■いまこそ、農業から学ぶ時ではないか
先日、農業と福祉のつながりを考えるサロンを開催しました。
熊本で自らの生活を福祉施設に投じて、生活起点の福祉活動に取り組みながら、農業の実践的研究者でもある友人の宮田さんが、その機会をつくってくれました。
農業と福祉は、その本質において理念を共有していると考えている私には、このテーマは年来の関心事です。
こうした動きに関しては、私のホームページのほうではこれまでも何回か触れてきましたが、最近は少し遠のいていました。
しかし、時代的には「農福連携」という言葉も広がりだし、農業と福祉をつなげていく活動も増えてきています。
サロンには農水省の職員の方もお2人参加してくれたほか、園芸福祉活動や農福連携活動などに取り組んでいる人たちが集まりました。
最初に宮田さんが、農業と福祉作業所の実態を踏まえて、「福祉作業所は、農業を社会の根源的基盤として捉え直す大きな運動の重要な担い手だ」という問題提起をしてくれました。
それに基づいて、実態を踏まえた話題がいろいろと提供されました。
それぞれみんな、自らの実践の場を持っている人たちばかりですので、学ぶことの多い議論だったと思います。
私が「農業」に関心を持ったのは、1970年代です。
工業経済の限界が見え出してきた時代と言ってもいいでしょう。
衝撃的だったのは、守田志郎さんの「文化の転回」という本との出会いでした。
「転回」という文字が、以来、私の思考に大きな影響を与えました。
よく言われるように、工業は「リニアな経済活動」です。自然を原料にして生活のために消費していきます。ですから基本的に持続可能ではありません。
一方、日本古来の農業は「循環する経済活動」です。うまく仕組んで、循環に関わる要素を相互に良い方向に育てながらスパイラルアップしていく構造を育てれば持続可能なものになりえます。
ちなみに、ここでいう「循環」は、モノやエネルギーだけではなく、スピリチュアルなものも含みますし、関係性そのものも含みます。
もし本気で、「持続可能な経済」を志向するのであれば、日本古来の農業から学ぶことはたくさんあるように思います。
しかし、大きなベクトルは「転回」することなく、農業を第6次産業化しようなどという、あいかわらずの「経済パラダイム」が志向されているのが現実です。
ちなみに、1970年代には「農業の第三次産業化の推進」が盛んに言われていたのです。
それが何をもたらしたかは、歴史が示しています。
話が難しくなりましたが、工業は一方向的ですので、本質的に成長の限界を持っています。
それを打破するのが、農業だと私は感じていたのですが、残念ながら、そうはなりませんでした。
成長の限界を「打破」したのは、なんと金融を主軸にした「サービス産業」だったのです。
しかし、その路線は、短命な延命策でしかありませんでした。
最初からわかっていたことなのでしょうが。
いまこそ、農業から学ぶ時ではないかと思います。
「農業」という言葉は、しかし、今となっては極めて多義的です。
このブログでも何回も書いてきている「問題の立て方」によって、まったく位相が違ってきます。
たとえば、守田さんはすでに1970年代に、「文化の転回」のなかで、こう語っています。
農業問題という「問題」の立てかた、その発生の動機、それへの取組み方の推移、そして今日なぜかこれがしきりに口にされるについての契機、どれ一つをとってみてもそこに農耕する人はない。人間の見えない経済と言われることがありますが、まさに農業においてもそうした農業論が当時も横行していました。
長々と書いてきてしまいましたが、まあこうしたことを踏まえて、改めて「農業から学ぶ」と共に、「農業と福祉のつながり」をテーマにした、緩やかなネットワークを立ち上げられないかと考えています。
関心のある方はご一報いただけるとうれしいです。
長くなったので、サロンでの議論の内容は項を改めて書くことにします。
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コメント
それ本当にそこのお役人だったのでしょうか?笑
こうした動きは戦後日本国の経営上、嫌がられる物だと思っていたのですが
投稿: 2933 | 2012/07/24 06:28