■安易に同調したり反発したりする風潮
今朝の朝日新聞の「いじめている君へ」というコラムで僧侶の玄侑宗久さんが、「軽々しい同調やめよう」と呼びかけています。
大津の自殺事件に関連して、子どもたちへの呼びかけになっていますが、私はこの文章を読んで、まさに自分に言われていることのように感じました。
それで、フェイスブックでも、この記事を紹介したのですが、どうも私の紹介の意図は伝わらなかったようで、残念なので、ここでまた取り上げることにしました。
玄侑さんの文章は、しばらくの間は多分次のところで読めます。
http://www.asahi.com/national/intro/TKY201207140349.html?id1=2&id2=cabcahbfあるいは、私のフェイスブックでも読めます。
http://www.facebook.com/#!/photo.php?fbid=2261172424680&set=a.1319286038109.34919.1709527228&type=1&theater
日本社会の「同調性」は、以前から良く指摘されていることですが、この10年の状況は、私には恐ろしいほどです。
小泉政権の時の郵政民営化の話が私には、悪夢の始まりでした。
世論が動き出すと、これほどまでに大衆は脆いものなのかと思いました。
以来、私たちは、強いものに加担して、弱いものを叩いてきました。
そして大きな声の影に隠れて、匿名の言動に逃げるような生き方をし始めました。
上記のコラム記事の最後に、玄侑さんはこう書いています。
他人に安易に同調するのはやめよう。私は、一応、誇りを持って自分の生きたいように生きています。
誇りを持ち、君の意思で君らしい作品(人生)を作り上げていけ。
お金のために、あるいは、社会のために、生きるようなことはしていません。
自分が誠実に生きることで、社会が良くなるようにしたいと思ってはいますが、定義も曖昧なまま「社会のために」などという無意味なことを基準にすることはありません。
「社会のために」という口実で、いかに多くの「反社会的」なことが行われてきたかは、少しでも歴史を学んだ人はわかるはずです。
たとえば、9.11以後のアメリカは社会のためにという名目で、イスラムの社会を壊しています。
「社会のために」という言葉もまた、一種の安易な同調主義だろうと思います。
自らの言動を「社会のために」という言葉で説明する人を私は信頼できません。
私は、根が天邪鬼なので、世論の大きな流れには背を向ける事が少なくありません。
しかし、それもまた「安易な同調主義」と同じことでしょう。
安易な同調主義とは、考えもせず勝ち馬に乗ることだけではなく、勝ち馬に安直に反発することも含まれるでしょう。
ましてや、自らには直接関わってこないような事柄に無関心だったり、無関心を装ったりすることは、同調と同じことだといっていいでしょう。
かつてニーメラーが後悔したように。そうした防衛的な「安直な生き方」こそが、社会を壊していくのです。
安易な同調の生き方が広がってしまうところに、いじめや犯罪がはびこる契機があるように思います。
大津のいじめ事件で、学校や教育委員会の関係者は許しがたい気がしますが、もしかしたら私もそう変わらない生き方をしているのかもしれません。
心しなければいけません。
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