■節子への挽歌1766:また間があきました
節子
またしばらく挽歌が書けずにいました。
せっかく追いついたと思ったのに、6日もたまってしまいました。
困ったものです。
それにしても、最近、いろいろな難事が多すぎます。
節子がいたらシェアしてもらえますが、いまは私が一手に引き受けなければいけません。
しかし、そんな言い訳は挽歌にはふさわしくありません。
最近痛感するのは、私がいかに節子に依存していたかと言うことです。
生活面でもそうですが、意識面でもそうでした。
だから、節子がいなくなってからの生活が壊れてしまったのも仕方ありません。
人はいつかは、一人になる。
夫婦があまりに一体になることは、必ずしも良い面だけではありません。
伴侶を亡くして、私のように、だめになってしまう人ばかりではないようです。
最近も、それを知りました。
それがいいことかどうかは、わかりませんが。
挽歌を書けないのは、特に理由があるわけではありません。
しかし、書く気が起きないということは、それなりの意味があるのでしょう。
もしかしたら、おかしな言い方ですが、節子がいないことが、挽歌が書けない理由かもしれません。
挽歌が書けるのは、ここに節子がいるからなのです。
その節子が、最近ちょっと不在気味でした。
ところが、昨夜、久しぶりに節子が夢に出てきました。
どこかを旅している夢でした。
すっかり忘れていましたが、いま思い出しました。
もしかしたら、そろそろ書きだしたらということかもしれません。
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