■節子への挽歌1768:強さと脆さは紙一重
節子
先日、わが家の周辺の放射線量を測定してもらいました。
やはりかなり高い数値でした。
庭の放射線量は年間ベースでは2.5ミリシーベルトを超えています。
先日行ってきた福島大学構内よりも高い数値なのです。
節子だったらどうするでしょうか。
私の場合は、何もしませんが。
知人が、今年は放射線のせいか、庭の梅がとても大きくなったと言ってきました。
いろいろのところで変化が起きているようです。
そういえば、わが家の庭のハイビスカスは、今年は成長がよく、大きな花を咲かせています。
その一方で、昨年植え替えた、ミモザが大きくなりません。
気のせいかもしれませんが、今年は大きなミミズによく出会います。
いずれも放射線の影響かどうかはわかりませんが、レーチェル・カーソンの「沈黙の春」にはなっていませんが、例年とはちょっと違った様子がいろいろと感じられます。
節子がいたら、わが家の庭や農地の変化をもっと教えてもらえるでしょう。
ちょっと残念です。
自然は、しかし実に変化します。
その一方で、変化しないところもある。
感動的なのは、枯れてしまったと諦めていた木や多年草が思わぬ復活をしてくれることです。
生命の強さと脆さを感ずることは少なくありません。
強さと脆さは、本当に紙一重なのです。
生きるということは、この強さと脆さのあいだを往来することなのでしょうか。
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