■節子への挽歌1765:あの頃はデモにも行けました
節子
昨年、福島で原発事故があったにもかかわらず、止まっていた原発が再稼動しだしました。
それに反対するデモが各地で行われています。
最近は、昔と違って、そういうデモの風景もマスコミが取り上げるようになっています。
節子がいたら、何と言うでしょうか。
2001年10月、テロ対策特別措置法制定と自衛隊法改正等に反対するデモに、節子と一緒に参加しました。
市民が中心のデモだからと友人から聞いていたので、節子を誘ったのです。
節子にとっては、初めてのデモ体験でした。
ところが、出かけてみると、参加者のほとんどが労組関係者でした。
私を誘った友人は、その雰囲気に馴染めずに帰ってしまったと後でしりました。
私たちは、議員会館前で、大声でシュプレヒコールしたり、もみくちゃになって歩いたりしました。
初めてのデモ参加にしては、楽しくない、疲労感の残るデモだっただろうと思います。
しかし節子は初めての体験なので、それなりに楽しんだようでした。
それに、日本でも反戦に向けてのデモが行われていることを知ったことも、節子には新鮮だったようです。
なにしろ当時は、そうした報道はまったくと言っていいほどありませんでした。
それにいまと違って、情報もなかなかまわってはきませんでした。
節子は、翌日の新聞にデモの報道があると思っていました。
しかし、各紙とも全く取り上げていませんでした。
それで節子も、新聞報道の偏りを確信したようです。
その後、団体中心のデモには参加しませんでしたが、ピースウォークなどには節子も参加しました。
もしいま節子がいたら、反原発デモにも節子は出かけていくでしょう。
節子は、単細胞でしたが、常識に反することには敏感でした。
私は、最近、デモには参加できずにいますが、節子がいたら誘われていたかもしれません。
あるいは、理屈ばっかり言ってないで行ってきたら、などと言われていたでしょう。
節子は、理屈だけの人も好きではなかったのです。
私も時々、理屈が勝つと「修は頭が良いから」と最大の侮辱の言葉を浴びせられていました。
映像で、デモの様子を見ながら、そんなことを思い出していました。
節子
彼岸にはデモはないのですか。
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