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2012年8月

2012/08/31

■節子への挽歌1825:臨死体験談

節子
今日は、恒例のオープンサロンでした。
節子がいる時とは違って、男性が多くなり、また人数も少なくなりましたが、その代わり、話の密度は濃くなっているかもしれません。
今回は節子の知っている人半分と知らない人半分でした。
メンバーも変化してきています。

節子もよく知っている中村公平さんはいま、八ヶ岳山麓で家族3人で暮らしています。
まだ東京に家があるので、時々戻ってきますが、そのついでにサロンにも参加してくれます。
テレビや新聞から解放されて、自然の中で豊かに暮らしているようです。
今日は、自分でつくったかぼちゃをお土産に持ってきてくれました。

いつものように、話題は広がりましたが、最後に臨死体験したお2人から生々しいお話がありました。
一人は、節子のいた頃のサロンにも時に参加してくれていた平田さんです。
交通事故と脳梗塞で2回、死を身近に体験しています。
その時の話をしてくれました。
交通事故の時は幽体離脱の体験でした。
脳梗塞の時は1週間ほど意識が戻らず、臨死体験の意識もなかったようです。
ところが意識が戻ってから、ある夢を見たそうです。
ベッドの横に亡くなった2人の祖母が表れ、平田さんもベッドから落ちそうになったそうです。
その先に道路があって、いろんな人が右から左に向かって歩いている。
そこに小学生の時に死んでしまった友人の顔が見えたそうです。
そちらにどんどん引っ張られそうになっていた時、病室の隣のベッドの人が、布団が落ちそうですよと声をかけてくれたおかげで、目が覚めたのだそうです。
少しして、この夢は初めてではなく、意識がなかった時にも体験したことだったと気づいたそうです。
小学校時代の友人は、平田さんにとっての初めての死の体験だったのです。

鷹取さんも体験を話してくれました。
アメリカで友人の運転する車に乗っていた時に、カーブで直進してくるコンボにぶつけられたのだそうです。
助手席に乗っていた鷹取さんは大声で悲鳴を上げたらしく、その声で運転していた友人はブレーキではなくアクセルを踏んだおかげで、わずかの差で2人は助かりました。
乗っていた自動車の後半分は跡形もなく破壊されていたそうです。
自動車の衝突音がする前に、鷹取さんの頭の中に、過去の思い出のシーンがデジタル的にフラッシュバックしてきたと言います。
そして死んだと思ったそうですが、後ろを振り返って車の半分がないのを助かったことに気づいたそうです。
鷹取さんの場合は、臨死体験と言うよりも、死の予知がもたらした死の体験だったと言えるでしょう。
死が、まさに時間の流れを乱すものであることを示唆してくれます。

多くの人が、幸せそうな表情で死を迎えるとよく言われます。
自分の懐かしい人生の思い出に包まれるからでしょうか。
たしかに、節子も穏やかな表情でした。
そして、時間さえをもコントロールしているような気がしました。

あの時、節子は何を見ていたのでしょうか。

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■日本の社会を支える過剰消費

今朝の朝日新聞「天声人語」に、こんな文章がありました。

北九州市の節電実験で、値上げ世帯の使用が平均16%も減った。実験にかかわる関宣昭さんは「足りないと言うが、今までが必要以上に使うメタボ状態。適正値は、国や電力会社ではなく消費者が決める」。
節電実験をしなければこんな自明なことさえわからないのかと、本心では思いますが、まあこういう言葉がようやく涼しい部屋で過ごしている大新聞の編集委員などにもわかってきたかと思うとちょっとうれしいです。
前から書いているように、そもそも「節電」などという言葉がおかしいのであって、過剰消費をしなければいいだけの話です。
しかし、「過剰消費」は今の日本の社会の基盤を支えています。
過剰消費を生み出すこと、顧客を創造することが経済だという社会は、過剰消費で成り立っているといっても過言ではないでしょう。
電力は、まさにその文化のど真ん中に位置しているわけですから、過剰消費を覆い隠すために「節電」という言葉が広く使われているように思います。

過剰消費の「過剰」には、さまざまな意味がありますが、現在の日本の社会は世代を超えての過剰消費という面も強く持っています。
その現われが、資源枯渇であり、環境破壊です。
原発は、その象徴かもしれません。
灰色のマトリョーシカの話に示されているように、原発の恩恵など受けなかった世代が廃炉を管理しなければいけないのです。
しかも、人間的感覚で言えば、未来永劫です。
たとえ「首相」といえども、限りある命しかない個人に「責任」がとれるはずはありません。

もっとも「節約」という言葉は、電力に限らず、昔からよく使われた「美徳用語」です。
その視点に立てば、「節電」に異を唱えるのも間違っていると思われるかもしれません。
しかし、電力会社や産業界が唱える「節電」は、一方で電力の過剰消費を促進していることであり、それらは実はセットなのです。
エネルギー効率がよいからといって、どれだけの商品がまだ使えるのに廃棄されたことか。
省電力だからといって、どれだけの過剰消費が見直されずにすんでいることか。
おそらくみなさんも、心当たりがあるでしょう。

電気料金が上がることに反対する人の気持ちも私にはわかりません。
そもそもが安すぎるのです。
原発反対という一方で、電気料金値上げ反対という人は、私は蹴飛ばしたいくらい嫌いです。
しかし、首相官邸周辺に集まっている人の中には、そういう人も多いのでしょう。
そういう人が社会を壊してきた、と私は思います。

電気代が高いと思うならば、個人なら消費電力を減らせます。
中小企業は大変だと言われていますが、たしかに大変です。
それは大企業のための産業構造があまりにしっかりとつくられてしまっているからです。
主体性なくやってきたことの咎が出てきただけの話です。
大変さはわかりますが、これまで甘んじすぎていたともいえます。
すべては「身から出た錆」なのです。

問題は私たちの生き方であり仕事の仕方であり、事業活動していく組織のあり方です。
そう簡単に変えられるとは、私も思ってはいませんが、こうなることは1980年代から予兆はあり、警告も発せられていました。
それに気づかなかった、あるいは気づこうとしなかった人生を反省するほうが心休まります。

生き方を変えれば、消費税がどんなに高くなっても心配ありません。
金銭的消費をしなければいいだけのはなしです。
そろそろ「お上」の支配ツールである金銭からも自由になりましょう。
その一歩を踏み出す人が増えれば、100年先にはきっと社会は変わっています。

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■節子への挽歌1824:後悔がほとんどです

友人が奥様を亡くされました。
それも実に突然に、です。
まもなく3か月が経ちます。
その頃から、そろそろ辛くなったことを思い出して、メールをさせてもらいました。
そのKTさんからメールが来ました。

いざ居なくなると生前のいいところばかりが思い出されます。
突然のあの時からまる3カ月経ちました。
仰るように、ここにきて何かと考えることが突然湧いてきます。
後悔がそのほとんどですが・・・・・。
この先の残りの人生を如何様に生きたらいいのかまだ分かっておりません。
いなくなってわかることが、どれほど多いことか。
私よりも若く、いまは仕事で気をまぎらわせているとはいえ、いやおうなく考えさせられていることでしょう。
痛いほど、それがわかります。

私はまもなく妻を見送ってから5年が経ちます。
にもかかわらず、いまだに伴侶を亡くしたことの意味がわからなくなることがあります。
実感できずに、頭が混乱してしまうという意味です。
朝起きて、雑事をしていても、なんでこんなことをやっているのだろうかと思うのです。
これは節子の仕事だろう、というわけです。
節子の仕事を自分がやっている意味がわからなくなる。
5年経っても、まだ新しい世界に馴染めていないのです。

ましてや3か月。頭が整理できるわけがありません。
心身のバランスも取れないはずです。
でもこれは人によって違うかもしれません。
同じ3か月前に伴侶を亡くしたもう一人の友人は、

仕事と時の経過のおかげで落ち着きを取り戻してきました。
今は大地に還った家内を時に偲ぶばかりです。
と書いてきました。
まだ返事を書けずにいます。

暑い夏が過ぎると秋。
秋もまた、愛する人を送った者には思いを深めさせる季節です。
今年の8月は、私は宙を浮いたようにすごしましたが、かなり自分を取り戻してきました。
少しずつ現実に対峙できるようになってきた気がします。
後悔の世界からも、だいぶ自由になってきました。

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2012/08/30

■節子への挽歌1823:日本いちじく

節子
福岡の蔵田さんが、日本いちじくをどっさりと送ってくれました。
蔵田さんは、人に何かを贈るのが大好きなのです。
いろんなものが次から次へと送られてきます。
私は、それを素直にいただいています。

いちじくの事は、前に書いた事があるでしょうか。
挽歌を5年近く書いていると、たぶん同じ話題が重なることも少なくないかもしれません。

節子はいちじくが嫌いでした。
ところが、転居前の家の庭に、兄からもらったいちじくの木を植えました。
そのいちじくを食べてから、節子はいちじくが大好きになりました。
ただし、わが家の庭になるいちじくだけが、です。
日本いちじくでした。
転居して、その木を庭に挿木しました。
木は大きくなったのですが、なぜか実が熟しません。
場所が悪かったのかと、植え替えました。
やはりだめでした。
わが家の畑にまで植えてみましたが、木は大きくなっても実が熟さないのです。
節子が闘病中に、いちじくを食べさせたくてがんばりましたが、なぜかわが家のいちじくは美味しい実をつけませんでした。

そんなわけで、日本いちじくには複雑な思いがあります。
先日も娘がおいしそうないちじくを見つけて買ってきました。
節子に供えながら、食べてみましたが、見栄えはいいのですが、美味しくありません。
やはり、いちじくは日本いちじくです。

その日本いちじくが、どっさりと送られてきたのです。
やはり美味しいです。
節子にも早速、供えさせてもらいました。

福岡の蔵田さんに電話しました。
蔵田さんは、なんと畑仕事中だったようです。
これからねぎを植えるのだそうです。
東京の大企業を定年でスパッと辞めて、郷里に帰って畑仕事。
いまは自然に恵まれ、奥様と一緒に晴耕雨読の豊かな暮らしぶりなのでしょう。
節子と一緒に、そういう暮らしをしたかった、と改めて思います。

ところで、わが家の日本いちじくが実を熟させなくなってしまったのは、転居してからです。
考えてみると、転居してから、わが家には辛いことがいろいろと起こり出しました。
ここの地霊を怒らせてしまったのでしょうか。

畑に植えたいちじくが昨年、雑草に覆われて枯れてしまいました。
もう諦めていましたが、最近、周りの雑草を刈り取ったら、その下から若木が芽生えだしていました。
今度は、いちじくを熟させてくれるような気がしました。
節子の身代わりかもしれません。

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■節子への挽歌1822:野路さんからの快気祝い

節子
野路さんから「快気祝い」が届きました。
前に書いたように、階段から転落し、1年経ちますが、まだリハビリ途中です。
頭を打ったために、さまざまな障害が残ってしまったようです。
完全な快気と言うわけではありませんが、1年経ったので、節目にしたいと思われたのでしょう。
電話をさせてもらいましたが、やはり野路さん本人はまだ言語障害があるため電話は無理のようです。
それでご主人の徂さんとお話しました。

もう日常的な行動はできるようになり、散歩などにも行けるそうですが、しかし目を離せないので、徂さんはほぼ付きっ切りのようです。
記憶もなかなか戻ってこないのだそうです。
節子が元気だったら、駆けつけて記憶の呼び戻しに少しは役にたちでしょうが、私にはそれは出来ません。

私は野路さんには何回かお会いしていますが、徂さんには一度も会った事がありません。
節子は野路夫妻と一緒に旅行にも行っていますので、たぶん仕事ばかりしていた私は、誘われたのかもしれませんが、一度もご一緒したことはありません。
ただ節子からはいろいろと話をお聞きしていますので、なんとなく親しみを感じていました。
徂さんも、そう感じていたかもしれません。
電話でのお話でしたが、少しだけお互いの心が通じ合うような気がしました。
これも節子のおかげです。
いつかきっとお会いすることがあるでしょう。
でもいまは、徂さんにはそんな余裕はないと思います。

徂さんは毎日2時間ほど野路さんと一緒に散歩に行っているようです。
その話を聴きながら、節子との散歩のことも思い出しました。
闘病中の伴侶との散歩は、普通の散歩とは違います。
リズムが違うからです。
そして、自分が見えてくる時間です。
相手の大切さや相手への愛おしさ以上に、自分の身勝手さに気づき、事故嫌悪に陥ってしまいやすいのです。
少なくとも私はそうでした。
節子が、回復してくれたら、私は良い夫になれたかもしれません。
そんなことを思いました。

私が節子から聞いていた徂さんは、すでに十分に良い夫だったようですが、ますます良い夫婦になっていくでしょう。
少し羨ましい気がするのは、仕方がありません。
野路さんがはやく記憶を回復し、言語も回復することを祈っています。


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■灰色のマトリョーシカ

すでにさまざまなブログなどで取り上げられていますので、あえて書くこともないかと思っていたのですが、フェイスブックに書いたらかなり反応があったので、ブログでも書くことにしました。
一昨日のテレビ報道ステーションで作家の浅田次郎さんが、チェルノブイリで見てきた風景を「灰色のマトリョーシカ」にたとえて話してくれました。
とてもわかりやすくて、しかも原発の本質を示唆してくれる話です。

チェルノブイリでは、廃炉にした原発を覆ったコンクリートの箱が劣化して、そこから放射線が漏れ出すため、またそれをさらに大きなコンクリート箱で覆っていく作業をしているそうです。
さらに20数年経過したら、またその外側に、さらに大きなコンクリートの箱を覆いかぶせないと放射線は閉じ込められないかもしれません。
その風景を、浅田さんは入れ子人形のマトリョーシカにたとえたのです。
私は、思わず、未来永遠に続く苦行のシジフォスの神話を思い出しました。
放射線が出なくなった時には、もしかしたら地球よりも、その灰色のマトリョーシカは大きくなっているかもしれません。
しかもおぞましいことに、これから原発を稼動し続けていけば、チェルノブイリ以外にも、そうした「灰色のマトリョーシカ」は増えていくでしょう。
すでに2番目の「灰色のマトリョーシカ」は、福島に生まれつつあります。

この事実を知ってもなお、原発がないと不安だとか原発ゼロは現実的でないとかいう人がいます。
私が思うのは、全く反対のことです。
原発があることが不安ですし、原発の存在こそが現実的ではないのです。
その違いはいったいどこからくるのでしょう。
そこにこそ、私は人の生き方のすべてが見えてくるような気がします。

報道ステーションの画像も含めて、何人かの人がブログなどで記録してくれています。
ご覧になっていない方はぜひご覧ください。
たぶん原発の本質が、わかってもらえると思います。
いまは次のサイトが見られると思います。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2274.html

蛇足ですが、「灰色のマトリョーシカ」の話を聴いて、もしかしたら地球そのものが45億年前につくられた「灰色のマトリョーシカ」ではないかと、ふと思いました。

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2012/08/29

■節男への挽歌1821:草取りの効用

節子
この3週間、かなり暑い中をがんばって畑の草取りを続けました。
草取りといっても、一面の笹やぶ状態でしたから、大変でした。
飽きっぽい私としては、節子には信じられないほどの継続でした。
しかし、それには訳があるのです。
1週間くらい続けた段階で、その面白さがわかってきたのです。
早く草刈りに行きたいと思うほどになりました。
なぜでしょうか。

昨日、京都で伝統文化のプロデューサーとして活動している、連RENの濱崎加奈子さんが2年ぶりに湯島に来ました。
濱崎さんとは、彼女が東大の大学院生だったころからの付き合いですが、彼女たちが2002年に東大で開催した「伝統文化からコミュニティケアを考える:耳で食べる・時を着る」のイベントに節子と一緒に参加しましたので、節子も直接会っていますね。
まあその時には、節子には大変な恥を書かせてしまい、後で怒られましたが。
私はそのイベントのシンポジウムの司会をする予定で参加したのですが、私たちを目ざとく見つけた濱崎さんが、お茶の接待をやるから演台に上がってといわれたのです。
お茶などやったこともなく、私は伝統の作法を壊したがっていることを濱崎さんはしらなかったのです。
そして皆さんの前に作られたお茶席で、私たちは濱崎さんの最初の接待を受けました。
それで私はめちゃめちゃな作法でお茶を味わい、挙句の果てに由緒ありそうな茶さじをいじくりまわしました。
隣で節子は、私がその茶さじを折ってしまうのではないかとはらはらしていました。
しかし、濱崎さんは全く動じないのです。
作法壊しさえ受け容れるのが作法だといわんばかりに、私を優雅にあしらったのです。
以来、私は作法を重んずるようになりましたが、その時には後で節子に厳しく怒られたのです。

また余計なことを書いてしまいましたが、その只者ではない濱崎さんが少し動じて、わざわざ相談に来たのです。
濱崎さんはいま、江戸中期の京都を代表する儒者・皆川淇園が1806年に創立した学問所「弘道館」の跡地に現代の弘道館を再興しようという活動に取り組んでいます。
この話は、もしかしたら前にこの挽歌でも書きましたね。
全くもって無謀なプロジェクトですが、魅力的ではあります。
その関係で、最近は、その素晴らしい庭園の草むしりをしているのだそうです。
ところが、草むしりをしていると実に心が和やかになり、満たされると言うのです。
性格の悪い人には草むしりが効果的だとさえ言うのです。
ささやかながら畑の草取りを3週間続けた私も全くの同感で話が合ってしまいました。
節子がいたら、話はもっと盛り上がったでしょう。
それで、企業人向けの草取りツアーを企画したらどうだろうかという話になりました。
たまたま今日、大企業の経営幹部の人たちが湯島に来たので、この話を紹介したら、まんざらでもなさそうでした。

さて本題です。
そういえば、庭の花の世話や畑仕事をした後の節子は、いつもいい顔をしていました。
しかし、草取りかなりやっていたのに、節子はさほど性格がよかったとは思えません。
ということは、節子のもともとの性格はかなり悪かったということになります。
いまから思えば、私たちが仲良し夫婦になってきたのは、節子が花づくりや畑仕事をしはじめてからのような気もします。

性格の悪い伴侶に苦労しているみなさん。
相手に草取り作業を勧めましょう。
きっと効果がありますよ。

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■節子への挽歌1820:ユリの季節

節子
今は岐阜にいる佐々木憲文さんが節子に大きなユリの花束を持ってきてくれました。
節子が好きだったカサブランカもどっさりありました。
節子にお線香をあげながら、佐々木さんは以前、家族みんなでわが家の来たことを話されました。
家族とは、奥さんの典子さんと娘のパルとミホです。娘は佐々木さんたちの大好きな愛犬です。
その時はすでに節子は再発し、あまり動けませんでした。

佐々木さんたちは韓国が好きで、数年前に韓国に転居しました。
節子がいたら、佐々木さんのところに押しかけたかもしれません。
節子は、韓国には行った事がありませんでしたから。

佐々木さんが可愛がっていたパルが韓国で亡くなってしまいました。
悲しみに浸る佐々木ご夫妻のために、韓国の友人知人が盛大な葬儀をやってくれたようです。
そんなところに、佐々木ご夫妻のお人柄がうかがえます。
さらに佐々木さんの奥さんの母上が病に倒れ、ご夫妻は郷里の岐阜に戻ってきていました。
悲しいことに佐々木さんのお母さんも先月、旅立ちました。
四十九日法事に向けて、今は毎週、法事を重ねているそうですが、そんな合間にわざわざ出てきてくれたのです。

佐々木さんとの会話は、しかし、いつもと同じようでした。
私自身の体験から、それがいちばんいいように思えたからです。
佐々木さんとの話題は、いつもだいたい決まっています。
しかし何となくいつものように、自然に話が進まない気がしました。
それもまた自然のことなのでしょう。

佐々木さんは大きなユリの花束を抱えてやってきてくれました。
わが家も、ユリはできるだけ供えるようにしていますが、それに重なって、位牌の前はまた白いユリの世界になりだしました。

Yuri1208

9月3日は節子の命日です。
この時期は、わが家はユリの香りで包まれるのです。
ユリの香りは大好きなのですが、白いユリを見ているとなぜか悲しくなってきます。
深く深く悲しくなります。ただ意味もなく、です。

節子は今も彼岸で白い花の手入れをしているでしょうか。
そう教えてくれた大日寺の庄崎さんの言葉も思い出されます。
ユリはやはり、この世の花ではありませんね。

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■節子への挽歌1819:生きるのも死ぬのも大変

節子
たまりにたまった約束事の締め切りが限界に近づいたため、この4日間、また挽歌をサボってしまいました。
毎日きちんと書くというのは節子にならできるでしょうが、気分のムラのある私にはやはり無理があるのかもしれません。
困ったものです。
しかし逆に言えば、そうした本来の私にやっと戻ってきたともいえるかもしれません。
まあ、ものは言い様です。

節子はよく知っていますが、私は締め切りぎりぎりにならないと動き出せないタイプです。
火事場どろぼう的に出てくる能力で、何とか仕事をこなすと言うことかもしれません。
ぎりぎりにならないと頭が回りださないのです。
仕事だけではなく、新幹線も会議もぎりぎり間に合うかどうかという時間に出発するのが大好きです。
節子はいつも余裕を持って出かけるタイプでしたので、よくもめました。
しかし、言うまでもありませんが、余裕を持って出かけたほうが良いに決まっています。
それが出来なのが私なのだから始末が悪いです。

飛行機にわずかの差で乗り遅れ、約束した市長に会うことが出来なかったこともありますし、結婚式の立会人を頼まれていたのに、危うく遅刻しそうになったこともあります。
会社時代、新幹線はベルがなっている時に滑り込むこともよくありました。
この性格だけは節子にも直せませんでした。

災害時のための非常食や道具などを用意周到したがるのが節子でした。
私はそうしたものの用意には全く関心がありません。
災害が起きたら、それにしたがって苦労するのが自然だからです。
東北の大地震の後、節子の文化を引き継いでいる娘から、非常持ち出しリュックを渡されて、ここに大事なものを入れておくようにと言われましたが、まだ空っぽです。
いやそれ以前に、そのリュックはどこかに行って、いまは見当たりません。
困ったものです。

しかし、そろそろ考え方を変えなければいけません。
節子がいれば、非常持ち出し袋も非常食も不要ですが、節子がいない今は、少し考え直さなければいけません。
しかし、私の性格はどうも直りそうもない。
ですから、次の大きな地震や事故が起きる前に彼岸に旅立つほうが良さそうです。
その準備をしたほうがよさそうです。
でもそれも節子がいないとうまくできそうもありません。

自立していない人間は、生きるのも死ぬのも、大変です。
困ったものです。

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2012/08/25

■対立の構図は人と組織

シリアの内戦のすさまじさをテレビで見るたびに、政府軍の軍人たちは、なぜここまでの破壊活動ができるのだろうかといつも思います。
抵抗する側は身を守るためですが、政府軍は職を守るためでしょうか。

大学時代、国会デモでもよく思いました。
なぜ機動隊の人たちと学生は乱闘をしなければいけないのだろうか、と。
戦う相手が違うのではないかと、いつも思っていました。
もし機動隊が組織として戦うべき相手を変えたら、それこそクーデターでしょうが、その場合は、単に権力者が代わっただけです。
そうではなくて、機動隊の一人ひとりが自らの意志と判断で動き出したら、世界は変わって生きます。
そうなっては困るので、たぶん当時の機動隊員もいまのシリア政府軍も思考停止させられた単なる労働力にされているのかもしれません。

シリアも最近の日本の原発問題も、対立の構図は、人と組織だと考えるとわかりやすいように思います。
たとえば、自由シリア軍は自らを生きる人の集まり、政府軍は政府の傭兵と考えるのは、いかにも安直かもしれません。
傭兵は、お金のために雇用主の意向に逆らうことはしません。
そう考えれば、問題の本質が見えてきます。
それは、さまざまな問題にも当てはまります。
まさに、日本は今、そうした文化が社会を覆っています。

自らを生きる人であれば、個人的に原発が安全だとは思わないでしょう。
ひとたび事故が発生すれば、孫子の代までも影響を与えますし、仮に事故を起こさずとも、処置方法もない廃棄物を抱え込まなければいけません。
そうした原発の現場や使用済み燃料という名の危険な廃棄物の近くに住んでも良いという人がもしいたら、知りたいものです。
少なくとも原発推進者の中には、いないでしょう。
原発の危険性をよく知っているからです。
しかし、生命のない組織やシステムの視点からは原発は極めて有意な存在です。
産業の視点からは市場を生み出す最高の存在でしょう。
近代の経済における市場とは、解決すべき問題ですから、問題を起こすことが経済成長の原動力なのです。
顧客の創造や市場の開発が経済成長の原動力。
私にはとんでもない馬鹿げた発想ですが。

組織にとって、望ましいのは生命のない労働力かもしれません。
シリア政府軍のアサド大統領にとっては、前線の兵士はロボットに変えたいところでしょう。
人は目覚めたり、生命の危険の前に行動を躊躇しますが、ロボットは組織を裏切りません。

もしこれからも、自らが人であり続けたいのであれば、組織と人の戦いに対して、どこに視点を置くかは明確です。
そういうことを、シリアの内戦は明確に示唆しています。
その構図は、最近の日本のさまざまな問題すべてに言えることです。
多くの日本人は、いまや意思のないロボットの生活を志向していますが、シリアと日本とどこが違うのかをよく考えてみる必要があります。

先日、フェイスブックに、「シリアと日本とどちらが人間的な社会なのか。私たちは生き方を間違っているのではないかと、最近時々思います」と書いたら、思いのほか、反応がありました。
それで少しまたその意味を書いてみました。

シリアの内戦を解決する方法は、戦っている前線の人たちが、人の心を取り戻すことです。
そういえば、国会周辺の抗議活動のなかで、警備に当たる警察官たちと抗議活動に参加している人たちの心の交流も始まっているようです。
本当に対峙すべきものに気づけば、社会は変わりだすでしょう。

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2012/08/24

■節子への挽歌1818:自らをさらけ出せる相手

節子
節子がいなくなってから付き合いが始まった一人に、元任侠の人だったKさんがいます。
元任侠というと語弊がありますが、今もなお彼は心情的には任侠に生きています。
もちろんいわゆる組織からは離れています。
わが家にも2度ほど来たことがあり、娘たちもよく知っています。
そのドラマティックな人生はテレビでも何度か放映されました。
いまは福祉関係の仕事をしていますが、最近連絡がありませんでした。

そのKさんから夕方電話がありました。
新橋に飲みに行こうというのです。
あいにく今日は夕方から湯島で集まりが予定されていますので誘いは受けられなかったのですが、なんでまた私を誘うのかと訊いてみました。
最近ちょっと信条に反することをしてしまったので、それをさらけ出せる相手と飲みたかったというのです。
それで電話で長々と話しました。

その信条に反することというのは、極めて個人的なことでした。
彼が気にするほどのことではなく、私から見れば彼の信条から大きく逸脱しているわけでもありません。
しかし彼としてはどうもすっきりしないようです。
Kさんはともかくまじめすぎて、自分に厳しすぎるのです。
まあその件は、ほどほどの解決をしたのですが、Kさんと話しながら気づいたことがあります。
自分をさらけ出すことのできる人がいるかどうかは、極めて大事なことだということです。
私は、かなり自分のことを公開していますし、弱みや悩みも含めて隠し事はしないように心がけています。
しかし、そうはいっても私のすべてをさらけ出しているわけではありません。
娘に言わせると、この挽歌もかなり「都合よく化粧されている」そうです。
それには必ずしも納得できませんが、嘘はないとしても、あえて書かないことはたしかにあります。
書かないというよりも、書けないといったほうが適切かもしれません。
それに、思ったことをそのまま書けば、誤解されたりすることもあります。

自分をすべてさらけ出すということはかなり勇気が必要です。
相手に対する絶対的な信頼関係がないとできません。
信頼関係だけでもありません。
私の場合、娘たちにもすべてはさらけ出せないかもしれません。
しかし、実に不思議なのですが、いま思うと節子にはすべてをさらけ出していました。
Kさんと話していて、それに気づきました。
私が思い切り自らを生きてこられたのは、節子がいればこそだったのかもしれません。
そして、私が自らをかなりさらけ出す生き方ができるようになったのも、節子のおかげかもしれません。
節子は、地の私をすべて無条件で受け容れてくれていました。
それが私には大きな支えになっていました。

自らをさらけ出すのは、もしかしたら血のつながりがない相手のほうがいいかもしれません。
親子や兄弟姉妹は、それなりに甘えや張り合う意識があって、ややこしいからです。
そう考えていくと、自らをさらけ出せる相手を得ることの大切さがわかります。

節子がいなくなったために、もしかしたら、私の中にもさらけ出していないものが鬱積しているのかもしれません。
最近どうもあんまり調子がよくないのはそのせいかもしれません。
任侠の人との電話は、話していることとは違った、いろんなことを気づかせてくれました。
さてさてどうするか。

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■「つながり」とはなにか

福島県で有機農業に取り組んでいた人から先月、お聞きしたことですが、原発事故による放射線汚染で、それまで一番つながりの深かった人たちが最初に離れていったそうです。
それがとてもさびしかったと、その人は話してくれました。

有機農業による農産物を購入している人はなによりも「食の安全性」を重視していますから、放射線汚染の恐れのある食材はとても購入はできないでしょう。
ですから、たとえ有機農業によるものであっても、福島の野菜は買わなくなるのはわからなくはありません。
しかし、どこかにおかしさがあります。
たぶんそれは、このつながりが生産者と消費者の関係だけのつながりだったからでしょう。
私食べる人、あなたつくる人というわけです。
そこには、お互いの生活を分かち合うという視点がありません。
それはまさに「近代的なつながり」です。

私は、こうした「つながり」に根本的に疑問を感じています。
最近、絆とかつながりとか支え合いという言葉が流行していますが、そうした言葉が意味する関係性の持ち方がとても気になります。
肝心な時に切れてしまう「つながり」や、良いとこどりの絆は、ビジネス契約とそう違いません。
放射線汚染に見舞われた有機農業に取り組む人たちの生活を支え、一緒になってその再建に取り組むような関係性こそが、いま求められているように思います。
たとえば、福島の農家の方々が放射線汚染に襲われたのであれば、逆に安全な食材を送ってやるような関係です。
それが「支え合う」と言うことです。
支え合う関係は、問題を共有するということでしょう。

地域が支える農業(CSA:Community Supported Agriculture)という活動があります。
昔、北海道恵庭市の農政課長(当時)だった中島興世さんの教えてもらいました。
そこでは農業者と地域住民が一緒になって農業を守ろうとする思想がありました。
農業が不作であれば、消費者もまたその被害を分かち合うわけです。
福島の有機農業をやっている方の話を聞いて、そのことを思い出しました。

農業は自然とのつながりのなかで、自然と分かち合いながらの生業でした。
そこに、最近の流行語とは違う「つながりの精神」があるように思います。

そんなことを思いながら、農業と福祉を重ねて考えるネットワークを立ちあげることにしました。
今日は、その準備会を開催します、
ネットワーク構想がまとまったらまた案内させてもらいます。
どんな活動になっていくか、楽しみです。

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2012/08/23

■節子への挽歌1817:うだるような暑い日

節子
今日は在宅でした。
溜まってきているデスクワークを自宅で片付けようと思っていたのですが、まさにうだるような暑さでした。
わが家にはめずらしく、クーラーを入れましたが、暑さのせいか、思考力が落ちている感じで、仕事どころではありませんでした。
結局、だらだらと怠惰に過ごしてしまいました。
いまようやく涼しくなってきたので、パソコン(ここにはクーラーはありません)に向かったのですが、今日1日、何をしたのか思い出せません。
それほど怠惰に過ごしたわけです。

それにしても今年は暑い日が続きます。
暑いと本も読む気になりませんし、何かを考える気にもなりません。
テレビさえ見る気にもならない。
こういう日は、やはりどこかに出かけるのがいいですが、節子がいなくなってからは、そういうことはなくなりました。
逃げ場は「怠惰」しかないのです。

しかし、何もしなくとも、時間は経つものです。
そして暑さも山をこえ、涼しさが戻ってきます。
窓から入ってくる風が、とても快いのです。
その快さから、ようやく動き出したくなりました。
しかし、どうも頭を使う仕事はまだ無理そうです。
少し早い時間ですが、最近、毎日のようにやっている畑仕事に行くことにしました。
といっても、雑草を抜く作業です。
2週間続けて、ようやく畑を覆っていた笹を刈り取りました。
これからいよいよ鍬で土を耕しだします。

最近、こうして何も考えずに、草刈りをし、土を耕す仕事が気にいっています。
隣に節子がいないのがとても残念ですが、節子がいた頃に、この心境になっていたら、私の人生はもう少し平安なものになっていたような気がします。

さてそろそろ出かけましょう。
水筒を持って、長靴をはいて、鍬をかついで。

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■話を聴くことから生まれる責任

昨日、野田首相と官邸前で抗議活動を続けている市民団体代表との話し合いがもたれた。と私は思っていましたが、今朝の新聞によれば、どうもそうではなくて、「面会」だったようです。
藤村官房長官は、今後も会う計画はあるのかと聞かれて、無いと答え、「面会」で首相は政府の考えをきちんと説明したというような答をしています。
どうも、面会の目的は説明だったわけです。
相手の考えを聞き、話し合うつもりはなかったわけです。
まさに「お上」の姿勢です。
それが明らかになっただけでも、昨日の「面会」は意味があったでしょう。
野田首相は、アサド大統領と同じく、話し合いということができない人なのでしょう。
「馬の耳に念仏」ほどの効果もなさそうです。

しかし、たとえ「面会」であろうと相手に話をさせた以上、そこから生まれる責任というものがあります。
ただ「聞きおく」だけでは、人の道に反します。
聞いた以上はそれなりの責任が発生します。
前に書いたように、「知る」ことは世界を変えることなのです。
しかも直接聞いた以上、無視はできません。
無視することは、最近、話題の「いじめ問題」の出発点でもあります。
無視されないように、子どもたちは、「いじめの世界」に引き込まれていくのです。
一国の首相が、無視を頻発することは社会を壊していきます。
その自覚があればいいのですが。

面会に出席した市民団体代表の人たちはどう思ったのでしょうか。
国会周辺での抗議活動は続けると話していましたが、それは当然として、そろそろ次のステップに進む時期だろうと思います。
シリアとは違った進め方があるはずです。
しかし、シリアと日本と、どちらが人間的な社会か、最近、わからなくなることがあります。
今の日本は、まさに「ゆでがえる国家」のような気がしてなりません。

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2012/08/22

■節子への挽歌1816:「美香と一緒に帰ります」

節子
また紛争地域で取材中だったジャーナリストが殺害されました。
そのことに関しては、今日の時評編で話題にしました。銃弾に倒れたのはフリージャーナリストの山本美香さんです。

山本さんは、ジャパンプレス代表の佐藤和孝さんと一緒に、内戦状態のシリアを取材していました。
その最後の映像が今日、テレビで放映されました。
通りを歩く子ども連れの家族の風景が、「かわいい」という山本さんの声と一緒に映し出されていました。
近くの銃撃の音に、アパートのベランダに立つ女性や子どもの姿もありました。
そして、「人に向かってやみくもに撃っている」「あれほどの空爆が続いているのに、人が生活しています」といった山本さんの肉声も残されていました。
その直後、4発の銃声と共に、画面が乱れて終わりました。
山本さんが倒れた瞬間だったかもしれません。

取材に同行して、すぐ近くにいた佐藤和孝さんは、銃撃を受け咄嗟に身をかわしましたが、数メートル前にいた山本さんを見失いました。
そして病院に収容されて、すでに息を引き取っていた彼女に会うことになってしまったのです。

佐藤和孝さんは、今日、テレビでその時の様子などのインタビューに答えていました。
インタビュアーが最後に質問しました。
これからも取材を続けるのですか。と。
佐藤和孝さんは、すぐ答えました。
これまでも一緒に取材に来て、一緒に帰っていました。
今回も美香と一緒に帰ります。
涙が止まりませんでした。私の涙ですが。

佐藤和孝さんのインタビューは昨日から何回か聞きました。
山本美香さんは、佐藤和孝さんの伴侶だったように思います。
信頼し、愛し合っているパートナーという意味です。
実際に、佐藤和孝さんはある質問に答えて、山本美香さんを「最愛の人」と呼んでいました。
2人がどういう関係にあったのかどうか、私は知る由もありませんが、かけがえのないパートナーだったのです。

先の質問に対して、佐藤和孝さんはジャーナリストとして、「山本さんの意志を継いで真実を伝えるために取材を続ける」と答えるかもしれないと、私はその時、思いました。
しかし、彼はそんなことなど微塵も思いつかなかったのでしょう。
彼の誠実さが伝わってきました。
なぜか、山本美香さんは幸せだったのだろうなと思いました。

山本美香さんのご冥福を祈るとともに、佐藤和孝さんの平安を祈ります。

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■ジャーナリスト山本美香さんの死

内戦が続くシリアで、取材中の日本人女性ジャーナリスト山本美香さんが戦闘に巻き込まれて死亡しました。
衝撃的なニュースです。
私たちは、こうした人たちのおかげで、安全な日本に居ながらにして、世界で何が起こっているのかを知ることができるのですが、紛争地では毎日、生命を賭けて仕事をしている人がいることを忘れがちです。

山本さんは、単に取材していただけではなく、日本の若者たちにメッセージを出し続けていたといいます。
朝日新聞に、山本さんの次の発言が紹介されていました。

紛争の現場で何が起きているかを伝えることで、世界が少しでもよくなればいい。
報道することで社会を変える事ができる。
私はそう信じています。
すべては「知る」ことから始まります。
知らなければ、考えることも行動することもできません。
しかし、現場で起こっていることを正確に伝えることは難しい。
大変なエネルギーが必要であり、危険もまた大きいからです。
こうした事件が起きるとよく話題になりますが、山本さんもまたフリーのジャーナリストでした。
自らの責任で、リスクを背負って紛争地で取材してくるわけです。
フリーの身軽さはあるでしょうが、安全対策に関しては必ずしも十全ではなかったでしょう。
今回の事件は、予想外のものであり、避けようがなかったと言われていますが、フリージャーナリストは身の危険を一身に背負って真実を伝えようとしているのです。
それに対して、その情報を受ける私たちはどうでしょうか。
果たしてそうした情報に対してきちんとした接し方をしてきているでしょうか。
いかにも安全な環境の中で、オリンピック騒ぎにうつつを抜かしていていいのか。
私も、その例外ではありません。
シリアのパルミラ遺跡を見に行きたいので早く内戦が終わってほしいなどと思っていたりしているのです。
恥ずかしい限りです。

そういえば、今回のオリンピックの開会式にも登場したバレンボイムも、「互いを知らなければ、何も始まらない」と言っていました。
お互いを知ることで、世界は良くなっていくだろうという山本さんの信念に改めて自らの生き方を問い質したいと思います。

報道は、現場で起こっていることを知らせるためにあります。
大切なことは、知らせるべき情報や事実の選び方です。
「報道することで社会を変える事ができる」という使命感を、報道関係者がもっと強く持ってくれれば、選ぶ対象も変わっていくでしょう。
その気の無い報道関係者に、山本さんのメッセージが届くことを願います。
そして、私ももう少しまじめに世界の紛争地の情報に接していきたいと思います。
山本さんが言っているように、世界で起こっていることはすべて、私の生き方につながっているのですから。

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2012/08/21

■節子への挽歌1815:トンボ

節子
玄関でかげろうのような大きなトンボを見ました。
それで、トンボの話を書きます。

昨日、オフィスからの帰り道で、近くのローソンのオーナーに話しかけられました。
これは昨日の挽歌でも書きました。
彼女は袋を持っていましたが、それを私に見せながら、お店にトンボが入ってきたので、捕まえてこれから逃がしに行くのと言いました。
虫かごで飼ってもいいけれど、それだとすぐに死んじゃうので、緑のあるところに放してやらないとね、というわけです。
顔見知りとはいえ、急にこう話しかけられると戸惑いますよね。

で、トンボの話です。
私は子どもの頃から、トンボは不思議な生き物だと思っていました。
大きな目玉以外はぐしゃぐしゃで、現実感がないのです。
オニヤンマやギンヤンマを捕まえた時には、カブトムシよりもうれしかったです。
それにトンボの顔は見ていて飽きません。
どうみてもこの世の生き物には見えません。
トンボの英語名は dragon-fly です。
オニヤンマには、まさにドラゴンを感じます。

トンボは、死者の魂を象徴しているとも言われます。
死者の魂は、トンボになって飛んでいる。
秋に赤とんぼが群を成して乱舞しているのをみると、そう感ずることがあります。
海外では、不死や再生も象徴しているようです。
セミもそうですが、トンボもまた、彼岸と此岸を往来しているというイメージがあります。
そういえば、地球の生物の先祖は宇宙を越えて飛んできたトンボだという説もありました。
ともかくトンボは、現世を超えた生き物なのです。

最近、気のせいか、トンボが少ないです。
赤とんぼの季節はもう少し先ですが、年々、わが家の周りを飛ぶトンボは少なくなっています。
オニヤンマには最近、久しく出会っていません

ところで、今日、玄関で見たトンボは何だったのでしょうか。
かげろうのような、大きな黒いトンボだったような気がします。
その時にはあまり意識せずに、何となく視野を横切っていくのを感じただけで、きちんとは見ていませんでした。
あれは本当にトンボだったのだろうか。
夜になって、気になりだしました。
昨日のトンボも、今日のトンボも、彼岸から飛んできたのかもしれません。

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■「終戦 なぜ早く決められなかったのか」感想

先週の終戦記念日に、NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」が放映されました。
友人がフェイスブックで、ぜひ見るようにと勧めてくれました。
その日は見られませんでしたので、昨夜、再放映されたものを録画してみました。
その題名から、実はあまり期待していませんでしたが、勧めてくれた友人には大変心苦しいのですが、あまり面白くありませんでした。
問題提起があまりに陳腐ですし、ソ連参戦の情報を軍部は予め入手していた証拠が、さも新しい発見であるように大仰に描かれていました。
なによりも、タイトルへの答があまりにも陳腐でした。
情報が共有されていなかったとか、統治機構に問題があったとかいうことでは、これまでの指摘と同じです。
もう一歩突っ込めば、現在の原発事故対応への問題提起になったはずですが。

しかし、とても共感できる言葉が紹介されていました。
昭和20年の春から、終戦締結工作に取り組んでいた髙木惣吉海軍少将が戦後書き残した文章です。
一部を書きとめました。

太平洋戦争を熟視し感ぜられたことは、戦争指導の最高責任の将に当たる人たちの無為、無策であり、意思の薄弱であり、感覚の愚鈍さの驚くべきものであったことです。
反省を回避し過去を忘却するならば、いつまで経っても同じ過誤を繰り返す危険がある。
勇敢に真実を省み批判する事が新しい時代の建設に役立つものと考えられるのであります。

この言葉は登場者すべての人にとっては、聞き流されているような気がしました。
もしかしたら、この番組を創った人たちもまた、観察者ではあっても自分の問題としては捉えていないのではないかと感じました。
しかし、意思と感覚を持った人が、あの時代にはまだいたわけです。
いまの時代はどうでしょうか。

これも有名な話ですが、アメリカは真珠湾奇襲攻撃を事前に知っていました。
それと同じで、ソ連参戦も広島への原爆投下も、日本は事前に知っていたのです。
最高責任者に届いていなかったという論がありますが、それは最高責任者を免責しません。ただ知ろうとしなかっただけの話であり、知らないことのほうこそ責任は大きいのです。
そのことは、企業不祥事でよく話題になりますが、それと同じ話です。
知って行動しないよりも、知らないことのほうが重大です。
前者は個別問題の話ですが、後者は全体の問題だからです。

終戦はなぜ早く決められなかったのか。
その答は簡単です。
みんな本気で早く戦争を終わらせようとは思っていなかったからです。
それは現在の脱原発と同じです。
この番組では、そうしたメッセージが出せたのに出さなかったことの意味はとても象徴的です。

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2012/08/20

■節子への挽歌1814:節子のいたずらでしょうか

オフィスのあるビルのオーナーの綱島さんに久しぶりに会いました。
7年ぶりくらいでしょうか。
といっても、特に綱島さんと親しかったわけではありません。
窓口は別の人でしたし、ゆっくりお話したのは7年ほど前の一度だけです。
節子が病気になった、私が代わりに綱島さんに会いに行った時です。
綱島さんも私を覚えていました。
人の付き合いは決して、会う頻度ではないのです。

綱島さんが、佐藤さんはどうしているか心配してましたと言ってくれました。
そして、何人かの人から佐藤さんと連絡がつかないのだが、と訊かれたことがあったとも教えてくれました。
たしかに一時期、お金がなくなったのとオフィスに出てこなくなったので、電話も解約していました。
オフィスに訪ねてきても、鍵はかかっていましたし、電話は不通になっていましたから、夜逃げか蒸発かと思った人がいてもおかしくはありません。

綱島さんの父上は書家でした。
毎年、お正月にはその大きな書が本社ビルの入り口に掲げられていました。
毎年、節子とそれを見ては感心していました。
その父上も昨年、亡くなれたそうです。

今日はまた帰り道で、近くのローソンのオーナーから声をかけられました。
なぜかこの方は道で私に会うといつも丁寧に挨拶をしてくれるのです。
最初は不思議だったのですが、たぶん私たちが湯島にオフィスを開いたのと同じ頃にローソンを開店したのでしょう。
そしてその頃、節子はいつもオフィスに来る途中、そこで買い物をしていたので、時々、節子と一緒にいた私のことも覚えてくれていたのだと思います。

そんなわけで、今日はなぜかオフィスの近くのお2人の方に声をかけられました。
いずれもある偶然から会うタイミングになったのです。
もしかしたら、これも節子のいたずらかもしれません。
考えてみると、2人とも実に不思議なタイミングで、普段はいない場所に私を待っているように存在していたのです。
そして声をかけてきたのです。
これはとても偶然とは思えません。
なんだか節子がいた頃に戻ったような、なにやらあったかい空気に触れたような気がします。

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■ボーンレガシー

私のお気に入りの映画は、ボーンシリーズです。
この映画は3部作のシリーズですが、いずれももう10回以上は観ています。
リズムがとてもよく、何回観ても面白いのです。
もっとも最近は、全編通しでというよりも、DVDで気にいったシーンだけを早送りして観るというスタイルが増えていますが。

3作品のラストシーンは、明らかに続編を意識したものでした。
今年初めに、シリーズ4作目ができると知って心待ちしていました。
来月、第4作目の「ボーン・レガシー」が公開されます。
ところが、実に残念なことに、監督が変わり、それによって主役も変わってしまいました。
そうなるとシリーズ作品とはいえ、全くの別作品です。
期待が吹き飛んでしまいました。

ボーンシリーズは、CIAの特殊プロジェクトによって、記憶と感情を消された暗殺者に育てられたジェイソン・ボーンが、記憶と感情を取り戻していく話です。
その過程で、CIAとの闘いが繰り広げられるわけです。
そしてボーンと同じようにして育てられた暗殺者との死闘も繰り返されます。

なぜ私がこの作品が好きかといえば、そのリズム感です。
CGが使われていないのも好きな理由のひとつです。
最近のCGは目を見張る素晴らしさはありますが、現実のテーストを感じられません。
それにこの作品は、ディテールを巧みにモンタージュしています。
だから好きなのです。
筋書きは、よくある話です。
類似のストーリーの映画はたくさんあります。

ところで最近、私がこの映画に魅かれる理由に気づきました。
この映画は、まさに現在の社会を象徴しているからです。
記憶と感情を消し去ることで、国民を思考しない家畜に飼育する国家。
そうした状況に満足して、与えられた役割を果たすことで生きていると勘違いしている人々。
それに気づいて、記憶と感情を取り戻そうとすると社会から排除され、死の危険にさらされる社会の状況。
そう考えると、なにやら実に身近に感ずるのです。
この構図は私の周辺にたくさんありそうです。

私も今は社会から脱落していますが、20年前くらいまでは、それなりにさまざまな権威とも接点がありました。
そうしたものに触れてしまうと、正常な感覚を維持するためには離脱するしかないと思います。
そのまま階段を登っていくと、もう抜けられなくなるでしょう。
最近、あるところまで登ってから階段から外れる人が増えました。
しかし、そうした人の発言を聞いていると、何をいまさら、とどうしても思ってしまいます。
私のやっかみもあるかもしれませんが、基本的にはまだ階段の上にいる感じです。
ジェイソン・ボーンのような、痛みを伴う記憶と感情の回復には遠い存在です。
信ずるわけにはいきません。

それにしても「ボーン・レガシー」とは思わせぶりなタイトルです。
ボーン・レガシーの主役は、ボーンではなく、ケネス・キットソンという新たな暗殺者が主役です。
そして、いわば前3作品のストーリーの裏側で、並行して進んでいた物語を扱うようです。
ですから、もしかしたら第5作で、ケネスとボーンが出会うことになるかもしれません。
やはりこれは観に行くべきかもしれません。

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2012/08/19

■節子への挽歌1813:手賀沼トライアスロンと伊藤先生のこと

節子
今日は6時前に起こされました。
外で何か大きな声が聞こえるのです。
起きて窓を開けてみてわかったのですが、今日は手賀沼のトライアスロン大会だったのです。
会場がわが家から近いので、そこでのマイクの音が風に乗って聞えてきていたのです。
それにしても朝早くからです。
8時スターと言うので、屋上から見ていましたが、遠く過ぎたのかうまく見えませんでした。

手賀沼でトライアスロンが始まったのは2006年。節子の再発の年です。
応援に行った翌月に節子は再発したのです。
応援に行った大会には、節子の主治医だった伊藤医師が参加され、私は節子と一緒に会場に応援に行きました。
その翌年、節子は逝ってしまいました。
以来、トライアスロンには行ったことがありません。
伊藤さんは参加されていたでしょうか。
屋上から会場のほうを見ながら、ユカと伊藤さんのことを話しました。
ユカから教えてもらったのですが、伊藤さんはユカと同じ歳だそうです。
私は、人の年齢を全く読み取れないばかりか、ほとんど意識もできないタイプなのですが、今日、ユカから聞いて、改めて伊藤さんのことを思い出しました。

節子を見送って数年後に、伊藤さんからメールが来ました。
しかしその時にはまだお会いする勇気がありませんでした。
いまならどうでしょうか。
自問しましたが、まだその勇気が出てきません。
節子だったらどうでしょうか。
たぶん会えているでしょう。
節子は、私よりもずっと強い人だったなと思います。

その節子がなぜ私よりも早く逝ってしまったのか。
その辛さの中で生きつづけるのは、トライアスロンに負けないほど過酷なレースです。

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■節子への挽歌1812:花も暑そうです

節子
暑さ続きで、節子に供えている花がすぐに枯れてしまいます。
冷房をかけていればもう少し長持ちするのでしょうが、わが家は滅多に冷房をかけません。
これは、節子の文化でもあったので仕方ありません。

お盆に献花してもらった花も、今はもう枯れてしまい、今日はわずかにユリを中心とした花びんがひとつだけです。
いつもはもう少し花が賑わっていたような気もしますが、今年は例年よりもかなり暑そうです。

庭の花も今年はいつもより元気がないような気がします。
節子がいた頃には賑やかだったユリは、モグラに球根を食べられて、ほぼ全滅です。
今朝、白ユリが咲いていましたが、1本だけではちょっとさびしいです。
マンジュシャゲももう満開のはずですが、咲き出していません。
バラは、私が水やりをさぼったためにかなり枯らしてしまいました。
節子がいたら、わが家の庭はもっと華やかなのかもしれませんが、今年の夏の暑さは草花にもかなり影響を与えているように思います。

どんなに暑い日も、節子は夕方になると帽子をかぶって庭の草花の手入れをしていました。
その姿は今もはっきりと思い出されます。
あんまり無理をしないでお茶でも飲まないか、と声をかけたことがとても懐かしいです。
いまは声をかける人もいなければ、声をかけてくれる人もいません。
仕方がないので、先ほど、珈琲を淹れてきました。
朝から3倍目の珈琲です。
一人で飲む珈琲もいいですが、毎日一人だと少しさびしいです。

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■原発事故で経済成長が高まる理由

昨日の朝日新聞の「記者有論」で松浦記者が、「内部被曝 自家栽培できる検査態勢を」と書いていました。
そこにこんな文章が書かれていました。

「事故前は1年中、ほとんど野菜を買う必要がなかった」と言う南相馬市の主婦(60)は「畑をやめて、野菜や果物を買っている。月に2万~3万円は負担が増えた」と話す。
私のホームページ(CWSコモンズ)やこのブログでずっと書き続けていることですが、経済成長と生活の豊かさは決して比例関係にはありません。
成長がなければ大変だと多くの人は思っていますが、とんでもない間違いです。
以前、雇用が大切だという話が世間を覆ったこともあります。
その時にも、私は大切なのは雇用ではなく仕事だと書きましたが、それに対してはコメントでも個別のメールでも手ひどく批判され、それこそ「死ね!」とさえ言われました。
そういう手先を生み出している胴元にとっては(そしてそれに雇われている従僕たちにとっても)、経済成長がなければ困りますが、まじめに生活している人にとっては、経済成長など不要な話です。
そのことを、この松浦記者の文章は示してくれています。

松浦記者の文章をもう少し引用しましょう。

南相馬市で学習塾を経営する番場さち子さん(51)は「事故前は食べる野菜の半分くらいは親戚や友達からもらっていた」と話す。南相馬市の仮設住宅で中学1年の次男と暮らす星野良美さん(48)も「事故前、食べる野菜類の6割は近所の人たちが作ったものを分けてもらいました。春には山菜、秋には山のきのこももらっていました」。
福島原発事故以来、そうしたことができなくなり、みんな野菜を買わなければいけなくなったのです。
そしてその分、「経済成長」は高まるわけです。
お金を介さずに野菜をやりとりしていたら、経済成長率にはまったく反映はされません。
シャドーワークという言葉もありますが、お金のやりとりがなければ「仕事」とは言わないといつの頃から「有識者」やジェンダー論者が言い出したのです。
男女共同参画社会などというバカなスローガンで活動している女性たちの罪は大きいと私には思っています。
いまさら原発反対などと言う資格など彼女たちにはないとさえ、私は思います。
あなたたちが子どもを裏切ってきたのだろうと強い怒りを感じます。
中途半端な「有識者」が、この社会を壊してきたし、壊しているのです。
それは、おそらく先日のブログで書いたように、「いじめ問題」にもいえます。いじめ問題を存続させているのは、そうした「識者」だと思います。
「識者」の会話の主語は、いつも「知識」で会って「自分」ではないのです。
そうした構図が相変わらずはびこっています。

松浦記者のコラムに書かれている、引用文の意味を私たちはしっかりと考えるべきです。
そして、東北復興のビジョンを構想すべきです。
「識者」や「専門家」たちの経済復興の話に惑わされなければいいのですが。
いま大切なのは、決して「経済成長」や「雇用の場」ではなく、安心して暮らせる生活の仕組みなのです。

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2012/08/17

■個人の思いと閣僚の意見

今朝の朝日新聞にこんな記事が出ていました。

古川元久国家戦略相は16日、原発事故の影響で福島県内で避難生活を続ける住民との意見交換会に出席した後、記者団に対し、「個人の思いとしては、原発のない社会をめざしたい」と述べ、脱原発の立場を鮮明にした。
いうまでもありませんが、古川さんは国家戦略相として大飯原発再稼動を決定した中心者の一人です。
また、「エネルギー・環境会議」の議長でもあります。
その古川さんが、政府閣僚としては初めて「脱原発」を口にしたことを評価する人もいますが、私にはとんでもない二枚舌だと思います。
こういう人間が、私は一番嫌いです。

新聞によれば、非公開の会合の中で、古川さんは、福島第1原発5、6号機と、第2原発1~4号機の再稼働について「事故が起きたこの地であり得ない」と述べたとも書かれています。
この記事が本当だとすれば、呆れた話です。
非公開の場で話すのと公開の場で話すのと閣議で話すのと、使い分けているのも嫌な気がしますが、それ以上に「事故が起きたこの地であり得ない」という発言です。
大きな事故が起きたことのない大飯では「あり得る」と言うわけです。
そして実際に彼は、それを認めたのですが、いかにも迎合的です。
二枚舌族の典型的な発言スタイルです。
彼が原発のない社会を目指していないことは明白です。
しかし、私たちは、時にこうした小賢しい発言に騙されてしまいます。

それにしても、「個人の思いとして」という言い方は、いかにも卑劣です。
責任逃れとしかいえません。
靖国参拝でもよく使われる詐称行為ですが、個人でなければなんなのか。
要するに古川さんは自らの信念では生きていないのです。
長いものに巻かれて生きているのでしょう。
不思議なのは、有力な立場にある発言力の大きい政治家ほど、自らの信念で行動しなくなると言うことです。
普通に考えれば、逆のはずです。
有力な立場に立った人ほど、自らの信念で行動できるはずです。
しかし、どうもそうではない。

これは政治の世界だけではありません。
経済の世界でも、そうしたことが見られます。
要するに、組織の階段を登るに連れて、自らの信念を捨てていくという、奇妙な現実があるのです。
言い換えれば、いわゆるピラミッドクライマーは、信念のない人といえるかもしれません。
そこにこそ、組織の恐ろしさがあります。

私が組織を最大の危険物と考えるのは、そのためです。
しかし、そうではない組織原理もあるはずです。
そう思ってこの20年活動していますが、なかなか地平が開けてきません。
今日もちょっとそんな関係で、苦労してきました。
組織を使いこなすのは、実に大変なことなのです。
そのため、ほとんどの人は組織に使われることを好みます。
たとえ、過労死やメンタルダウンしても、です。
それでは、生きているとは言えないのですが。

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■節子への挽歌1811:美野里町の思い出

節子
今日は茨城県の美野里町(現在は小美玉市)に行ってきました。
住民たちの本づくりの活動のアドバイザー役です。

10年ほど前まで、私は住民主役のまちづくり活動に関心を持っていました。
そのひとつが美野里町でした。
文化センターをつくるというプロジェクトに関わったのです。
それが縁で、美野里町には10年近く関わらせてもらいました。
文化センターのオープン時のこけら落としには、節子と一緒に招待されました。

美野里町には花木センターというのがあります。
節子と大洗に行った帰りに寄りました。
節子好みの花がたくさん販売されていました。
たしかあの時はシャクヤクを買ったように思います。
そのシャクヤクは今も元気かどうか心配ですが、少なくとも数年は見事な花を咲かせていました。
節子は、その花木センターがお気に入りでしたが、残念ながら病気のために、その時が最初にして最後になってしまいました。

節子の葬儀の時には、美野里町からもわざわざ多くの人が来てくれました。
その一人が、その文化センターの山口館長です。
山口さんは、もともとは花づくりが本業とお聞きしていますが、住民主役の文化センターのために館長として巻き込まれてしまったのです。
昨年、山口さんが湯島にやってきました。
そして、この文化センターの活動を本にするプロジェクトのアドバイザー役を頼まれたのです。
断るわけにはいきません。

今日、山口さんにわが家の家庭農園を花畑にするためのアドバイスをもらいました。
妻が花が好きだったのでと言うと、奥さんの葬儀にも花がたくさんありましたね、と言われました。
それで、山口さんがわざわざ葬儀に来てくださったのを、改めて思い出したのです。
当時は、実は誰が来たかどうか、あまり覚えていないのです。
節子の友人を中心にしていたので、私の友人知人関係にはあまり伝えなかったのですが、どうして美野里町まで伝わったのでしょうか。
あの頃は私もまだ、きちんと社会につながっていたのでしょうか。

私が美野里町に通いだしたのは、「美しい野の里」という当時の町名に惹かれたからです。
その感覚は、節子の感覚です。
いつか節子とゆっくり来たいとも考えていました。
美しい田園風景も魅力的でした。
しかし、節子とゆっくりと訪れる機会はありませんでした。
節子が元気だったら、こことはもっと違う形での付き合い方があったかもしれません。
そう思う場所が、美野里町のほかにもいくつかあります。
それができなくなってしまったことが、とても残念です。

今日は住民のお一人から、手造りの味噌をどっさりもらいました。
前回は野菜、今回はお味噌。
仕事の報酬は、こういう誠意に満ちたものが最高です。

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2012/08/16

■節子への挽歌1810:送り火

節子
彼岸からの実家帰りも今日で終わりです。
ゆっくり休めたでしょうか。
私はゆっくりしたかったのですが、何かと用事が多く、その上、予定外の急用で2度も湯島に引っ張り出されました。
しかしそれでも、一応は「私たち的な4日間」だったと思います。
なにが「私たち的」かは説明できませんが、気分的にはそう思います。

今日も、午前中、緊急の相談が発生して湯島に行きましたが、お昼は娘たちと食事をする予定だったので急いで戻りました。
節子がいたら、手づくりでジュン夫妻に家庭料理をご馳走するでしょうが、いつも世話になっているユカへのねぎらいも兼ねて、今日は鰻屋さんに行きました。
初めてのお店でしたが、評判に違わず美味しかったです。
節子は匂いだけだったと思いますが、いかがでしたか。

夕方、みんなでお墓に行って、送り火をしました。
お墓はごった返していました。
この風景は、いつみても良い風景です。
わが家では、家の精霊棚の灯明の火を提灯にうつし、それをお墓に持っていき、その火で墓前で送り火を燃やします。
そうやって、節子を送り出すわけです。
ところが、墓前で送り火を焚いているところが見当たりません。
なんだかわが家だけ間違っているような気がしてきました。
それになかなか火が燃えずに、苦労しました。
まあ何をやっても、どこか間が抜けているのがわが家の文化なのです。

節子を送り出した後、ジュン夫妻に手伝ってもらって、畑仕事をしました。
最近はこれをやらないとなんだか落ち着かないのです。

こうして毎年1回の短い夏休みが終わりました。

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2012/08/15

■竹島問題

今日は終戦記念日です。
マスコミはいろいろと特集を組んだりしていますが、もう遠い昔の話になってしまいました。
しかし、過去ではなく未来を見れば、意外とそちらのほうが近いのかもしれないと思うほど、世界は乱れてきています。
統治する仕組みが壊れだしているような気がします。

そうした当地の緩みの中で、領土問題がいろいろとにぎやかになってきています。
土地を私的所有するという発想になじめない私としては、領土問題もまた、なかなか理解できません。
すべての土地は、地球からの借り物であり、所有地といえども所有者の勝手にはできないと私は思っています。

それはそれとして、竹島に関しては韓国大統領の言動が世間を騒がせています。
日本の所有権はサンフランシスコ講和条約でも確認されているようですが、1951年以降、韓国が軍事的に占有しているのも事実です。
半世紀以上にわたり、韓国の占有が続いていることを私は知りませんでした。

それにしてもなんで誰も住んでいない島を巡って、みんなこれほど騒ぐのでしょうか。
これはたぶん「国家」という制度のせいでしょうが、政府が騒ぐのはともかく、底にいったこともない人がどうして関心を持てるのかが私は理解できません。
韓国では、以前、そんなに問題になるのなら島を爆破してしまえという主張もあったようですが、なかなかいい案です。
そんな騒ぎで人身が怪我をしてはつまりません。

オリンピックで竹島は韓国のものだというメッセージをした選手が問題になっていますが、国家という制度はまことに恐ろしい魔力を持っています。
そろそろ「近代国家」の呪縛から自らを解き放さなければいけません。

反応が恐ろしいですが、終戦記念日に、私が思ったことのひとつです。

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■節子への挽歌1809:親孝行

節子
この数日、挽歌を書きまくってきました。
ようやく追いつきました。
今日は節子が旅立ってから、1809日目です。
奇しくも終戦記念日。

私は第二次世界大戦が始まる年(1941年)に生まれ、節子は終わる年(1945年)に生まれました。
節子と一緒に暮らしだしてからずっとそのことに何か意味があるような気がしていました。
これに関しては、節子と話したことはありませんが、もちろん節子も知っていました。

朝、少し涼しかったので、畑作業をしました。
私たちの両親の共通点は、働き者だったことです。
それぞれの子ども(私と節子)から見ても、4人とも一生懸命に生きていました。
両親が汗をかいている姿を、私も節子も覚えています。
それに比べて、私も節子も汗をかくことが少なかったような気がします。
しかし、こうして畑仕事をするとなんだか両親への孝行をしているような気がしてきます。
あんまり論理的ではないのですが、そう感じます。

畑仕事をしている両親を、私も節子も、子どもながらに覚えています。
いずれの両親も、農家の出身ではないため、農業は不得手でした。
それに、あまり器用なタイプではなく、不器用に生きていました。
それもまた、子どもながらに私たちは感じていました。
戦争が、それぞれの人生を大きく変えてしまったのです。
しかし、そのおかげで私たちは出会えたのです。
戦争前に生まれた私と、終戦前に生まれた節子が。

その両親に、十分な親孝行ができなかったのが、私たちの悔いのひとつです。
しかし、親孝行などというのは所詮、自分の満足感の問題なのかもしれません。
両親は満足していたかもしれません。
それは夫婦の間でも言えることですが。

私の両親は、私の兄のところにいま戻っているはずです。
娘と一緒に、これからお参りに行く予定です。
節子も一緒に行きますか。

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■国家は解散できないものでしょうか

橋下新党の方向性が次第に明らかになってきています。
参加の可能性がある現在の国会議員の名前も出始めました。
どういう人が集まるかで、組織の本質(基本思想)は見えてきます。
これまでの具体的な主張には共感できるところがいくつかありましたが、基本思想が見えてくるに連れて、その古い体質が強くなってきているように思います。
しかし、脱原発を主張している飯田さんもまた戻ったように、さまざまな立場の人たちが「変革」を目指して集まっているのでしょうが。

姿が見えてきた橋下新党は、私の世界とはどうも正反対にあるもののようです。
私でさえそう思うのですから、たぶん失速していくでしょうが、残念なことは、そうしたものも一度はパワーを得てしまうものですから、予断は許せません。

世論調査によると、自民党支持者が増えているようです。
いまのような中途半端な世論調査にどれほどの意味があるかは疑問ですが、少なくとも民主党は瓦解しつつあるというイメージは強まっているのかもしれません。
小沢新党は、その広報戦略において、時代錯誤に陥っているのか、なかなか見えてきません。
見えないものには、国民は反応できません。
せっかくのチャンスを活かせないまま終わる恐れもありそうです。

みんながオリンピックにうつつを抜かしているうちに、消費増税法は成立し、原発再稼動の路線も着々と進められています。
解散も、うやむやになりそうですが、仮にいま、解散して総選挙になったとしても、選ぶべき候補者がいないのが現実かもしれません。
野田政権には早く終わって欲しいですが、では次の選挙でどの党に投票するか。
そして政治状況は変わるのか。

こういう状況の中で、ドイツのナチは力を高めていったのでしょう。
昭和初期に日本もそうだったのかもしれません。
国会の解散ではなく、できることなら一度、国家を解散できるといいのですが。

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2012/08/14

■節子への挽歌1808:美術展に行かなくなりました

節子
東京都美術館が改装されました。
節子とはよく行きましたが、最近は行かなくなりました。
広いので、私には苦手の美術館でした。

節子と最後に行ったのは、今もはっきり覚えていますが、6年前のペルシア文明展でした。
節子は闘病中でしたが、だいぶ元気になっていました。
数年前に2人でイランに旅行し、ペルセポリスにも行っていましたので、歴史に疎い節子にも関心があったのです。
たぶん私が誘ったのだと思います。めずらしいことです。
会場のミュージアムショップで、偶然にも節子の友人たちに出会い、節子は友人たちに合流し、私は一人で湯島の事務所に行ったのを覚えています。
私は絵画展が好きではないので、いつも絵画展は、節子は私ではなく、その友人たちと出かけていたのです。
しかしペルシア文明展ということで、私と2人で行くことになったのでしょう。
それが、私と節子が一緒に行った都美術館の最後でした。
その2か月後に、節子は再発。
医師からは覚悟してくださいと言われました。

その都美術館が改装されて、この4月に再開されました。
今日、娘が毎週見ている「ぶらぶら美術館」を付き合って観ていました。
都美術館ではいま「マウリッツハイス美術館展」をやっているのですが、その紹介でした。
今回の目玉は、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」だそうです。
そういえば、先日、上野を歩いた時に看板が出ていました。
私自身は、フェルメールには関心はないのですが、凄い人気のようで会場も混雑しているようです。
娘は10年ほど前にオランダのマウリッツハイス美術館に行ったそうですが、その時には無造作に飾られている小さな作品といった感じだったそうです。
当時はむしろレンブランドだったのでしょうか。

節子は、レンブランドは好きでしたが、フェルメールはどうでしょうか。
あまり好みではないような気がしますが、「真珠の耳飾りの少女」は気にいるかもしれません。
最近この絵をよく目にするせいでしょうか、私も昔ほど嫌いではなくなりました。
それにこの少女のトルコ風の衣装はいいです。

最近、東京は美術展が盛んです。
私にはほとんど興味はありませんが、節子がいたらさぞ喜ぶことでしょう。
付き合わされていたかもしれません。
節子と結婚した頃は、私のほうが誘い役でしたが、いつから節子が誘い役になったのでしょうか。
その節子がいないので、最近は美術展に行かずにいます。
美術展は疲れるので、それはまあ私には楽なことです。
が、さびしさもないわけではありません。

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■節子への挽歌1807:節子と話せないさびしさ

なんの映画か思い出せないのですが、たしか若者と老人との会話にこんなのがありました。

「死んだら話せなくなるよ」
「でもじきにまた話せるよ」

どういう状況だったか思い出せないのですが、言うまでもなく、若者(子どもだったような気がしますがしますが)の問いかけに対する老人の返事です。

そうか話せなくなったことが節子との関係の変化なのだと、その時、納得しました。
そしてなぜかその会話が心に残ったのです。
死んだら話せなくなる。
それこそが、死別の唯一の意味かもしれません。
小学生みたいなことを言うね、と笑われそうですが、これはかなり深い意味を持っているような気もします。

先日、続けて訃報をもらった2人の友人たちは、この数年、会ったことはもちろん電話をしたこともありません。
しかし、その気になれば、電話をかけて話すことができました。
考えてみれば、日常的には今と同じです。
ですから時に、訃報をもらったことさえ忘れて、いまもなお元気でいると勘違いするようなことも起こるのです。
告別式に参列したにもかかわらず、それを忘れてしまっていたこともあります。
ましてや今回のように、葬儀にでも出ていないとたぶん私の意識の中では大きな変化は起こらないのかもしれません。
訃報を聞いたときにはショックでしたが、日常はなにも変わらない。

しかし、もう電話はできないのです。
お一人とは、会うたびに小気味よいやりとりをしていた人です。
私よりひとつだけ年上でしたが、私を「修ちゃん」と敬意を込めて馬鹿にしていました。
彼がある組織のトップだった時に出会ったのですが、社会から離脱する一方の私を愛してくれていたはずです。
もう一人もある会社の社長でした。
そういう社会の主流を歩いている人たちとは、最初は仕事での出会いとしても、仕事は継続せず、しかし付き合いが続くという関係が多いのです。
私にとっては、社長であろうと理事長であろうと、みんな同じ人間で、社長とか理事長とかいうポジションには全く興味はありませんが、そうしたものから完全に自由になれる人は決して多くはありません。
だから私に興味や好感を持ってくれることもあるわけです。
ちなみに、節子は私のそうした生き方の故に、私を全面的に信頼してくれたのですが、私がそうした生き方に全面的に自らを任せられたのは、間違いなく節子のおかげなのです。

死んでしまったら、いずれからも話が出来なくなることは事実です。
しかし、「でもじきにまた話せるよ」という言葉もまた、また事実だろうと思います。
はやく節子の声を聞きたいものです。
娘の携帯電話やビデオテープに残っている節子の映像や音声を聞くと、あまりにライブなので驚きますが、やはり節子の声は生で聞きたいものです。
馬鹿げた話ですが、時々、火葬にしたのを後悔することがあります。

お盆でわが家に帰ってきているはずなのに、節子の声が聞えずに、さびしいです。

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2012/08/13

■節子への挽歌1806:幸せは2度と戻ってこない

節子
オリンピックが終わりました。
私は、オリンピックにはほとんど関心がありません。
最近のオリンピックは完全なお金まみれのショーになっています。
節子だったら何と言うでしょうか。
私は、この世の末世を感じました。

テレビを見ながら、思い出したことがあります。
20世紀初頭のウォーンで、ヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」が流行ったという話です、
「美しき青きドナウ」に歌詞をつけて、当時のウィーン子は歌ったそうです。

ウィーン子よ 陽気にやろうぜ
まあ見回してごらん
またたく明かりを見てごらん
ほら カーニバルじゃないか
だから時代なんか気にするな

休まずに踊れ
刹那を上手に利用しろ
幸せは2度と戻ってこない
今日手に入ったものならばさっさと使ってしまえ
時の経つのは早いもの
喜びのバラはあせるもの
されば踊れよ さあ踊れ

ウィーンはハプスブルグ家の本拠地です。
しかし、当時はハプスブルグ家の落日といわれるほどの不況でした
社会が大きく変わる中で、ウィーンの人たちはみんな大切なものを失い、希望を見出せずにいたのでしょう。
ただただ踊るしかなかったのです。

歌詞の中に、「幸せは2度と戻ってこない」とあります。
これは、幸せだった人たちの言葉です。
しかし、踊る人の中には、幸せでなかった人もいたでしょう。
そうした人たちは、刹那を上手に利用して幸せをつかめと踊っていたでしょう。
幸せを失う人がいる時には、必ず幸せを得る人がいるものです。
そして、幸せだった人たちも実はもうひとつの幸せを求めて踊っていたのです。
だからこの歌の真意は、そして踊りの動機は、幸せを求めたものだったのだろうと思います。
そもそも「幸せは2度と戻ってこない」という言葉の真意は、もう一度幸せになりたいということでしょう。
私の頭の中では、オリンピックに大騒ぎしている人たちが、ウィーン子に見えて仕方がありません。

本当の幸せは、そんなに簡単なものではありません。
私は、失ってもまた戻ってくるような幸せには興味はありません。
2度とないほどの幸せを持てたことにこそ、幸せを感じたいからです。
それを得るには、しっかりと自分を生きることです。
自分をしっかりと生きていれば、失うことのない幸せは手に入ります。

オリンピック会場の大仰な聖火台よりも、わが家の精霊棚の小さな灯明のほうが、私には輝いて見えています。
節子としっかりと生きてきたことを、その小さな灯明は知っているでしょう。
小さく揺らいでいる灯明を見ていると、その向こうに節子を感じます。
節子がせっかく戻ってきているのに、話し合えないのがいささか残念ですが。

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■節子への挽歌1805:5回目の迎え火

節子
節子が逝ってから5回目のお盆です。
今年のお盆もとても暑いです。
お墓で迎え火をし、節子だけを自宅に連れてきました。
最初の年は、朝早くにお坊さんがお経をあげに来てくださったので、万一と思い、今年も朝早くお墓に行きました。
お墓の掃除をし、般若心経をあげ、迎え火を焚いて節子を呼び出し、その火を灯明につけて自宅に戻りました。
大掃除をして、誰が来ても大丈夫のように準備しました。

墓には、節子のほか、私の父母が入っています。
節子は彼岸でも義父母と同居です。
これは節子が決めたことですが、うまくやっているでしょうか。
そんなわけで、お盆は年に一度の節子の実家帰りなのです。
父母は、兄の家に帰りますので、お盆の間は別々なのです。

節子がわが家に着いた頃から、急に南風が激しくなりました。
まるで台風の時のようです。
とてもいい天気なのに、奇妙に風が強く、庭の道具が飛ばされるほどです。
節子が喜んでいるのでしょうか。
或いは久しぶりに戻ったわが家の庭の花が枯れてしまっているのに怒ったのでしょうか。
そんなふうに、いろんなことを節子につなげて考えるのもまた、愛する者を見送ったものの特権です。

夕方には節子も一緒に、兄の家に戻ってきている父母に挨拶に行きます。
節子はせっかく帰ってきたのに忙しいです。

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■節子への挽歌1804:一足先の節子

魂とはなんだろうか、と思うことがあります。
魂に関する本は何冊か読みましたが、みんなそれぞれに納得できます。
しかし、にもかかわらず、魂とはなんだろうと思うことがあるのです。

前にも書いたことがありますが、夢で節子の存在を感ずることがあります。
姿や形があるわけではなく、目覚めた時になにかとても至福を感ずることがあるのです。
それを節子と決めることはできませんが、間違いなく節子とつながっています。

今朝の明け方、わが家の老犬、チビ太の鳴き声で起こされました。
まあ毎晩のことですが、ほぼ寝たきりになってしまったチビ太は、なにかあると吠えて家族を呼びつけるのです。
今朝は、「運悪く」私のほうが娘よりも先に気づいて目覚めました。
その時に、その「至福感」を感じたのです。
そこに、とどまりたくて起きがたかったのですが、チビ太が吠え続けるので仕方なく起きました。
どうもチビ太は水が飲みたかったようです。
少し世話をしてベッドに戻りました。
そして少し前の「至福感」を思い出しました。
思い出しただけで、心があったかくなってきます。
しかし夢の具体的な内容はまったく思い出せません。
大勢の人たちに対して、私が話しかけているような気がしますが、はっきりしません。
そこに「節子的な何か」が存在していたのです。
最近、それは「節子の魂」ではないのかと思うようになりました。

それはまだ夢でしか、しかとは体験してはいませんが、夢でない現実の場でも、似たような体験があったような気がしてきました。
それが思い出せそうで思い出せないまま、またいつの間にか寝てしまいました。
そして1時間ほど前にまたチビ太に起こされてしまいました。
いやはやわがままな老犬様です、

どこかで節子の魂が、私の周辺にまだ存在していて、私を守ってくれているのかもしれません。
あるいは、お盆の迎え火を待っていられなくて、一足先に私のところに来たのかもしれません。
チビ太に邪魔されなければ、節子との時間をもう少し持てたかもしれません。
まったくチビ太には困ったものです。

今日からお盆です。
早くお墓に迎えに行くことにしました。
チビ太も私を起こした後は、静かに寝ています。
蹴飛ばしたいくらい何もなかったような顔をして寝ています。

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2012/08/12

■節子への挽歌1803:お盆の花

節子
明日からお盆です。
近くのMさんが、夕方、お盆に供えてくださいと立派な花のアレンジメントを持ってきてくれました。
Mさんの母上も、節子とほぼ同じ時に亡くなったのです。
Mさんとはここに転居してきてからのお付き合いです。
さほどお付き合いがあったわけではありません。
転居後、2年ほどで節子が発病してしまったからです。
その、ほんのわずかな期間の節子とのお付き合いに、Mさんはいまも毎年、立派なお花をお盆に届けてくれるのです。
そのお気持ちが、とてもうれしいです。
私にとっての最大の喜びは、節子を思い出させてくれることなのです。
しかし、それはそう簡単なことではありません。

私も娘と一緒に花を買いに行きました。
夕方になってしまっていたので、もうほとんど売れてしまっていました。
残っていたのは、いかにも「仏花」というものばかりです。
それは、私の、そして節子の、好みではありません。
ユリを探しましたが、いいものが見つかりません。
バラがあったので、それにしようとしたのですが、娘がいかにもそれはお盆らしくないと言われてしまいました。
確かにそんな気もしますし、バラとしても、もう一つ元気がないバラでした。
娘は私と違って、良識派、つまりあまり逸脱を好みません。
結局、意見がまとまらず、明日の朝、もう一度買いにくることになりました。
花ひとつとっても意見が分かれてしまう。
それがわが家の文化なのです。
困ったものです。
父親の権威など微塵もないのです。

Mさんからのお花は、仏花ではなく、いつも「奥様のイメージ」で、とアレンジしてもらってきてくれています。
私たちよりもずっと誠意があり、節子もそちらのほうが気に入るだろうことは間違いありません。
だとしたら、ユリはやめて、庭の花を供えることにしようと思います。
手入れ不足で、庭の花がちょっとさびしいのが残念ですが、まあ節子は喜ぶでしょう。

明日から節子が戻ってきます。

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■節子への挽歌1802:そこがいいところだよ

節子がいつも怒っていた言葉があります。
「そこがいいところだよ」という言葉です。
何か私に不都合があって、節子に注意された時に、私がよく使っていた言葉です。

人は欠陥だらけです。
だからこそ面白い。
そう思って生きていますので、その「欠陥」を節子から指摘された場合、私はそう対応していました。
欠陥があるのは人間らしくていいというわけです。
そのくせ、節子の欠陥に関しては、私はよく注意しました。
まあ、それも私の欠陥のひとつだったわけです。はい。
節子も、「そこが私のいいところよ」と応えればいいのですが、節子は真面目ですから、そう応えられずに反論か言い訳をしがちでした。
そうなると、話はどんどんややこしくなるのです。
そして夫婦喧嘩。

「そこがいいところだよ」という私の言葉は、私のお気に入りの言葉の一つでした。
節子はその意味を理解していましたが、私の身勝手さだと怒ってもいました。
と言っても、それが私の欠陥だとわかっていたので、諦めていましたが。
いつも笑いながら怒っていました。
いや、怒りながら笑っていたと言うべきでしょうか。

最近、その言葉を使う機会が少なくなりました。
時々、娘には使いますが、節子と違って、あんまり張り合いがないのです。
「はいはい」と、軽くいなされてしまうからです。

しかし、最近、自分の欠陥を認識することが増えてきました。
「そこがいいところだ」などと気楽に言えないような欠陥が、です。
歳を重ねて自らのことがようやくわかってきたのか、それとも賢明になってきたのかわかりませんが、自分がかなりの「欠陥人間」であって、面白がってばかりもいられないと言うような気になってきたのです。
なぜそんな気になってきたのか。
それに今日、気づいたのです。
私の欠陥を補ってくれ、それを価値反転させてくれた節子がいなくなったからです。

伴侶は、それぞれの欠陥を補い合う関係ではなく、欠陥を価値反転させ、長所にしてしまう関係なのではないか。
そのことに気づいたのです。
その伴侶がいない今、同じような言動を続けていてはいけないのです。
欠陥が欠陥として振りまかれてしまうからです。
遅まきながら、少し生き方を自重しようと思います。
まあ、ほとんど無理でしょうが、少しくらいなら自重できるでしょう。
節子がいなくなったのだから、少しは常識的な意味での賢さを習得しなければいけません。
私にはとても不得手なことなのですが。

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■「君の生き方」ではなくて「私の生き方」を問いたい

前にも一度書きましたが、朝日新聞で連載されている、「いじめられている君へ」「いじめている君へ」「いじめを見ている君へ」は、まだ連載が続いています。
その姿勢に大きな疑問を持ちます。
私だけではなく、ある人からは、いじめと無縁の世界の人たちが他人事で説教しているのに腹が立つと言われたので、朝日新聞に投稿しましたが、見事に不採用でした。
そこで少し書き直して、このブログに収録することにします。

この連載コラムで一番気になるのは、問題は、「君」にあるのではなく「私」にあるという視点が欠落していることです。
そう思って読み直してみると、みんな「他人事での発言」になっているように思います。

そもそも「君へ」という発想は、状況を他人事として受け止めている視点です。そこからは「いじめを放置している私」「いじめが広がっている社会の一員である私」という視点は出てこない。それでは、所詮、他人事でしかありません。
悪いのはみんな「君」や「彼」「彼女」と考えてしまえば、社会はなにも変わりません。
そうした姿勢こそが「いじめ問題」を生み出しているのかもしれません。
「いじめ問題」が問いかけていることは、「君の生き方」ではなくて、「私の生き方」ではないか。そして。私たちがつくっている「社会のあり方」ではないか。

社会は、私たち一人ひとりの生き方で変わっていきます。「君」に呼びかける前に、まずは自らの生き方を見直したい。
それがあってこそ社会は変わります。問題は、「君」ではなく「私」なのです。
朝日新聞の見識を疑います。投稿している人たちの見識も、ですが。

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2012/08/11

■節子への挽歌1801:身勝手さの反省

もう一度、読者からのメールを引用させてもらいます。
ハッとさせられる文章があったからです。
それは、次の文章です。

通勤や買い物で夫婦、家族の何気ない会話を耳にすると、以前の自分たちを思い出して切なくなります。
私たちがそうしていた時、今の私のような思いで聞いていた人もいたかもしれません。
ああ、人生とは!と叫びたくなります。
人は本当に自分勝手です。
たしかに、そう言われると、私も、あるいは私たちも、身勝手に行動していたことに改めて気づかされます。
そうした事は、実は最近、私も自らで体験しています。

女房と美味しい食事を食べに行ったという、ただそれだけの友人の言葉がグサッと心に突き刺さります。
この夏は夫婦で海外旅行に行ってきた、とうれしそうな報告を聞くと、複雑な気分になる。
長野の別荘で夫婦でのんびりやっています、という連絡には、素直には喜べない。
実にまあ、性格の悪い人間になってしまったと自分でも思いますが、どうしようもないのです。

そして、思い返せば、節子が元気だった頃、相手のことなどまったく意識することなく、私もきっと無邪気に、こんな発言をしていたのかもしれません。
妻は私の生きる意味です、という発言も、聞く人によってはさぞかし耳障りだったことでしょう。
節子との一緒の暮らしを、無邪気にはしゃいでいたことを恥じなければいけません。
もしかしたら、それを嫉妬した神様が、節子を奪ってしまったのかもしれません。

挽歌に寄せられるコメントやメールで、気づかされることはたくさんあります。
時に安堵したり、時に後悔させられたり、時に迷ったり、時に心配したりしながら、狭くなりそうな自分の世界を広げています。
書き手の中に、自分を見つけたり節子を感じたりすることもあります。
なによりも、節子を思い出させてくれるのが、私には一番の喜びです。

コメントやメールをくださる方々に、いつも感謝しています。

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■節子への挽歌1800:ささやかな日常の営みこそ輝いていた

先日の「骨董市」を読んだ方がメールをくださいました。
1年ほど前に伴侶を見送った方です。

最後の数行の節子さんを彼に置きかえて読んだ途端、声を上げて泣いてしまいまいた。
彼との生活は本当に輝いていました。ささやかな日常の営みこそ輝いていたと言えます。
彼も多くのものを私に付加してくれました。多少なりとも彼もそう思ってくれていると信じたい・・・。
私は一生独身を予想していただけに、出会いの時からこの幸福の奇跡に畏れるほど感謝していました。
もちろん、ぶつかり合いもありました。それも含めてです。
「ささやかな日常の営みこそ輝いていた」。
私も、この思いが、日を追うごとに強くなってきています。
節子は、私よりもずっと早くに、そのことに気づいていたことは間違いありません。
しかし、おそらくこの方もそうかもしれませんが、その「ささやかな日常の営み」をもう2度と体験できないのです。
節子は、それを知っていた。
だから、一日一日を大切にしていました。
にもかかわらず、私は、今から思えば、節子との最後の時間を粗雑に過ごしてしまっていたのです。
いつかまた2人で旅行にも行けると、最後の最後まで信じていたのです。
そういう私を、節子はどう思っていたことでしょう。

節子がいなくなったいま、残念ながら、「ささやかな日常の営み」は輝いてはいません。
どこが違うのでしょうか。
たしかに節子はいませんが、「日常の営み」としては、さほどの変化はないのです。
でも何をしても、決して輝くことはありません。

日常が一変してしまったのです。
やっていることは同じでも、意味合いは全く変わってしまった。
たった一人の存在が、これほどまでに大きな変化を与えるものかと、不思議に思います。
節子は、どこにでもいる平凡な女性でしかなかったのに。
節子のどこにそんなパワーがあったのだろうと、時々思うのです。
「愛」とは、枯れ木に花を咲かせるものなのでしょう。
その「愛」が消えるか、熟してしまう前に、別れを体験することは、やはり悲劇です。
輝いている「ささやかな日常の営み」を失ってしまうことは、やはりどう考えても、不条理としかいえません。
幸せは不幸と、まさに裏表なのです。
できるものなら、もう一度ひっくり返したいものです。

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■節子への挽歌1799:お人好し

節子
今日は土曜日なのですが、急に相談に乗ってほしいという連絡があり、湯島に行ってきました。
それでまたお昼を食べそこなってしまいました。

私が会社を辞めて、わが家の貯金がどんどんなくなって、さすがの節子も心配しだしたことがあります。
そして私に言いました。
どうしてこんなに働いているのにお金が入ってこないの、と。
しかし、しばらくして、そういう発言をしなくなりました。
そしてお金を使わない生活に切り替えてくれました。
いまの政府の人たちに見習ってほしいものです。
お金はなければないで、どうにかなるものです。
まあ時にどうにもならずに借金せざるを得なくなることもありますが、それでも真面目に生きていればどうにかなるものです。

最近、娘が私に言います。
少しはお金をもらえる仕事をしたら、と。
しかし娘も本気でそう言っているわけではありません。
私の性格を知って、多分もう諦めているでしょう。

いろんな人が相談に来ます。
私がなにか出来るわけではありませんが、なぜか来るのです。
そしてうまくいきだすと来なくなります。
一度くらいお礼に来ても良さそうなものをと、節子は時々言ってました。
私もそう思うこともありましたが、今はそうは思いません。
なぜなら、私は相談にきても何の役にも立っていないからです。
問題の解決は、要するに当人にしかできないことなのです。
そのことがよくわかってきたのは、やはり節子のことをいろいろと考えているうちに気づいたのです。

私は、何か困ったことや悩みが発生したら、必ず節子に相談しました。
そして、その問題は必ず解決しました。
節子が何かをしてくれたわけではありません。
しかし、節子に話すことで、なぜか問題は解決に向かうのです。
そこにいるだけでいい存在。それが節子でした。

私のところに相談に来る人も、もしかしたら同じなのかもしれません。
だとしたら、どんなに忙しくても、相談には乗らなければなりません。
相談に乗ることが価値あることだからです。
問題は、私の相談に乗ってくれる人がいないことです。
お腹をすかせての帰路、私だけが割りを食っているのではないかと、ふと思いました。
最近少しひがみっぽくなっているのです。
そして、「修さんはお人好しだから」と笑っていた節子を思い出しました。
私は決して「お人好し」ではないのですが、ちょっと納得できない金もします。
今朝は畑仕事もせずに、寝不足のなかを、なんで出かけてしまったのでしょうか。
もしかしたら、節子がいた頃もこうして、節子との時間は二の次だったのではないかとちょっと心配になってきました。
いまさら遅いことですが。

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■消費増税法が成立しました

消費増税法が成立しました。
何でこの時期にと思いますが、多くの「識者」が推進してきたことを「良識」を持った国民が支えたからこその実現だったと思います。
「社会保障改革と一体」と、いまも呼ばれていますが、言葉だけで実体が見えません。
もっと大きなからくりは、野田首相が「増税分は社会保障に」と言っていることです。
理屈では成り立つかもしれませんが、現実にはありえません。
なぜなら税の歳出は、それこそ一体的に行われるからです。
増税分が仮に社会保障分野に使われたとしても、その分、ほかの税収入を財源とするところで見事に減らされるでしょう。
そんなことは、わずかでも思考力を持っていれば、わかることですが、多くの国民はオリンピックにうつつを抜かしても、まじめに考えることを放棄しだしています。
NHKがニュースのトップにオリンピックのことを長々と流す状況は末世としか思えません。
この国の国民は、消費税の動きや原発問題よりも、オリンピックに詳しいのです。
誰がそうしてしまったのでしょうか。

BSで放映されている中国の連続テレビドラマ「三国志」を観ているのですが、そこでは心底怒ったり悲しんでしまうと喀血して死に向かう場面が何回も出てきます。
名高い諸葛孔明も今週そういう状況で死んでしまいました。
最近は、私もそうなりそうです。
しかし憤死するほどの信念をもった政治家は今の日本にはいないでしょう。
困ったものです。

消費増税法にはいくつかの罠が仕掛けられています。
昨年、デジタルテレビが売れたように、これからは住宅と自動車が売れるでしょう。
増税前の駆け込み需要です。
そして、増税された後は、住宅産業はテレビ業界の二の舞を踏むかもしれません。
しかしそんなことはお構いなく、住宅を売り続けるでしょう。
そして国民は、オリンピック騒ぎのように、考えもせずに買ってしまう。
私には、聖書に出てくる、ソドムとゴモラを思わせる状況です。
その一員である事が、なんとも腹立たしいのです。

公明党の山口代表は、今の政府は政権担当能力がないと良いながら、不信任案に反対しました。
自民党もそうです。
民主党はうまく利用されました。
先の社会党もそうでしたが、巨悪には小役人の政治家は太刀打ちが出来ずに、ただただ骨の髄まで搾り取られてしまうのでしょう。
そうした状況が、実によくわかる1年間でした。

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2012/08/10

■節子への挽歌1798:危うく熱中症?

節子
今日はあやうく熱中症で倒れるところでした。
朝、畑に草刈りにいったのですが、出かける前にいろいろとやる事があって、少し出遅れてしまいました。
涼しかったので大丈夫だと思ったのですが、そのうちに日が照りだしました。
そこで止めればよかったのですが、雑草の刈り取りは成果が目に見えるので、どうしてももう少しやりたくなってしまうものなのです。
ついつい夢中になってしまい、30分を超えてしまったのに気づきませんでした。
水筒を持参して水分は補給していたのですが、急に立ちくらみを感じました。
これはあぶない。
節子と一緒にやっていた頃にも、同じような事がありましたが、今日は私一人での作業です。
畑で休んでいたらよかったのですが、一人なので帰宅することにしました。
自宅まではすぐなのですが、自転車で坂を上らないといけないのです。
節子とよく散歩した道です。

その上り坂を、病気の進行と共に、節子は上れなくなりました。
20メートルほどの坂道なのに、5分以上はかかったでしょうか。
ほんのわずかの傾斜でも、節子には堪えたのです。
私も、いつもは自転車ですいすい登れる坂ですが、今日はかなりしんどかったです。
節子のことを思い出しました。
体調によって、環境は全く違ってくるのです。

ようやく自宅について、家の中に倒れこみました。
気持ちが悪くなり、あげそうになりました。
だから無理をするなと言ったでしょうと娘から怒られました。
辺りが白く感じられ、これは危ういと思いましたが、冷たい水を飲み、横になっていたら、幸いに少しずつ落ち着きだしました。
でも30分ほど寝ていたでしょうか、
いやはや大変でした。

娘には内緒ですが、実はこういうリスクのあるのが私は大好きなのです。
だから熱中症のリスクがあればこそ、畑仕事に出たくなるのです。
節子はこういう私の性格をよく知っていました。
しかも私の天邪鬼さも知っていましたから、止めずにむしろそそのかしました。
そのやりとりがないのも少しもの足りませんが。

夕方、懲りずにまた畑に行ってきました。
娘は止めましたが、止められるとますます行きたくなるわけです。
でもまあ、節子なら迷惑をかけてもいいですが、娘にはあまり迷惑をかけられません。
そう思って、夕方は30分ほどで作業を切り上げ、帰宅しました。
しかし畑の草刈りは重労働なのです。
普通の人は、いい汗をかいた後はビールでしょうが、私は下戸なので、ビールは飲めません。
それでアイスクリームを食べようとしましたが、アイスクリームは1日一つと娘に決められています。
節子と違って、娘は厳しいのです。困ったものです。

節子ならごまかせますが、娘はごまかせません。
やはり節子がいないと困ることが多いのです。
アイスクリームさえ食べられない。
娘に節子だったらなあと言ったら、節子でもだめと言うよと言われてしまいました。
節子
そうでしょうか。
そんなことはないよね。
節子は何でも私の希望をかなえてくれましたから。
その節子がいないのが、やはり最近、無性にさびしいです。

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■節子への挽歌1797:死んでいるのに、生きている

節子
手賀沼の花火大会は今年も中止です。
その代わり、近くの満天の湯が、恒例の花火を今年も上げました。
30分ほどのミニ花火大会です。
だれかを呼ぶほどのこともない地味な花火大会ですが、ユカと一緒に屋上で少し見ました。
娘と2人ではまったく盛り上がりません。
むしろなにか寂しさが募ります。
昔は、わが家にも大勢の人が花火を見に来て、節子はその接待で自分ではあまり見られなかったほどだったなあなどと思い出したりしてしまうのです。
いつまでメソメソしていると言われそうですが、別にメソメソしているわけではなく、まあそういう気持ちが自然とわいてきてしまうのです。
それをメソメソと言うのかもしれませんね。

わが家をここに決めたのは節子でした。
花火が見える場所だったからです。
その節子は、花火を堪能する間もなく病に襲われてしまいました。
最後の年は、花火大会の日も私と節子は花火の音しか聞えない部屋で過ごしました。
花火を見に来ている人たちは、節子の辛さをどれほど知っていたでしょうか。
庭や屋上で楽しんでいました。
そういう人たちにも、節子は辛さをあまり見せませんでした。
知っていたのは私と娘たちだけでした。
思い出すだけで、複雑な気持ちになってしまいますので、思い出すのをやめましょう。

あれ以来、私は花火があまり好きではありません。
昔は大好きでした。あの音がたまらなかった。
今も音は好きですが、花火を見ていて、ふと思うのです。
なんでこんなものが、あんなに楽しかったのだろうか、と。
花火だけではありません。
そう思うことが、たくさんあります。

まだ心が死んでいるのかもしれません。
死んだのは節子ではなく、私だったのかもしれない、などという気さえします。
死んでいるのに、生きている。

訃報つづきの影響で、心がどうも沈んでいます。
花火も心を元気づけるどころか、さらに沈ませてしまったのかもしれません。
やはりまだメソメソしてるようですね。

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■節子への挽歌1796:訃報続き

節子
同世代の友人の訃報続きです。
70歳を超えれば、それが普通なのかもしれません。
しかし、その人とのこれまでのことが、頭をかけめぐります。
と同時に、その先に、伴侶を失った人のことへの思いが生まれます。
私の体験から言えば、先に逝く人は幸せかもしれません。
愛する人に悼まれながら、しずかに旅立てるからです。
しかし残された人はどうでしょう。
悲しさとさびしさを背負い続けなければいけません。
しかし、そういう考えは、あまりに身勝手かもしれません。

いささか薄情なのかもしれませんが、同世代の訃報は驚きこそすれ、悲しさはありません。
妻の死をこれほど悲しみ、そこから抜け出られないでいるのに、訃報には悲しまなくなった。
歳のせいかもしれませんが、死への思いが変わったからかもしれません。
どうせまた会えるではないかという気もしますし、いまでもさほど会っていないではないかという気もします。
訃報を聞いても、何も変化はないのです。
訃報を知らなければ、何も変わらないでしょう。
事実、最近では、さほど親しくなく、もう10年以上会っていない人の訃報は、忘れてしまいます。
そして、時に、あの人はまだ生きていたかなあ、訃報をもらったとうな気もするなあ、とわからなくなってしまうことさえあるのです。
不謹慎と言えば不謹慎、不誠実と言えば不誠実。困ったものですが、それもまた事実です。

お別れの会や告別式など、最近はどうもあまり行きたくなくなりました。
10年ほど前までは、私は結婚式よりも告別式のほうが出席しやすかったのですが、最近は逆になっています。
お葬式にはあまり行きたくない。
その人の死を意識したくないからかもしれません。
できるならば、私の友人知人はみんな私よりも長生きでいてほしいです。
たとえ私よりも20歳も年上でも、です。

訃報続きは、気を沈めます。

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■「原発はコストは高く、リスクが高い」

昨夜の報道ステーションで、城南信用金庫の吉原理事長が、原発に関して実に明確な発言をされていました。
城南信用金庫といえば、いち早く「脱原発」を宣言したところです。
それをもう一度観たいと思い、ネット検索しましたが残念ながら見つかりませんでした。
吉原さんの発言を再現できないのが残念ですが、彼は、このような発言をしていました。

財界は原発が必要だと言っているが、実際に現在の電力会社以外で、原発事業をやるところがあるのか。ないだろう。
原発事故の被害をみればわかるように、原発はコストは高く、リスクが高いから、そもそも融資をしてくれる金融機関などない。
自分でできないことをやらせてはいけない。
経団連のトップは間違っている。

実に素直な発言です。
しかし、こんなことは経団連のトップたちは百も承知のはずですから、彼らは「間違っている」のではなく、犯罪者でしかない、と私は思っています。
政治家もそうでしょう。
枝野さんや細野さんが、吉原さんほどの知性と勇気があれば、流れは変えられたはずです。
素直に考えれば、真実はそこにある。
今でも原発コストが安いと言っている人たちは、犯罪に加担しているか、買収されているだけの話です。

昨夜の吉原さんの発言には改めて感激しました。
ちなみに、その発言を受けた古館さんの応対は、あまりにひどかったと思います。
「それが吉原さんのお考えですね」と、いかにも人をバカにしたような応対でした。
この人もたぶん、お金の餌食になって、口だけの人になってしまっているのでしょうか。

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2012/08/09

■節子への挽歌1795:花かご会も10周年

節子
昨日8月8日は、「花かご会」の創立の日だったのですね。
花かご会の山田さんから、メールが届きました。
今年で10周年だそうですね。

昨日は、駅前花壇の作業を終えたあと、みんなで食事会をしたそうです。
「10年が経ったとは信じられないような感じだね」とみんなで話していたと山田さんは書いてきました。
10年と口で言うのは簡単ですが、10年間、駅前花壇をずっときれいに維持してきたことには、私も拍手を送りたいです。
山田さんは続けてこう書いてきてくれました。

節子さんもきっと喜んでくださっているだろうと思いながら、みんなでお墓にお参りさせていただきました。

花かご会の人たちは、いまも時々、節子のお墓参りに行ってくれています。
みんな心やさしく、気持ちのいい人ばかりなのです。
節子はほんとうにいい人たちにかこまれていました。
そういえば、節子が書道を習っていた東さんも、伴侶のお墓参りに行くたびに節子のお墓にも立ち寄ってくれています。
伴侶としては、そのことがやはりとてもうれしいです。

節子のことを、こうして今も思い出して、お墓にまでいってくれる人がいる。
うれしいような、悲しいような、とても複雑な気持ちです。

まもなくお盆。
節子が帰ってきます。

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■節子への挽歌1794:形の奥にある意味の世界

節子
昨日は思い立って東京国立博物館に行ったのです。
それで上野公園も歩いたのですが、上野は美術館も多いところです。
私と違って、節子は美術展が好きでしたから、元気な時にはよく付き合わされました。
私が上野通いをしていたのは、小学生から大学生の時代までで、それ以降はあまり行かなくなっていました。
むしろ節子に引っ張られていくことのほうが多かったでしょう。

私がよく遊びに行っていた、国立博物館と科学博物館はかなり変わってしまいましたが、大学時代に良く通っていた西洋美術館は昔のままです。
大学生の頃、そこでみたイタリア現代彫刻の強烈な印象が思い出されます。
形の奥にある意味の世界。
大学生の頃は、そうした思いに魅了されていました。
節子と会った頃は、まだそうした余韻が残っていましたから、節子にもたぶん得意気にそんな話をひけらかしたのではないかと思います。
偶然にもある日、京都行きの電車の中で会った節子と奈良に行ったのが、私たちの最初のデートでしたが、たぶんその時も、私はきっと仏像を前にそんな話をし続けたのではないかと思います。
節子には、初めての強烈な体験だったでしょう。
刺激が強すぎたかも知れません。
訳が変わらずに呆れるか怒るかして、帰ってしまってもおかしくないはずですが、節子にはとても居心地が良かったのかもしれません。
今となっては、確認のしようがありませんが、何となくそう思います。

話に夢中になって、奈良駅に着く頃には暗くなっていました。
お腹が減ったねと言って、たしか入ったのがラーメン屋さんのような気がします。
私たちの付き合いは最初からそんな気取りのない関係でした。
それも少し不思議です。

ところで昨日の国立博物館で、秋篠寺の十一面観音像に会いました。
こんなところに保管されていたとは知りませんでした。
もし知っていたら、節子と見に来たはずです。
節子も私も、十一面観音が好きですし、秋篠寺の葉写真でしかみた事がなかったからです。
とてもやさしい観音でした。
その向こうに、節子を感じました。

現実に見える風景の向こうに見えるもの。
それがもしかしたら、人の世界の広さかもしれません。

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2012/08/08

■節子への挽歌1793:骨董市

節子
不忍池の横の通りで、夏まつり恒例の骨董市が開かれていました。
骨董市に出会わすのはたぶん6年ぶりです。
節子がいた頃は、この骨董市を見て歩いたものです。
残念ながらここで出品されているものは、あまりわが家の好みではないで、「市」好きの節子もあまり買った記憶がありませんが、買う物が有ろうが無かろうが、お店を見るのが節子は好きでした。

路地の骨董市ではありませんが、湯島から上野、あるいは御徒町に出る狭い通りにも、ちょっと面白い陶器や漆器、和紙などのお店がいくつかありました。
節子と歩いていると、よくそうお店に連れ込まれました。
一度入るとなかなか出てこないのが節子でした。
そういう体験も、いまはもう遠い昔の話です。

「市」といえば、やはり一番の思い出はルクソールの市場でした。
最初の家族海外旅行で行ったエジプトの市場はどこも面白かったですが、ルクソールの雑然とした市場は刺激的でした。
ミシンで衣服を縫っている人がいるかと思えば、生き物をさばいている人がいる。
実に不思議な空間でした。
もしかしたら、節子の市場好きは、あれ以来かもしれません。

今日は、節子がいなかったので、お店に目をやることもなく、そそくさと通り過ぎてしまいました。
もしかしたら、節子がいなくなってから、私の人生も、寄り道もなく、無駄もなく、ただそそくさと急ぎ足で歩いているだけかもしれません。
途中でそう思って、引き返して写真を撮りました。

Kottouichi


節子は私の人生に、たくさんのものを付加してくれていたのです。
それが最近よくわかってきました。
節子がいない人生は、やはり味気なく面白くありません。
節子がいたら、それこそすべてのものが輝いていたのです。

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■節子への挽歌1792:久しぶりの上野公園

節子
今日は午後から時間ができたので、久しぶりに湯島天神から不忍池を抜けて上野公園を歩きました。
節子がいた時には、時々、歩いた道です。
節子がいなくなってからは、年に一度あるかないかですが。

湯島天神にも行かなくなりました。
オフィスの帰りに、よく2人でお参りしましたが、いまは足が向きません。
しかし今日はちゃんと正殿にお参りして、不忍池に向かいました。
不忍池は、いまハスの時期です、
まだ花は少なかったですが、池はハスの葉で覆われていました。

Shinobazu12_2

上野公園は夏休みなので、暑さにもかかわらず混んでいました。
木陰で座ってお弁当を食べているカップルがいました。
昔の私たちのようでした。
せっかく近くに、精養軒や伊豆栄があるのに、そこには行かずに、上野駅構内でおにぎりやお弁当を買って、ベンチで食べるのが、私たちは好きでした。
そう思って意識すると、多くの幸せそうなカップルが目に付きました。

考えてみると、そんなことを思いながら、上野公園を歩くのは、節子がいなくなってから初めてかもしれません。
私もだいぶしっかりしてきたのかもしれません。
一人で、上野公園を自然に歩くことができるようになったのですから。

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2012/08/07

■節子への挽歌1791:セミ

節子
セミの話です。
そういえば、ギリシア神話では「黄金のセミ」はアポロの持ち物でした。
言うまでもなく、アポロは太陽神ですが、夜明けとともに泣き出すセミがアポロと結び付くのは納得できます。
しかし、セミは不思議な生き物です。
私は昔から、セミが不思議でした。
セミには水分が感じられないからです。
生きていても死んでいても、いつも「カラカラ状態」です。
私にとっては、もっとも生物的でない生き物がセミでした。
そのセミが、唯一、瑞々しく輝くのが羽化の途中なのです。

セミは、不死や復活、さらには永遠の若さや幸福を象徴すると同時に、現世のはかなさや移ろいやすさの象徴でもあります。
見方によって全く違った存在になりえる存在なのです。
しかし考えようによっては、それらはすべて同じことかもしれません。
最近はそんな気さえするようになってきました。
節子がいたら絶対にそんな思いは生まれないでしょうが。

死んだ生物で、ほぼなんのためらいもなく触れるのはセミくらいかもしれません。
生命を超えた、不思議な生物です。
もしかしたら、此岸と彼岸を往来しているのかもしれません。
お盆に近づくと、セミが賑やかになってくるのも、そのためでしょうか。
節子の生家での夏の法事にでた時には、家の近くの大きな樹のセミが実に賑やかでした。
最近も、夏のお施餓鬼でお寺に行くと、これまたセミの大合唱です。
まるでセミたちが読経しているようでもあります。

今年もまたお盆が近づきました。
節子の位牌の前にも精霊棚ができました。
節子がいなくなってから5回目のお盆が来ます。

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■原発推進者の首相が大きな顔をして座っている式典には失望しました

野田首相は昨日、関係閣僚に「将来の原発比率をゼロにした場合の課題を整理し、どうしたら克服できるか検討してほしい」と指示したといいます。
驚くべき話です。
これまでそんな基本的なこともやっていなかったのか。
まさに現政権は、脱原発などまったく考えていないことの証拠です。
明日、首相は「脱原発」抗議行動の事務局と会うそうですが、いかにものタイミングです。

それにしても、政財界のさまざまな動きが示しているのは、原発復活路線です。
これだけの声があがっても、その姿勢は微動だにしません。
野田首相は仕方がないのですが、ほかの閣僚から、声が上がらないのも不思議です。
「民主」とはいったい何なのか。

最近公開された東電のテレビ会議の映像も驚きです。
東電にはまともな判断ができる人はいないのでしょうか。
嘘があまりにも明白な映像を出して騙せるとでも思っているのでしょうか。
東電は、日本における企業広報活動の普及を先導していた企業ですが、あまりの「無知」さには驚きます。
広報の基本は、フランクネスです。
正直こそが問題を良い方向に進めます。
もちろん社会にとっても企業にとっても、です。
そんなことは「広報」や「危機管理」の基本ですが、それがまったく行われていません。

もっと驚くべきことは、前回の国会事故調査委員会の活動においても、国政調査権が使われなかったことです。
それだけでも、私は国会調査委員会の報告書を信じませんが、今回の公開映像もまた見過ごされるのでしょうか。
だとしたら国会はもはや財界の御用機関でしかありません。

脱原発など考えていない人たちに、私たちは未来を託してしまったのかもしれません。
次の選挙には、判断を間違わないようにしなければいけません。

私が残念だったのは、昨日の広島の平和式典に野田首相を受け容れてしまったことです。
もっとも相応しくない人物のように思えます。
例年は式典の様子をテレビで見ていますが、今年は見ませんでした。
原発推進者の首相が大きな顔をして座っている式典には失望しました。
長崎はどうするのでしょうか。
現政権の閣僚をボイコットしてほしいものです。
それがまともな感性だと、私は思うのですが。

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■節子への挽歌1790:セミの羽化

節子
朝起きると、わが家の小さな庭にセミの抜け殻が見つかる時期になりました。
10日ほど前から、セミが賑やかになってきています。

一昨日の午後、庭の芝生を歩いているセミの幼虫に出会いました。
しかも1匹はアリに囲まれて転がっていました。
何とか救出して、アリを振りほどきましたが、すでに前足が変形していました。
セミの幼虫はとてもやわらかく、触っただけで変形して羽化できなくなります。
もう1匹は幸いに無事でしたので、庭の木にくっつけました。

子どもの頃、夜に公園などに出かけていって、穴から出てきたセミの幼虫を探した記憶がありますが、羽化の様子がしっかり見た記憶はそう多くはありません。
しかし、それは実に神秘的で、感動的でした。
節子も、子どもの頃、よく幼虫探しに行ったそうです。
セミの穴に水をいれて、浮かび上がらせ、幼虫をだめにしてしまったことを後悔していたと娘から聞きました。
たぶん私も同じ話を聞いたことがあるのでしょうが、すっかりと忘れてしまっていました。
ただ夏休みに家族で節子の生家に行った時、みんなでお寺の境内に幼虫探しに行った記憶があります。
その時に節子は話したのでしょう。

ところで、一昨日の幼虫は、1匹はみごとに羽化しました。
羽化するまでの経過は、時間がかかりましたが、実に神秘的です。
その途中の姿は、天使のように見えました。
1匹は残念ながら羽化できませんでした。
しかし、なぜかこの日は、夜にもまた幼虫が出てきて、幼虫ラッシュでした。
翌朝、その幼虫も抜け殻を残していました。

Semi5_2

人は「羽化」するのでしょうか。
魂は飛び立つのでしょうか。
そうであればいい、と思います。

今朝もミンミンゼミが大きな鳴き声を響かせています。
節子には聞こえているでしょうか。
今日も暑くなりそうです。


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2012/08/06

■節子への挽歌1789:黒崎茶豆

節子
また新潟のお盆時期になりました。
それに合わせるように、新潟の金田さんが黒崎茶豆を送ってきてくれました。
節子がいたらどんなに喜ぶことでしょうか。
それにしても、みんないろんなものを送ってきてくれます。
私は節子と違って、人に贈り物を送るのがとても苦手なのですが、なぜかみんな贈ってきてくれます。
節子がいたらお礼の手紙も書くのでしょうが、私の場合は、電話で終わりです。
電話も忘れることがあるのです。
節子はきっと嘆いていることでしょう。

節子は豆類が大好きでしたが、実は私は豆類が苦手なのです。
ところが不思議なもので、節子がいなくなってしまってから、なぜか枝豆が好きになったのです。
ズンダ豆も黒崎茶豆も好きになったのです。
妻と結婚して食生活が変わると言うことはあるでしょうが、妻がいなくなって食生活が変わると言うのは、理屈に合いません。
しかし、そういうこともあるのです。

節子がいなくなってから、わが家のパントリーから保存用のいろんな豆が出てきました。
一部は私にも見覚えがありましたが、旅行先で買ってきた豆です。
長瀞のお店で、節子がいろいろと買っていたのを覚えています。
長野か山梨でも買っていました。
私は買い物が嫌いですが、節子は好きでした。
めずらしい豆を見ると節子は買いたくなるのでしょう。
しかし、調理されることなく、豆だけが残されてしまっていました。
あの豆はどうしたのでしょうか。
わが家の娘たちは、食べ物は無駄にしないタイプなので、たぶん節子に代わって調理されたと思います。
しかし食べた記憶がありません。

節子は、調理が好きでした。
病気が進行して台所に立てなくなってからも、1品でも作りたいとがんばっていましたし、家族のために調理できないことをとても悲しんでいました。
節子は、決して調理が上手とはいえませんでしたが、私は節子の料理が好きでした。
時に苦手のものもありましたが。
しかし、苦手のものも含めて、もう節子の料理は食べられないのです。

ところで、黒崎茶豆はあまりにも美味しく、節子に供えるのを忘れてしまい、娘と一緒にみんな食べてしまいました。
困ったものです。
また明日も茹でてもらい、明日こそ、節子に供えましょう。
金田さんは、それを見越したように、どっさり送ってきてくれましたから。

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■節子への挽歌1788:「妻は死んだ」

節子
昨日、途中からですが、テレビで、映画「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」を観ました。
ちょっとした時間の合間に、たまたまチャンネルを合わせたらやっていたのです。
マット・デイモン主演の15年ほど前の作品ですが、何回観ても気持ちの良い映画です。
ちょうど、マット・デイモン演ずる主役のウィル・ハンティングが、カウンセラーを受けているシーンでした。
カウンセラーのドクターショーン役はロビン・ウィリアムス。なかなかの俳優です。

ショーンは、少し前に最愛の妻を失っています。
そこで患者であるウィルが、再婚したらどうかと言います。
ショーンはこう応えます。
「妻は死んだ」
ウィルは重ねて言います。
「だから再婚したら」
ショーンは繰り返します。
「妻は死んだ」

以前見た時にも、ちょっとこのシーンには考えさせられましたが、今回は強烈に心身が震えました。
「妻は死んだ」
その言葉の「妻」は書くときっと大文字なのでしょう。

その画面の前に、たしか絵が出てきます。
海に船で乗り出す絵だったと思います。
実はこの絵は、節子が習っていた絵の先生から購入した絵を思い出せる絵でした。
節子は、先生への義理で買ったものの、実はその絵が好きではありませんでした。
たしかわが家では数日しか飾られていませんでしたから。
その絵のことも気になっていました。

また今度,テレビでやるでしょうから,改めて最初から見てみようと思います。
なぜか娘のユカがこの映画を私に勧めてくれるのです。
私好みの映画だと、ユカは思っているようです。
まぜでしょうか。
もう一度見たら、その理由もわかるかもしれません。

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2012/08/03

■節子への挽歌1787:生活感覚

節子
今日は朝からセミがうるさいほどです。
最近は、朝起きて、まずは庭の花に水をやります。
少しずつですが、生活が正常化してきています。
何を持って「正常化」というかは難しいですが、身のまわりの生活環境に気が向き出したといっていいかもしれません。
何をいまさらと言われそうですが、一度壊れてしまった生活感覚はなかなか戻らないのです。
節子が中心になって育て上げてきた、わが家での生活リズムや生活文化は、節子がいなくなっても変わりません。
食器棚の食器の置き方も、掃除の仕方も、衣服のしまい方も、庭の花木の植え方も、です。
「良い悪い」は別にして、節子が敷いた路線はいまも基本的には続いています。
主婦というのは、やはり偉大な存在でした。
それを維持していた節子がいなくなってしまったのですから、まあいろんな不都合は起こってきます。
「手が不足」しているわけですから、当然と言えば当然です。

庭の植木鉢のかなりは枯らしてしまいました。
娘たちが整理してくれてはいますが、それよりも、何となく枯れていくのもいいかと、最近は思うようになりました。
自然は、そうして朽ちていくのが一番です。
最近はそんな心境になっていますので、節子が大事にしていた花が枯れてしまっても、そう慌てなくなりました。
間もなく私自身が枯れていくわけですから、慌てることもありません。

もしかしたら、私自身が「素直に枯れていく」ことを忘れているのかもしれません。
昨日、湯島にやってきた人から、私の父は同い年ですにしては、佐藤さんはお若いですね、と言われました。
つまり私自身に自覚がないということです。
たしかに年甲斐もなく、おかしな話に巻き込まれてしまったりしています。
落語に死んだことを忘れてしまった人の話があったような気がしますが、私もその類の人間かもしれません。
困ったものです。

もっと歳相応にならなければいけません。
自宅に庵でもつくり、そこで来客の話を聴くでもなく聴かないでもなく、という塾でもやったほうが良いかもしれません。
しかし、いまはまだ20数年前からやっている、さまざまな人の駆け込み寺である湯島のオフィスで、いろんな人に会っています。
今日も会ったことのない若者が2人やってきます。
さてさて、どんな話でしょうか。
以前と違い、横で、聴くでもなく聴かないでもなく、座っていた節子がいないので、私一人で対応しなければ行けないのが寂しいですが。

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2012/08/02

■節子への挽歌1786:今日は頑張りました

節子
此岸は連日暑さが続いています。
彼岸は、暑さも寒さもないのでしょうね。
挽歌を毎日、書くことにしたのですが、今日はいささか暑い中をちょっと無理してしまったので、眠くて仕方がありません。
節子がいたら、挽歌なんて書かないで早く寝たらと言うでしょう。

ではお言葉に甘えてそうさせてもらいましょう。
おやすみなさい。

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■なぜ原子力規制委員会のメンバーは原子力発電に詳しくなければいけないのか

昨日、福島で行われた。エネルギー政策についての政府の意見聴取会での発言の多くに、生々しい体験を感じました。
現場にこそ真実があるというのが私の信条の一つですが、原発の意味を本当に知っているのは、こうした人たちだと改めて確信しました。

同じテレビで、原子力規制委員会の初代委員長候補になっている田中俊一さんが国会での初心聴取で発言していました。
何と内容のない発言であることか。
そのあまりの違いに、政治とはなんだろうかと考えてしまいました。

原発事故後、田中さんは現地での除染活動に取り組みだしました。
最初、私はとても共感しました。
しかし、その後の発言を聞いているうちに、この人はただ器用に社会の風潮に迎合しているだけではないかとさえ感じ出しました。
そうした利にさとい保身の輩は、原子力技術者だけではなく、経済学者にも経営学者にも、実に沢山います。
有力な政治家はほぼすべてそうかもしれません。

私が不思議なのは、規制委員会の委員長は、原発に詳しい人でないといけないという「常識」です。
多くの人が、そうした認識でこの委員長人事が語られています。
しかし、委員長も委員も、原発に詳しい必要は全くありません。
的確な質問と公正な判断力さえあればいいのです。
それが「規制」という意味のはずです。
「原子力」は高度な技術という思い込みのおかげで、みんな原発は特殊のものだと考えすぎているのです。
しかし、原発は極めて簡単な原理で動いている仕組みです。
原子力工学は高度でしょうが、原発は大きなやかんでしかありません。

しかし、もし仮に「原発に詳しい人」が適任であるとしても、田中さんは決して、原発に詳しい人ではありません。
その証拠に、福島の原発事故さえ止められませんでしたし、そこから起こる被害の大きさについての想像力もありませんでした。
ただ沈没しそうになった船から、いち早く逃げてしまった船長のような人です。
そんな人をなぜ信頼できるでしょうか。

田中さんは、口では反省したと言いますが、何を反省したかは何も言いません。
反省するのであれば、サルでもできますが、彼は反省どころか「除染」活動をしています。
彼ほどに大きな責任を背負ってしまったのであれば、もっとやれることがあるでしょう。
最初は感激して見ていた田中さんの除染作業の姿は、今の私には狡猾なものにしか見えません。
彼は、福島の意見聴取会での住民の発言をどう聞いたのでしょうか。
誠実な人間であれば、反省も誠実にすべきです。
委員長を受け容れ彼の神経が全く理解できません。

ちなみに、田中さんは、自分は研究所にいたので、企業とは直接関わってこなかったといっていましたが、この発言もとんでもない発言です。
私が一番怒りを感じたのは、この発言です。

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2012/08/01

■節子への挽歌1785:畑が復活しだしました

節子
今日も夕方、畑に行ってきました。
節子がいたら楽しい畑仕事も、私一人ではただただ重労働でしかありません。
空いている宅地を活用したわが家の家庭菜園は、半分は通る人を意識した花畑で、半分はわが家の食材のための野菜畑でした。
節子がやっていた頃は、ピーナッツまで植えたりしていました。
節子は奇妙なところで挑戦的でした。
最初は土壌が悪いために、出来は良くありませんでしたが、年々少しずつ良くなってきました。
ようやく畑らしくなった時に、節子が病気になり、わが家の畑は荒れだしました。
それでも節子がいた頃は、何とかその指示で、野菜も少しは収穫できました。
節子がいなくなると共に、わが家の農園も荒れだしました。
もうやめようかと娘たちが言い出しましたが、私はその気になれず放置していました。
そしてようやくまたやろうと思った矢先の放射線汚染。
さらに畑は放置され、今年の春には笹で覆われてしまいました。

その荒れ放題の節子の農園をいま少しずつまた畑に戻そうと頑張っているのです。
春から何回か雑草取りに出かけていますが、少し間をあけると元の木阿弥です。
雑草や笹の成長力は本当に驚異的です。
やってもやっても何も変わらない。
それで諦めかけていましたが、また再開しました。
熱中症になりかねないので、無理をするなと娘は言いますが、私の性格は、熱中症の危険性があればこそ、やりたくなるのです。

節子と一緒にやっていた時も、節子は涼しくなってからやればよいのに、あなたは思いついたらやりだす、といつも注意していました。
その上、私のやり方にはいつもだめだしでした。
思いつきで、めちゃくちゃに頑張って、しかしすぐに飽きて終わってしまうからです。
私のやった後は、ただただ雑然としてしまっているというのです。
節子のやり方は違いました。
小さな部分でもいいので、ともかく少しずつをていねいに完成させていくのです。
私の好むところではありません。

しかし、最近、私も節子のやり方に変えました。
ただ雑然とやっていては、何も変わらないからです。
最後の仕上げをする節子がいないので、節子の分までやらなければいけなくなったというべきでしょうか。
そうしたら荒れ放題の笹藪が、少しずつ畑に戻りだしたのです。

節子と私の、物事の処理の仕方はいつも対照的でした。
思いつきでいい加減な私のやり方を、いつも節子は嘆いていました。
しかし、節子は、私のやり方を受け容れてもいました。
諦めてのことだったのかもしれませんが、そこが節子の実に良いところです。
今から考えると、どうも節子のほうが私を包み込んでいたようです。
今度会ったら謝らないといけません。
節子のおかげで、わが家の農園が復活しそうです。
復活したら、「節子農園」と名付けましょう。

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■節子への挽歌1784:虚勢の効用

節子
久しぶりに武田さんのところに行ってきました。
武田さんの弟さんには、節子は会ったことがないと思いますが、2か月ほど前に、奥さんが急逝されたのです。
武田さんから、そのことを聞いたので、ともかく武田兄弟に会いたくなったのです。
いや、会わないといけないような気がしました。
奥さんを亡くした友人がいたら、会うだけでもささやかな支えにはなるだろうと思ったのです。
仕事が終わる頃を見計らって、お伺いしました。
お2人の仕事場を訪ねるのも本当に久しぶりです。

お話をお聞きしたら、まさに急逝だったようです。
朝、起きたら、奥さんが部屋の隅でうずくまっていたので、声をかけたら亡くなっていたのだそうです。
癌だったようですが、あまり詳しくは訊けませんでした。
どう話したらいいか、やはりわからない。
第一、話すことがいいのかどうかさえわからない。
自分の時はどうだったかと思い出すと、如何なる言葉も受け付けられませんでしたし。

まさに「思ってもいない突然の別れ」です。
どんなに「悔い」が残ったことでしょう。
いや、それ以前に、亡くなったという事実そのものが、受け容れがたかったことでしょう。
たぶん今もなお、理解できずにいるような気がします。
これからが大変だろうと、他人事ながら思います。

仕事があるので気が紛れるが、仕事がなかったらおかしくなったかもしれないと話されましたが、それがよくわかります。
仕事は、いまも忙しそうです。
それが支えになっているのかもしれません。
しかし、いつもなら感ずるだろう彼からのオーラは伝わってきませんでした。
人の心身の状況は、言葉とは別にきちんと伝わってくるものです。

生活の一部を構成していた伴侶がいなくなると、人は戸惑います。
その戸惑いを受け容れたくなくて、人は虚勢さえはることもある。
それは無意識なのですが、そのおかげで、みんなは「大丈夫だ」と思います。
しかし、本当は大丈夫ではないのですが、不思議なもので、周りがみんな大丈夫だと思うとなんだか自分も大丈夫なような気になっていく、

考えてみると、私も素直に自分をさらけ出していたと言いながら、その実、結構虚勢も張っていたことに思い当ります。
いえ、今もまだ、もしかしたら虚勢を張っているのかもしれません。

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