■節子への挽歌1813:手賀沼トライアスロンと伊藤先生のこと
節子
今日は6時前に起こされました。
外で何か大きな声が聞こえるのです。
起きて窓を開けてみてわかったのですが、今日は手賀沼のトライアスロン大会だったのです。
会場がわが家から近いので、そこでのマイクの音が風に乗って聞えてきていたのです。
それにしても朝早くからです。
8時スターと言うので、屋上から見ていましたが、遠く過ぎたのかうまく見えませんでした。
手賀沼でトライアスロンが始まったのは2006年。節子の再発の年です。
応援に行った翌月に節子は再発したのです。
応援に行った大会には、節子の主治医だった伊藤医師が参加され、私は節子と一緒に会場に応援に行きました。
その翌年、節子は逝ってしまいました。
以来、トライアスロンには行ったことがありません。
伊藤さんは参加されていたでしょうか。
屋上から会場のほうを見ながら、ユカと伊藤さんのことを話しました。
ユカから教えてもらったのですが、伊藤さんはユカと同じ歳だそうです。
私は、人の年齢を全く読み取れないばかりか、ほとんど意識もできないタイプなのですが、今日、ユカから聞いて、改めて伊藤さんのことを思い出しました。
節子を見送って数年後に、伊藤さんからメールが来ました。
しかしその時にはまだお会いする勇気がありませんでした。
いまならどうでしょうか。
自問しましたが、まだその勇気が出てきません。
節子だったらどうでしょうか。
たぶん会えているでしょう。
節子は、私よりもずっと強い人だったなと思います。
その節子がなぜ私よりも早く逝ってしまったのか。
その辛さの中で生きつづけるのは、トライアスロンに負けないほど過酷なレースです。
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