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2012/07/13

■節子への挽歌1769:「掛け持ち」

節子
井伏鱒二の小説に「掛け持ち」という短編があります。
この作品は映画化もされているので、ご存知の方も多いと思います。
旅館で働く、うだつのあがらない番頭の喜十さんが主人公です。
喜十さんは甲府の旅館で働いていますが、出来が悪いため、お客様の少ない季節はずれには一時解雇されてしまうのです。
そこで、仕方なく、その時期は季節が反対の伊豆の旅館で働くという「掛け持ち」をしているのですが、なんとその伊豆の旅館ではみんなから信頼されて支配人格にまで出世してしまいます。
つまり、人は置かれた状況や付き合う仲間によって、まったく別人になってしまう、という話です。

自分を素直に出せてのびのびと振る舞える環境もあれば、周りの人との相性が合わずになぜか萎縮してしまい、何をやっても失敗してしまうというような体験は、誰にもあるのではないかと思います。
私も、よく体験しました。

過去形で書いてしまいましたが、私の場合、節子と一緒に暮らしているうちに、いつでものびのびと素直になることができるようになりました。
そうなるまでには、やはり20年以上はかかりましたが、20年ほど前からは、ほとんどいつも素直に言動できるようになった気がします。
そのために、頼りなさやだらしなさも見えてきてしまったと思いますが、その分、相手が誰であろうと同じように振舞えるようになったのです。
どうしてそうなったのか、説明は出来ませんが、ともかく節子といると素直に生きられたのです。
そして、それが次第に身に付きだしました。
もしかしたら、すべてをさらけだした私を、節子がいつも無条件に受け容れてくれたからかもしれません。
資格とかお金とか、名誉とか見栄とか、過去のこととかには、ほとんどと言っていいほどこだわりもなくなりました。

ところが、節子がいなくなってしまった。
もし、「人は置かれた状況や付き合う仲間によって、まったく別人になってしまう」のであれば、私もまた、これまでとは違う人間になってしまいかねません。
しかしそんなことはなく、ますます節子と一緒に暮らしていた時の自分を強めているように思います。

自分を素直に生きだすと、さらに大きな気づきが得られます。
「掛け持ち」の話につなげていえば、みんなから怒られてばかりいるうだつの上がらない番頭も、みんなから信頼され評価されるしっかりものの番頭も、同じに思えるようになりました。
「人は置かれた状況や付き合う仲間によって、まったく別人になってしまう」のではなく、むしろ素直な自分のさまざまな側面を気づいていく。
そして、自分に一番合った生き方を選べるようになる。
いまは、そんな気がしています。
うだつがあがらないのと出来が良いのとは、実は同じことなのかもしれません。
一見、矛盾する両者をつなげるのが「愛」なのです。
「あばたもエクボ」とは、よく言ったものです。

最初に書こうと思っていたことと、なんだか違う結論になってしまった気がしますが、まあ仕方ありません。
実は、書き出した時には、節子がいなくなって私の生活は一変した、ということを書くはずでしたが、一変はしていなかったことに気づいてしまいました。
いささか頭が混乱していますが、まあとりあえず書いたのでアップしてしまいましょう。

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