み出すのだろうと思います。
赤坂さんは、その番組で、被災地では幽霊の話が沢山聞かれると話されていました。
被災地には、今、きっと沢山の願望があふれているのではないか、そんな気がします。

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