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2012/07/21

■言葉は実体を覆い隠すものでしかありません(その2)

前の記事のつづきです。

先日、フェイスブックに、大津の「いじめ事件」について、「私は、そもそも「いじめ」と言う言葉に違和感があります。いじめ問題などと思ってはいないので、どうも話がかみ合わなくなりそうです。ここでも「正名」をしっかり押さえる必要があると思っています」と書いたら、「でわいじめは何と呼ぶか」と問われてしまいました。
もちろん、いじめはいじめです。
しかし、昨今、「いじめ」と言う名前で呼ばれている事件は、「いじめ」ではなく、「犯罪」です。

それはそれとして、これもフェイスブックで紹介したのですが、朝日新聞でいまも「いじめられている君へ」「いじめている君へ」というコラムが連載されています。
いろいろな分野の人が、毎回、書いています。
いつも示唆に富む内容だと思います。
しかし、どうも違和感があります。
みんな「いじめ問題」として事態を認識しているからです。
こういうやりとりはこれまでも何回も行われてきています。
しかし事態は悪化する一方です。
これも、このブログで何回も書いてきていますが、問題をどう立てるかで、答も変わってきます。
言い換えれば、世界の見え方も変わってくる。
つまり、「いじめ問題」とした途端に、見える世界や問題の実態は決まってしまうのです。
ですから、私には、このコラムで書いている人たちと私では、見えている世界が全く別だと思っています。
いささか極端に言えば、このコラムで語っている人たちこそが、問題を矮小化し、問題を深刻化させていくのだろうとさえ思うのです。

これは「いじめ問題」に限ったわけではありません。
多くの分野でこうした「言葉」が世界を見えなくしている動きが広がっているように思います。
そして、解決に取り組むことが事態をさらに悪化させていくことにつながりことさえ起こります。
まさに「近代のジレンマ」です。

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