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2012/07/31

■節子への挽歌1783:高齢者の自覚

節子
最近、ようやく自分が歳をとってきていることを実感できるようになりました。
自分の意識における年齢と他者から見える年齢とは、大きな違いがあるのでしょうが、自分ではなかなかそれに気づきません。
しかも私の場合、節子が病気になる前の時点で、たぶん時が止まっているのです。
自らの年齢を実感する伴侶の不在は、たぶん人の年齢感覚を狂わせます。
私はいまなお10年前を生きているのかもしれません。
最近、そのことをようやく実感できるようになってきました。

それは、いささかさびしいことでもあります。
それに、最近考えている人生設計は、根本から見直さなければいけません。
あと10年がんばってください、などという知人の言葉に惑わされてはいけません。
これから仕事を再開だ、などと思ってもいけません。
人生設計を見直す必要がありそうです。

そう思ったのは、実は今朝のことです。
内容の記憶はないのですが、夢の中で暗示されたような気がします。
朝、目覚めてすぐに頭に浮かんだのが、そろそろ隠棲しようかということでした。
そういえば、「最近、誰も仕事を頼んでこない」ことにも気づきました。
この数年、緊張感を持って責任ある仕事で汗をかいたことがありません。
いろいろな相談は来ますが、仕事には本格的には巻き込まれません。
たぶんもうその年齢を超えているのでしょう。
自分では気づいていませんが、他者から見れば当然のことなのかもしれません。

まだ、わくわくするような難題を解く仕事がしたいという思いはあります。
誰にも負けない問題形成力と問題解決力には、いまなお自信はあります。
ただ本気でそこにすべてを投げ込むだけの勇気はなくなっているかもしれません。
その先の夢が描けないからかもしれません。
それに体力的にも無理がきかない。
これは致命的です。

もう新たな仕事起こしなどという発想は捨てて、しずかに人生の安寧を目指すのがいいかもしれません。
節子
どう思いますか。
そろそろ潮時でしょうか。

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