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2012/07/26

■問題だけを見ていても問題は見えてきません

朝日新聞で毎日、「いじめられている君へ」「いじめている君へ」「いじめを見ている君へ」というコメントコラムが連載されています。
私も時々読んでいます。
前にも言及しましたが、示唆に富んでいるものが少なくありません。
しかし、これも前に書きましたが、どうも気になって仕方がありません。
なんでみんなこうも「いじめ〕「いじめ」というのだろうかと。
いじめが良いとか悪いとか議論する人もいますが、悪いに決まっています。
いじめられたら誰かに言えといわれても、言えないから問題になっているのです。
君がやっていることは、いじめなんだよと言われても、戸惑うでしょう。
一部にそうでない話もありましたが、どうもみんな他人事で考えているのが、気になって仕方がありません。
今の問題は、「いじめ」ではなくて、私たちみんなの「生き方」でしょうと言いたいのです。
問題は、「いじめ事件」に関わっている関係者ではなく、「いじめ現象」を起こしている社会をつくっている私、自分なのです。

最近の「いじめ報道」を見ていて思うのは、問題の立て方の間違いです。
いじめたり、いじめられたりするところに問題があるのではなく、いじめが頻発し一般化するような社会のあり方、つまり今の社会を生きる私たちの生き方が問題なのです。
つまり、問題は「彼ら」にあるのではなく、「自分」にあるのです。
だから、いじめを語る時には、一人称自動詞で語らなければ、何も変わらないでしょう。
「自分」を語らずに、「彼ら」を語っている人が多いので、それが気になるのです。

何か問題が起こると、みんな、その問題をどうしたら防げるかを考えます。
それは間違ってはいないでしょう。
しかし、問題の理由は、多くの場合、顕在化した問題の周辺や奥のほうにあります。
ですから、たとえば、「いじめ」だけを見ていては、問題は見えてこないかもしれません。
そして、結果的には問題を封じ込めてしまう対策が取られてしまう。
それでは何も変わりません。
問題の立て方は大事です。

私は3年ほど前に仲間たちと一緒に、「自殺のない社会づくりネットワーク」というのを立ち上げました。
一緒に立ち上げた仲間の多くは、自殺防止活動をしている人たちです。
しかし、私は「自殺防止活動」がどうもピンときません。
それでネットワークの名前も「自殺のない社会づくりネットワーク」にさせてもらいました。
問題は「自殺」ではなく、自殺を多発させるような社会のあり方や私たちの生き方だろうと思ったからです。
自分の生き方を含まない社会活動は私には考えがたいのです。
私の活動のほとんどは、そうした発想で行っています。
いつも自分の問題として考え実践する。
そんな進め方では、あんまり実効はあがりませんが、みんながこういう生き方をすれば、60年もすれば、自殺もいじめもなくなるだろうと考えています。

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コメント

まったく同感です。「自分にとっての~」でなければ、結局、他人ごとです。

投稿: 西川 | 2012/07/27 07:46

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