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2012/07/23

■農福連携政策のパラダイム転換

もう一度、農福連携の話を続けます。

「農福連携」の取り組みが広がっていますが、これは簡単に言えば、「農業者と福祉事業者の連携」ということです。
実際に、私の周辺でも、農作業に障がいを持つ人に就労してもらう動きは広がりだしていますし、福祉施設が農作業に関心を持ち出す事例も増えています。
それはとてもうれしい動きです。
農福連携政策がさらに広がっていくことを期待しています。
しかし、今回はあえて、その「限界」という視点を整理し、そこからもっと大きな「農業の福祉力」を考えてみたいと思います。

サロンで話し合われたように、農業には本来、福祉力とか教育力とかが内在されています。
と言うよりも、私は、日本古来の農業は「生きることの集大成」のような気がしています。
先の記事で書いた守田志郎さんは、農業は生活の手段ではなく、生活の結果だと書いていたような気がします。
農業は、決して「農作物」をつくるための営みにとどまるものではありません。
ちなみに、私は50坪の家庭農園にいまは作物は植えていませんが、時々、作業に行っています。まああんまり関係ない話ですが。

障がいを持った人でも農作業なら手伝えるはずだ、とか、人手が不足しているので障がいを持つ人に頼もう、とか、そんな発想で、農福連携が広がっているわけではありません。
しかし、現実には、「問題解決を抱えている社会的弱者」が相互に支え合うのが「農福連携」だと考える発想がまったくないかともいえないでしょう。
世間の見方も、そうした見方がないわけではありません。
しかし、それでは、せっかくの「農業の福祉力」が活かしきれませんし、社会を変える大きな風は起こせない。

ところで、この時代、「障がい」を持っている人は一体誰なのか。
大企業で働く人たちは、7人に1人がメンタルダウンしているとさえ言われます。
つまり、7人に1人は、ある意味での「障がい」をもっているわけです。
「障がい」ってなんでしょうか。
普通に考えれば、生活をする上での「障害」だろうと私は思いますが、もしそうであれば、それは時代の文化や制度や仕組みで変わってきます。
時代によって、克服されて「傷害」ではなくなった、かつての「障害条件」もあるでしょう。
「働くための障害」と言えば、もっとわかりやすいかもしれません。
さらにいえば、実は「障がい」とは、生き方や働き方に大きく関係しているわけです。
社会のあり方が、障害を生み出し、「障がいに悩む人」を増やしていくことだってある。
まさに現在は、そんな時代かもしれません。

話が大きくなってしまいましたが、私は、この数十年、私たちは生き方や働き方を間違ってきてしまったのではないかと思っています。
それで生き方を変えている人間です。
たしかに経済は発展し、社会は便利になり「豊か」になりました。
でも、毎日の新聞やテレビの報道を見ていると、どこかおかしい気がしてなりません。
私たちは本当に豊かになったのだろうか。
そんな気さえしてきます。

持続可能という言葉が盛んに使われますが、今のままでは持続可能であるはずがない。
私たちは生き方を変えないといけないのではないか。
そのヒントが、「福祉」とか「農業」に含まれているのではないかと思います。
そういう視点でこそ、「農福連携」を考えないといけないのではないか。
農業そのものに内在している福祉や教育の価値にこそ着目した、大きな意味での「農福連携」が構想されるべき時期ではないかと考えています。
宮田さんが主張されているように、農業には社会をパラダイム転換していくための、大きな力が秘められているように思います。
そうした意識で動き出している新しい農福連携の動きも散見できます。
そこをもう少し学ばせてもらおうと思っています。

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